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第9話 深まる疑問
千紘は仕事を定時で上がり、夏のまだ明るさが残る夕方を自宅に向かって歩いていた。
家のすぐ側の角を曲がる。
「この状況も三回目か……」
そう思いながら染田の姿を確認した。やはり染田はいつもと同じように石の前で立っていた。
染田の様子はこの前会った時よりは、いくらか落ち着いているように見えた。
「染田くん。大丈夫?」と千紘が声をかける。
「あぁ。こんにちは……」と染田は静かに言った。
そして「あなたは今、どの過去に戻っているんですか?」と聞かれた。
千紘は笑いながら「1年半前くらいかな。派遣先を選んだところ!」と答えた。
「あっ。今回戻った未来はね、すごく仕事が楽しくて、このままでも良いかなって思ってるの。自分がこうなりたいっていう目標も見えたし……」
だんだんと薄暗くなる空を見上げながら、千紘は軽く話をした。
そしてふと染田の顔を見て、はっとする。
染田は絶望したような顔つきで千紘を見ていた。
涙を流そうにも流せない、そんな感情すらも失ってしまったかのような表情だった。
千紘はどうしていいかわからず戸惑いながら言った。
「ごめん……なんか酷いこと言っちゃったね。染田くんの状況は変わってないんだもんね……」
そして染田に気になっていたことを聞いた。
「そういえば、『最終的な結果は変えられない』って言ってたけど、その結果ってどういう事なの?」
しばらく沈黙が続いた後、染田がゆっくりと口を開く。
「ループからは逃げられないんです。最初の後悔にたどり着くまでは……」
えっ? と千紘は聞き返す。
「でも、石に触れなければ良いんじゃないの?」
「触れて戻らなきゃいけないんです」
「え? なんで? 誰が?」
「あなたが」
「なんのために?!」
「最初の後悔を見つけるために」
「え? なんで最初の後悔を見つけなきゃいけないの?」
「あなたが自分の意思でループに入ったからです!」
「そんなのおかしいじゃない?! 自分の意思でループに入ったんなら、自分の意思でやめても良いでしょ?! そもそも、私は最初の後悔を見つけたいと思っていたわけじゃない!」
「だめなんです! 見つけなきゃ、たどり着かなきゃいけないんだ!」
「なんで染田くんにそんな事、言われなきゃならないの? 染田くんの最初の後悔と、私の最初の後悔は別物でしょ?!」
「違うっっ!!!」
染田は叫びながら涙を流していた。
「違う!! 違うんだ……こんな事が言いたかったわけじゃない……」
泣き崩れる染田の姿を見て、千紘ははっとする。
そして「どうしたの?!」と、染田の両腕を掴んで揺すろうとした。
揺すろうとして、その手の感触がないことに気がつき、びくっとして自分の手を見る。
「どういうこと?!」
染田はとても深い悲しみを抱えた顔で涙を流していた。
そして小さくささやくように言った。
「あなたに……見つけて欲しいんです……僕の最初の後悔を」
「そうしたら、きっと……」
今にも消え入りそうな声で染田は言う。
「何かが変わるはずだから」
染田は千紘の目を見ながら石に手を伸ばす。そして微かに微笑んだ気がした。
千紘は思わず叫んだ。
「待って!!!」
辺りはすでに夜の闇に包まれていた。
思い出の石の前には、千紘だけが佇んでいた。
◆
千紘は下を向き、ぐったりと疲れ鉛のように重い足を引きずりながら、家の門を開けた。
自分の部屋に入り、崩れるように座り込む。
染田は石に手を伸ばしていた。過去に戻ったのだろうか。
でも、千紘にはそうは思えなかった。
染田は消えたのだ。その表現が一番正しい気がした。
染田の両腕を掴もうとした時の感覚を思い出す。
「あれは、いったい何だったんだろう……」
染田はきっと大きな何かを抱えていたはずだ。
それなのに、千紘は過去に戻ることも、未来に帰って来ることも、どこかに旅行に行くような感覚で楽しんでいた自分に気がついた。
そして自分に都合の良い未来が現れた事を喜び「もうこのままで良いかな」なんて言葉を軽々しく発してしまった。
そのせいで染田を深く傷つけてしまったのだ。
「取り返しがつかない事をしてしまった……」
いくら後悔しても、千紘のループはすでに始まっている。
もう1年半前の過去に戻っている千紘は、そこから過去をさかのぼる事はできても、新しく後悔した日にはループできない。
この後悔の過去にはもう二度と戻れないのだ。
「どうしたらいい? どうしたら染田くんの最初の後悔にたどり着ける?」
千紘は両手で顔を覆い、声を殺して泣いていた。
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