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三分もあれば降りられるはずなんだ。
三才の君でも。赤や黄色のもみじが落ちている、この坂道階段は。でも、いつも三分じゃ足りない。晴れている時は、とてもじゃないけど。
「ねえねえ、お母さん。もう少しだけ、もう少しだけ……いい?」
この階段を下りる途中、決まって私の隣にいる小さな背はぴたっと立ち止まり、私を見上げて、真ん丸の目でまっすぐに見つめてくる。息子の弘大のかわいい視線と声で訴えられてしまうと、私は弱い。急いでいても、首を横に振れない。お父さんが帰ってくるから早くスーパーに行きたいんだけどな……と言う言葉をつい飲み込んでしまう。
「いいよ」
私は優しく、弘大に伝える。
「やったー!」
弘大はにっこりと笑い、私に背を向ける。私の近くで立ち止まったまま、下を向き、キョロキョロと辺りを見回している。そうでなければこの場所では見つからないのだ。でも、階段は危ないよと伝えてあるから、私の約束をきちんと守って、弘大は私の側から離れない。坂道階段の途中、私たちは一気に階段を降りられない。いつも、寄り道をする。
「みにゃあー」
そこへ、キジトラの子猫が現れた。一度、優しく、小さな鳴き声を上げてから、坂道階段を私たちよりも先にゆっくりと降りていく。野良猫だろうか。小さくてかわいいと、私は目を奪われる。弘大も動物が好きだから、坂道階段ではなく他の場所にいた時には、嬉しそうに猫の歩く姿を見るはずだけど、坂道階段へ来たら、弘大はそれどころじゃない。
「あー!!」
突然、弘大が大声を出した。他の人が聞いたらビックリしてしまうような声だが、私は慣れている。この叫びは、弘大が目的のものを見つけた合図。弘大は一度しゃがんで、そして立ち上がる。振り返り、私に嬉しそうにそれを見せてくれた。
「あったー、どんぐりー!!」
弘大がつまんだ一つのどんぐりは、太陽の光に照らされ、輝いていた。私はほほ笑み、声をかける。
「良かったね! 小さいどんぐりだね」
「うん! どんぐりさんは、かわいいよね」
「そうだね」
弘大がどんぐりをさん付けしてかわいいと思っていることは、一ヶ月前、十月に入った頃、工事中のため通いなれてた買い物ルートを変更して、この坂道階段を通るようになった時に知った。
「まだ、どんぐりさんあるかなぁ……? ねえねえ、お母さん。もう少しだけ、もう少しだけ……いい?」
もみじの木が色づき、最初にこの坂道階段で弘大がどんぐりを探し始めた時は、正直、嫌だった。早く買い物に行きたいと思っていた。でも、今は違う。だって、この坂道階段の時間は、弘大が、私に教えてくれる。普段、通り過ぎてしまうだけの道に、すてきな宝物が落ちていること。探せば、見つかること。
「いいよ」
私が了承すると、弘大はグーにした片方の手を、私に向けて伸ばす。
「ありがと! これはそのお礼!」
弘大は優しく笑った。私は、弘大のグーの手の下に、自分の両手を横にくっつけて少しだけ丸めて器を作る。すると、その上で弘大がグーにした片手を勢いよくパーにする。ころりと小さなどんぐりは、私の手に乗った。ようやく拾ったばかりの小さなどんぐりをもらい、私は思わずほほ笑む。
「……ありがと」
軽くお辞儀をしてお礼を言うと、弘大は、ぱああっと顔を明るくしてからうなずき、また私に背を向けてどんぐりを探し始める。私は、弘大にもらった一つのどんぐりを片方の手でつまんで、そっと見つめる。お礼ってことは弘大は分かっているんだと思う。私が早く買い物に行きたいという思いを。その中で立ち止まってくれてありがとうって意味のお礼を、今、弘大からもらったんだと思う。そう思うとちょっと、いや、すごくかわいい。
「本当にありがとう……生まれてきてくれて」
「うん!」
弘大はどんぐりを探しながら嬉しそうに返事をした。私の言葉を聞いていてくれたのだろうけど、多分、この意味はよく分かっていないと思う。
三分もあれば降りられるはずなんだ。赤や黄色のもみじが落ちている、この坂道階段は。でも、今日もまた、一気に階段を降りられずに、一気に降りようとしないで、私たちはここに立ち止まっている。
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