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会いたい。
早くあの人に会いたい。
オレは左手に巻かれた腕時計を右手で握り、通りでタクシーを拾った。
今までどうしてあの人のことを忘れていられたのかと思うほど、会いたくて仕方がない。
早く早くと思いながらようやく着いたタクシーから降りると、オレは急いで家に向かう。そして開けたドアの先、いつもなら出迎えてくれるあの人はいない。
部屋は静まり返っていて、人の気配がしない。
いないの?
今日の同窓会に参加するとメッセージをした時は『楽しんでおいで』、といつもと変わらない様子で返事をくれたけど・・・。
部屋の中は真っ暗だった。その中でリビングにだけ間接照明が灯っている。そしてそこのソファの上には、背にもたれるようにして眠っているあの人がいた。
ローテーブルの上には、ほとんど空になったウィスキーのボトルとグラス。つまみらしいものは無い。あるのはそのウィスキーだけ。
なにも食べずに飲んだんだ・・・。
あの人もオレも酒は飲めない。だけど頂きものの年代物のウィスキーが、リビングの棚に飾られるように置いてあった。
彼はそれを飲んだのだ。
「オレのせいだね・・・」
オレは眠っている彼のそばに座ると、その腿に手を置いた。
飲めないお酒を飲んで眠る彼の姿に心が痛む。
「ごめんなさい」
ここ数日のオレの様子に、彼はきっと気づいていたんだ。そして彼はどんな思いで、そんなオレを見ていたのか。
「ごめんなさい」
オレはもう一度そう呟いて、彼の腿におでこをつけた。すると、頭に感じる優しい感触。大きな手がオレの頭を撫でる。
「ああ、帰ってたんだね。悪かったね。眠ってしまったようだ」
まだ酔っているのだろう。いつもよりもゆっくりとした口調で話す彼をオレは見た。
「ごめんなさい。先生がお酒を飲んだの、オレのせいだよね?オレの様子が変だったから、だから飲めないお酒を飲んだんでしょ?」
そういうオレに、彼はオレの頭をさらに撫でてくれる。まるで違うと言うように。だけど、その顔が寂しげなのは気のせいじゃない。
「オレ、迷っちゃったんだ。急に過去が現れて、オレの中が混乱して分からなくなっちゃった。だけど、分かったよ。今日、過去と向き合ってきた」
オレの言葉に彼の眉がぴくりと動いた。
「オレは先生が好きだよ。確かに先生に会う前に好きだった奴がいて、今回そいつに惑わされたけど、今日会ってちゃんと分かった。オレが好きなのは先生だけ」
オレは頭にある彼の手を取り、頬に当てる。
「オレね、高校の時にあいつに恋をしたのに、それを自分で認めなかったんだ。認めずに友人のまま過ごして、友人のまま別れて・・・それで大丈夫だと思った。だけど、大丈夫じゃなかった。報われないオレの思いはそのままオレの心に棲みついて、ずっとあいつを忘れられないでいたんだ。そしてそれが、今回表に出てきてしまった」
彼の温かい手。どうしてこれを忘れられたのか・・・。
「だけど今日、あいつに会って思いを話せたんだ。高校生の時のあの淡い気持ちを。それでオレの中のあいつへの思いは浄化した。だからオレの心はもう、全て先生のものだよ。先生を好きな気持ちだけでいっぱいだ」
オレは彼の手を離して、左手の腕時計を外す。
「初めから先生だけを好きだったのに、オレ、迷っちゃって・・・。先生にも嫌な思いをさせて、お酒飲ませて・・・だからオレにこれを貰う資格はない」
オレは外した腕時計を先生の手に置いた。
「だけどオレは先生が好きだよ。迷ったけどその時だって先生だけが好きだった。あいつに組み敷かれて、首元を噛まれた時、恐怖と嫌悪感しか無かった。好きだったはずなのに、気持ち悪くて仕方がなくて、オレは先生じゃなきゃ嫌だと思った」
あの時の気持ち悪さを思い出すと、また鳥肌が立つ。
「オレは今も先生が好きだけど、迷ったオレのこと、先生は嫌でしょ?」
普通はもう、信じられないよね?
「だから、オレ待つから。先生がオレを許してくれて、もう一度オレと一緒にいたいと思ってくれるまで。だからその時、もう一度オレにこれをつけて」
オレは彼の手に置いた腕時計を彼に握らす。そして彼を見て笑った。いや、笑おうとしたけど失敗した。涙が出そうになったから。でも泣くのはおかしい。オレが泣いちゃダメだ。
そう思って、目にぐっと力を入れる。
「噛まれたの?」
涙がこぼれないように下を向いたオレに、彼が訊く。それが予想外の言葉だったので、オレは一瞬言葉を詰まらす。
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