溢れる器

8/8
前へ
/109ページ
次へ
 魔導士は城のバルコニーへ出ると、夜の外の冷たく澄んだ空気を吸い込んだ。ずっと走り続けて、寝ていない身体はひどく重い。  カクレが救えて良かった。勇者の魔力を身体に取り込み、玉へと送り出したガトラーからはもう、異端の魔力は感じ取れない。魔王はいなくなった。「魔王無き世」がもたらされ。全ては終わった。  考えながら親指と人差し指で瞼の上から眼球をぐり、ぐりと押してみる。俺は投げられた玉を、結局は取りこぼし、床に落としてしまった。それは割れてしまったなと冷えた頭で魔導士は考える。  同時に二つ投げられたのでは、一つは取れない。取らなくてはいけなかったのに。 「トムを…この手にかけてしまいました…。」  話を終えた魔導士に、床に頭をこすりつけるようにして。すみません、すみませんと泣きながら謝るガトラーへ、なんと言えばいいかわからず気が付けばここに立っている。  元はと言えば、自分達が撒いた種。他人を巻き込んで、巻き込んで、トムは結局、この世から消えてしまった。また魔導士は月を見る。 「俺の想いはどうでもいい。最後にトムは、なにを思っただろうか?」  きっと、ずうっとこの気持ちに苦しめられるなと、その名を思い出そうとしていた。知っているのに、思い出せない。自分も何度か使ったことがあるはずなのに。  見上げる夜空に、一点の小さな黒。それが徐々に近付いて来るのがわかる。空から魔力が降りてくる。一羽の鳥が近くの樹木にとまった。 「いたいた、銀髪の魔導士さん。」  鮮やかな羽色をした鳥は、カタカタいうくちばしで流ちょうにしゃべりだす。 「戻って、トムの元へ。」  カタカタと口ばしが鳴る。 「俺は、銀髪じゃないよ。灰色髪だ。」  カタカタと鳥がくちばしを動かす。それは笑っているようだった。 「黄色い月光に照らされれば銀色に輝くわ。知らなかったの?」 「その月も、もうない。」  鳥はまた、カタカタとくちばしを震わせる。 「戻って、トムの所へ。目が覚めるから、もうすぐ。」  魔導士は鳥が飛び立つのを見てはいなかった。  カクレの眠る部屋へ飛び込み、口を動かしながら荷物を掴む。 「ガトラー、トムは生きている。心配するな。」 「寝かせたよ。」  まだ起き上がれないカクレが、その枕元に頭を寄せて眠るガトラーを目で指す。 「カクレ…起きたか?すまなかったね…。」  魔導士が駆け寄ろうとするのを、僕はいいけど、これと目でガトラーのいない枕元を指す。  トムの耳飾りが一対、そこで輝いている。 「グレンから全部聞いた。トムの話は、ガトラーからさっき。行ってあげて。早く。あんたを待ってる。砂時計はもらうよ。」  魔導士は頷いて走り出した。 「エリさんも戻ったので、話の続きをしましょう。」  剣士ホイルがトムと王女を見て話を始める。   魔王、魔導士、剣士、三人の男たちが三人の元勇者に話したのは、全て同じ話だった。  一つ違ったのはホイルの話だけ「王子」が出て来ない事だったけれど。
/109ページ

最初のコメントを投稿しよう!

30人が本棚に入れています
本棚に追加