桜とサディスト貞

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 (さだ)は生まれながらにして美しい女性であった。唇がサルビアの花のように赤く、肌がゼラニウムのピンクがかった白花のような白さで何も態々化粧する必要はないと思われる程、魅力的なのであった。おまけに大手電力会社社長、安部貞雄の一人娘で白亜の豪邸に住む良家のお嬢様だから幼少の頃から皆に持て囃され、ちやほやされるだけでなく優しくされた。けれども召使の醜い女が皆に扱き使われ、罵られ、時には虐待を受けるのを見て育ったし、優れた洞察力を備えているから皆が優しいから自分に優しくしてくれるのではないと見抜いていた。だから結婚適齢期を迎えて美しい令嬢という理由で言い寄る男に優しくされても取り付く島もなく玲瓏たる瞳を鬼のようにして軽蔑のまなこを向けていた。縦しんば付き合うにしても相手を平伏せさせるべく美しい令嬢という権威を笠に着て謂わば筋金入りのサディストになりたいと、頑なな願望を強く抱くようになって行った。  そんな折、彼女に縁談の話が舞い込んで来た。相手は経済評論家で著述家の後藤文雄だった。慶応大学商学部を卒業し、早稲田大学大学院ファイナンス研究科専門職学位課程を修了し、ファイナンス修士の学位を取得する他、多くの資格を持ち、システムコンサルタントもやれば経営コンサルタントもやればアナリストもやり、今や38歳にして中央大学大学院戦略経営研究科客員教授になった。全く以て学歴、経歴共に申し分なしで、まだ他に幾つも肩書を持ち、原発擁護の立場を取って電力会社をよいしょする所謂、御用学者でもある。貞雄が勧める訳だ。  貞は子供の頃から父に鉱物資源であるウランを燃料とする原子力発電は石油や石炭など化石燃料を使う火力発電と違って二酸化炭素を排出せず地球に優しい上、再生燃料を使う為コストがかからず経済的で安全性も火力発電より高いから原子力は天下無敵の最優秀発電だとほとんど虚偽だと分からない儘、刷り込まれて来たし、深窓に育ち世事に疎いから洞察力に優れているとは言え、父を疑わず父の言う通りだと思い込んでいた。それにどの局の報道番組も一人として反原発の立場から発言する学者や評論家を出演させない代わりに原発を推進する学者しか出演させないし、福島第一原発事故が起きてからも国際原子力事象評価尺度(INES)においてレベル7に達したにも拘らず依然として原子力を推進すべきと真顔で論じる専門家も多数、番組に登場するから仮令、世間のことを知ろうと報道番組を見ても事実を知れないのだ。そもそも主要な新聞社やテレビ局は、毎年莫大な広告費を電力会社から受け取っている手前、自ずと遠慮が生じ、反原発に関連する報道が出来ないのだ。況して原発は毎年多額の予算が組まれ、巨大な既得権益となっていて、それを手放したくない電力会社は、反原発を唱えようものなら広告主を降りるぞと無言の圧力をかけ、都合の悪い事実を誰にも語らそうとはしないのだ。電力会社と癒着する政府にしたってそうだ。だから政府にとっても都合がいい後藤もまた報道番組でコメンテーターとして出演すると、「放射性物質が実際より怖いと思われていることが問題」とか「今回の原子力の問題でも死者が出ましたか?」とか荒唐無稽なことを実しやかに言って放射能無害論や原発安全論を展開し、原発を推進し擁護する発言しかしないのだ。  にも拘らず世間一般の人々の大半から立派な人間と崇められている後藤と或る高級ホテルのラウンジで見合いをした貞子は、知識が豊富なことに感心し、自家を栄えさせるには打ってつけの人物に思え、何より自分の身分や美貌に敬意を払う態度が気に入ったから例の願望を叶えられるかもと期待でき、そう思うと期待が膨らむばかりで抗う理由が見つからず極自然な成り行きで交際することになった。  後藤は紳士的な態度を決して崩さなかった。万事抜かりはなかった。世間知らずの貞を尊敬させる術を充分心得ていた。それでいて衒学的になることはなく貞の鋭敏な神経を逆撫でするなど全く有り得ないことだった。そんな彼にこれは本物だと貞は手応えを感じた。打算的な優しさじゃない、真の優しささえ感じられた。しかし、いつか襤褸を出すのではと常に五感を研ぎ澄ませていたが、間然する所がなかった。容姿も背が高くハンサムでスマートで自分の好尚に叶っているから貞はもうこの人に決めようと思ったのは、交際し出してから半年後のことだった。  結婚式は当然ながら盛大なものになった。財界人、政界人、芸能人、知識人等々綺羅星の如く参列し、貞は幸福の絶頂に達した。  が、初夜、早くも幻滅した。まるっきり体目的で結婚したのかと思える程、いやらしさ汚らわしさを感じたのだ。それは自分の男性観や五感が常識外れだからそう感じるのかと貞は自分を疑ってみた。自分は令嬢だけに普通の女より潔癖だからだろうか、清廉すぎるからなのだろうかと・・・そうやって自分を見つめてみると、婿養子として我が家に住まうようになった文雄が女の召使たちにも分け隔てなく優しいのを見て貞はやっぱりこの人は違う、本物だと思い直した。但、入れ替わりで務めることになった男の召使に対しては何故か邪険に扱った。それに気づいた貞は、直感で文雄がジェラシーを抱いていると思った。その召使、名を橘大翔と言ったが、桜の花びらのような色をした白皙の美青年で実際、自分より美しい彼の容姿に文雄は嫉妬したのだ。そんな彼に貞は再び幻滅し、狭量さを感じた。と同時に大翔の美しさに惹かれる自分に気づいた。  それからというもの貞は文雄の粗が見えて来て、その代わり大翔の美しさが際立って見えるようになった。彼らの関係を見て見ぬ振りしながら普段、自分に対していい人を演じているストレスの捌け口として大翔を選んだと見抜いた貞は、自分に対する優しさも胡散臭く思えて来て養子縁組になったのは財産目当てではなかろうかとさえ疑い、猜疑心は募る一方だったが、それに連れて大翔に心を奪われるようになって行ったのだ。その上、例の願望を文雄は満たし得ないが、大翔は満たし得る、満たすには好個の男と思えて来た。彼は召使だから当然と言えば当然だが、至って従順に貞に仕えたし、歳が自分より二つ下の22ということもあって貞は大翔をとても可愛く思ったのだ。彼は美男でありながらそれを誰にも鼻にかけず一切下心なく純然たる奉仕の精神で貞に接して来たから猶更だ。更には真の強さを感じさせることがあって或る時、貞は文雄が出演する報道番組を自分の部屋で視聴していると、「地球温暖化、地球温暖化って騒いでますけど、世界の平均気温はここ100年で1度くらいしか上がってないんですよ。それにですね、2014年から2017年にかけては0・2度下がってるんですよ。だから温暖化なんかしてないですよ」とか「石油は後千年は持つんですからジャンジャン電気つけて車はハイブリッドなんてけち臭いのは乗らずに出来るだけガソリン消費量の多い車を乗るべきで、そうすることによって二酸化炭素が増えてですねえ、稲なんか二酸化炭素を一杯吸えるから農業の人が助かるんですよ」とか、これが学者なのかと耳を疑うような偏狭なことを文雄が言っているのを掃除をしながら聴いていた大翔は、我慢ならずテレビ画面に向かって気焔を揚げて捲し立てた。 「何言ってるんだ、こいつは!人類が化石燃料を使うようになってからずっと温度は上昇傾向なんだ!1度だけって言うが、その1度が大問題なんだ!現に北海道なんか今までなかった梅雨の季節が生まれ、夏に30度以上の日が稀だったのに珍しくなくなったことからも分かるけど世界的に気候変動、異常気象が起きて、それによる自然災害が頻繁に起きるようになったんだ!それに全体的に見れば農業だって漁業だって地球温暖化に因る被害を受けていて、よく不作によって値上がりしたりしてるじゃないか!僕の好きな鮭や秋刀魚なんか地球温暖化の所為で絶滅してしまう勢いで減ってしまってるんだぞ!こいつは電力会社の御用学者だから火力発電所を活性化させ、原発を稼働させようと電気をどんどん使えと言うし、本気で地球温暖化してないと思ってて二酸化炭素がどんな農業にとっもも良いと思ってるから出来るだけガソリンを食う車に乗って二酸化炭素を撒き散らせって滅茶苦茶なことを言う訳だ。アホかこいつは!こんな御用学者ばかりテレビに出てるから日本が駄目になるんだ!」 「御用学者って何なの?」自分の旦那様にこんなことが言えるなんてと驚愕しながら貞は聞いたのだった。で、大翔は、しまったと悔いて謝った。「つい興奮してしまいまして奥様、大変失礼いたしました。誠にすいませんでした!」 「いいのよ。寧ろ忌憚のない貴重な意見が聞けて私、嬉しいくらいよ。そんなに無我夢中になって怒る所を見ると、あなたの方が正しいような気がしたの」 「は、はあ・・・恐縮の至りです」と恐れ入る大翔。 「鮭や秋刀魚がそんなに減ってるの?」 「は、はい」 「ふ~ん」  こんな会話をして以来、貞は大翔を他の男とは一線を画すものと位置づけ、彼に色々聞く内、いつしか唯一信頼できるようになって原発は良くないと悟るに至り、文雄への信頼が根底から崩れて行った。  だから二人が話しているのを見ても文雄はジェラシーを感じ、大翔への苛めが顕著になり、貞が止めに入ることも屡となった。  而して到頭、文雄は大翔を首にすると言いだした、その勢いで仕事がてら気晴らしに旅行に出かけた。行き先も言わずにだ。大翔を苛めたくても貞が庇うから苛められなくてストレスが溜まりに溜まって堪り兼ねて屋敷を飛び出したといった具合だった。  それを良いことに貞は手放してなるものかとばかりに二人きりになれる自分の部屋へ大翔を引き入れた。絹張りの壁、複製でない名画、金箔が施された額縁、サテンのカーテン、幾何学模様のペルシャ絨毯、金や真鍮やビロードで装飾された調度類に格式高い家具類、青銅の花瓶、優雅なフリューゲルを思わせるグランドピアノ等々どれも恐ろしく値が張る物ばかりで今まで掃除しに入る時も見ているのに大翔は今更ながら目が眩むばかりだ。  そんな彼に焦燥感に駆られていた貞は、いきなり告白した。「私、夫よりあなたが好きなの」   大翔は余りの予期せぬ言葉に口から心臓が飛びださんばかりにびっくり仰天したが、やがて初めて彼女の前で自分が男であることを意識した。 「ねえ、大翔は私のこと好き?」  名指しでそう訊かれて大翔は心臓が早鐘を打ち出した。仮令、自分が奥様に対してそう思っても言い出せることではないし、事実、好きだから彼は口籠った。 「言いなさいよ。私はからかおうとしてるのじゃなくて真剣なのよ。決して笑わないから正直に言ってよ。ねえ!」  貞に急激に迫られ、のっぴきならない状況に陥った大翔は、すっかり男に目覚めて言った。 「誠に失礼千万でございますが、す、す、好きでございます」 「ふふ、そう。でも、そんな堅苦しい言い方は嫌だわ。名指しで好きですと言って」 「えっ、あの・・・」 「遠慮しなくていいのよ」 「し、しかし・・・」 「旦那様がいらっしゃるのにと言いたい訳?」 「は、はあ・・・」 「良いのよ、留守だから、ね、言って!」 「あ、あの、では本当に申し上げても宜しいのでございましょうか?」 「だから、そんな堅苦しい言い方は止して名指しで好きですと遠慮なく言って!」 「で、では、お言葉に甘えさせてもらいまして言わせていただきます。あ、あの、さ、貞さん」と大翔が言いしな、「はい」と貞は敢えて辞を低くして返事をし、彼の手を取って両手で握りしめ、彼の目を凝然と見つめた。  大翔はその真に迫る麗しく熱を帯びた目に絆され、以心伝心して心が熱くなって、「す、す、好きです」とどもりながらも告白した。 「ふふ、そう、じゃあ、こっちへいらっしゃい」  なんと貞は早速、寝室へ大翔を誘ったのだ。自分の本性を発揮してサディストの面目躍如として彼を自分の好きなように扱うべく・・・確かに大翔は貞にとってマゾヒズムに陥らせることの出来る格好の男だった。  彼女はまずは彼をパンツ一丁にした上で豊富なランジェリーコレクションを駆使して彼の表情やもっこりする股間の度合いを楽しみながら彼を自分の虜にした。「私、見えないところにもこうしてお洒落してるの。こんな私どう思う?」と聞いて、「す、素敵です」と言わせてみたりして・・・それから狂喜してSMプレイや性交を思う存分楽しむのだった。こんな誠実で従順な男は他には絶対いないわと確信し、大翔の性器に関すること以外にも彼の顔を足で踏みつけてみたり自分の足の裏を甞めさせたりしてやりたい放題に振る舞った。  貞はジョルジュ・バタイユの「眼球譚」を愛読して男性は首を括られた時、激しく勃起して射精すると思い込んでいた。で、カシミヤのドレープがかかった天蓋付きのベッド上に於いて延々と続く性行為がエスカレートして夕暮れ時、遂にクライマックスを迎えた。 「どうせ僕は首です。仮令、首にならなくても旦那様に苛められます。だから僕は貞さんにこのまま絞め殺されたい!」と究極のマゾヒズムに陥った大翔の首を貞は陰茎を膣内に挿入しながら両手で絞めつけて行った。果たして彼は激しく勃起して射精した。その時、貞は無上の法悦を味わったが、彼の腰の動きが停まると同時に彼の息が途絶えてしまった。大翔は究極のマゾヒズムに陥った儘、扼殺されたのだ。  無我夢中の内に貞は取り返しのつかないことをして唯一の信頼できる人間を失って究極のニヒリズムに陥った。で、暫く茫然自失となった。それから悲嘆に暮れたが、いつまでもめそめそしている彼女ではなかった。もう一人の男の召使の吉田を呼んで、この宝石をあげるからその代わり私が大翔を殺したことを内緒にした上で夜中にこっそり死骸を運び出して車に乗せて何処か遠くまで運んで土の中に埋めてしまってちょうだいと頼んだ。  大翔と違って義に喩らず利に喩る吉田は、貞が何故、大翔を殺したのか疑問に思いながらも問い質すには及ばず、ほくそ笑んだ儘、引き受けた。彼は誰にも目撃されずにミッションを遂行し、約束通り、貞に宝石をもらえたので彼女の罪を口外せず、誰にも暴露しなかった。従って大翔は文雄に苛められるから召使の仕事が嫌になって逃げ出したのだろうと屋敷の者たちから思われた。一方、吉田は貴金属買取店で宝石を売ったところ宝石の王様と異名を持つアレキサンドライトという稀少な宝石だったので三千万もの大金が手に入り、貞にこの上なく感謝しつつもうこんな仕事とはおさらばだとばかりに召使を辞めて屋敷から出て行った。  貞はそれを命拾いしたかのように幸いに思った。やらしてくれ、さもないとばらすぞなぞと脅迫されやしないかと心の隅で酷く恐れていたのだ。  はあ、ケチらなくて良かった助かったと安堵し、召使に取り寄せさせたホルマリンに漬けてあった物を取り出すと、布で拭いてから、これさえあればとしゃぶったり入れたりするのだった。阿部定よろしく切り取ったのだろう。  
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