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「そんなことよりも橘さん。調子はどうですか」
「調子ね。悪くはないな」
「秘密主義で利己的で軽薄な橘さんらしい曖昧な回答ですね。いけすかない」
俺と西野が知り合って八年は経つが、今日までの間に楽しく会話できた時間は合計で五分もないだろう。出会って五分もかからずに西野が俺を嫌ったからだ。
初めて会った時、彼女の友人に一目惚れして勢いでデートに誘ってしまったのだ。それ以来ずっとこの調子で、軽薄な男という扱いをされている。不本意ではあるが軽薄な行為だったことは認めざるを得ない。
「俺のことはいいから自分の仕事をしろよ、西野」
「しっかり働いていますとも。反社会的勢力の皆様にはよくしていただいています」
西野はシャングリラという高級クラブで働いている。清山紗香が経営するマグノリアというナイトレジャーグループの稼ぎ頭のひとつで、暴力団の幹部も頻繁に利用している店だ。
「それで、改めて聞きますけども清山紗香に動きは?」
西野はカウンターに肘をついて俺を睨みつけた。
「何も。不気味なぐらい、いつも通りに過ごしている」
清山紗香は二十八歳という若さでこの街に巨大な夜の帝国を築き上げた。その財力はダイヤの指輪を気軽に捨てていたことからも推し量れる。
財産と美貌だけでも彼女に言い寄る男は多そうなものだが、実際に彼女の周りにいるのは裏社会の男だけだった。その理由は単純で、彼女が指定暴力団『阿頼組』五代目組長の一人娘だからだ。どんなに美しく、金を持っていてもその血縁が理由で一般男性は彼女を敬遠した。
逆に裏社会の男たちにとってはそこも彼女の魅力のひとつだった。だから彼女の周りには裏社会の男どもが群がり、牽制しあって事件を起こす。
そんな事情があって俺は紗香の監視をしている。
「いつも通りですか。橘さん、情報が手に入らないからって危険を冒すような真似はやめてくださいよ」
先ほどのやり取りで心配になったのか、西野は俺を睨んで釘を刺した。
「心配してくれるのか」
「私の仕事に悪影響がないかを心配しているんですよ。橘さん一人が危険にさらされるぐらいなら気にしないんですけどね」
「なるほど、自分の心配か。けど気にしなくていい。そういうのを杞憂って言うんだ」
「ふぅん。自分は絶対に失敗しないとでも? そういう人こそ危ういのが世の常ですよ」
「そうじゃない。どうしようもないことだから心配する意味がないってことだよ。バレるときはバレるんだ。気楽にやろう」
「そういう軽薄なところ、やっぱり苦手ですね。ほんといけすかない」
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