第9話 深まる疑問

1/1
前へ
/56ページ
次へ

第9話 深まる疑問

 千紘は仕事を定時で上がり、夏のまだ明るさが残る夕方を自宅に向かって歩いていた。 家のすぐ側の角を曲がる。 「この状況も三回目か……」 そう思いながら染田の姿を確認した。やはり染田はいつもと同じように石の前で立っていた。  染田の様子はこの前会った時よりは、いくらか落ち着いているように見えた。 「染田くん。大丈夫?」と千紘が声をかける。 「あぁ。こんにちは……」と染田は静かに言った。 そして「あなたは今、どの過去に戻っているんですか?」と聞かれた。 千紘は笑いながら「1年半前くらいかな。派遣先を選んだところ!」と答えた。 「あっ。今回戻った未来はね、すごく仕事が楽しくて、このままでも良いかなって思ってるの。自分がこうなりたいっていう目標も見えたし……」 だんだんと薄暗くなる空を見上げながら、千紘は軽く話をした。 そしてふと染田の顔を見て、はっとする。  染田は絶望したような顔つきで千紘を見ていた。 涙を流そうにも流せない、そんな感情すらも失ってしまったかのような表情だった。  千紘はどうしていいかわからず戸惑いながら言った。 「ごめん……なんか酷いこと言っちゃったね。染田くんの状況は変わってないんだもんね……」  そして染田に気になっていたことを聞いた。 「そういえば、『最終的な結果は変えられない』って言ってたけど、その結果ってどういう事なの?」  しばらく沈黙が続いた後、染田がゆっくりと口を開く。 「ループからは逃げられないんです。最初の後悔にたどり着くまでは……」  えっ? と千紘は聞き返す。 「でも、石に触れなければ良いんじゃないの?」 「触れて戻らなきゃいけないんです」 「え? なんで? 誰が?」 「あなたが」 「なんのために?!」 「最初の後悔を見つけるために」 「え? なんで最初の後悔を見つけなきゃいけないの?」 「あなたが自分の意思でループに入ったからです!」 「そんなのおかしいじゃない?! 自分の意思でループに入ったんなら、自分の意思でやめても良いでしょ?! そもそも、私は最初の後悔を見つけたいと思っていたわけじゃない!」 「だめなんです! 見つけなきゃ、たどり着かなきゃいけないんだ!」 「なんで染田くんにそんな事、言われなきゃならないの? 染田くんの最初の後悔と、私の最初の後悔は別物でしょ?!」 「違うっっ!!!」  染田は叫びながら涙を流していた。 「違う!! 違うんだ……こんな事が言いたかったわけじゃない……」  泣き崩れる染田の姿を見て、千紘ははっとする。 そして「どうしたの?!」と、染田の両腕を掴んで揺すろうとした。  揺すろうとして、その手の感触がないことに気がつき、びくっとして自分の手を見る。 「どういうこと?!」  染田はとても深い悲しみを抱えた顔で涙を流していた。 そして小さくささやくように言った。 「あなたに……見つけて欲しいんです……僕の最初の後悔を」 「そうしたら、きっと……」  今にも消え入りそうな声で染田は言う。 「何かが変わるはずだから」  染田は千紘の目を見ながら石に手を伸ばす。そして(かす)かに微笑んだ気がした。 千紘は思わず叫んだ。 「待って!!!」  辺りはすでに夜の闇に包まれていた。 思い出の石の前には、千紘だけが(たたず)んでいた。 ◆  千紘は下を向き、ぐったりと疲れ鉛のように重い足を引きずりながら、家の門を開けた。 自分の部屋に入り、崩れるように座り込む。  染田は石に手を伸ばしていた。過去に戻ったのだろうか。 でも、千紘にはそうは思えなかった。 染田は消えたのだ。その表現が一番正しい気がした。  染田の両腕を掴もうとした時の感覚を思い出す。 「あれは、いったい何だったんだろう……」  染田はきっと大きな何かを抱えていたはずだ。 それなのに、千紘は過去に戻ることも、未来に帰って来ることも、どこかに旅行に行くような感覚で楽しんでいた自分に気がついた。 そして自分に都合の良い未来が現れた事を喜び「もうこのままで良いかな」なんて言葉を軽々しく発してしまった。  そのせいで染田を深く傷つけてしまったのだ。 「取り返しがつかない事をしてしまった……」 いくら後悔しても、千紘のループはすでに始まっている。 もう1年半前の過去に戻っている千紘は、そこから過去をさかのぼる事はできても、新しく後悔した日にはループできない。 この後悔の過去にはもう二度と戻れないのだ。 「どうしたらいい? どうしたら染田くんの最初の後悔にたどり着ける?」 千紘は両手で顔を覆い、声を殺して泣いていた。
/56ページ

最初のコメントを投稿しよう!

64人が本棚に入れています
本棚に追加