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やがて退室を促され会社を出た浬は連日寝泊りするホテルを目指した。その足取りは、不思議と父親の元を訪れたときよりも軽かった。
どれだけはね返されようが、別れを選ぶ結末だけは避けたかった。
絶対に失いたくない。別れを切り出す勇気もなければ、自ら手放す気もさらさらなかった。
その想いは確実に強固なものになっていると実感していた。
だから決めた。周囲が望む以上の成果を出して、誰にも文句を言われないくらい力をつけてやろうと。何度でも時間が許す限り、いや、どれだけ時間がかかろうと、心を砕いて、根気強く向き合っていこうと。
いつか必ずわかってもらえる日が来る。そう信じて。
京都に戻ったら真っ先に彼女へ会いに行って、すべてを打ち明けよう。
ダラダラと独り善がりに悩んでも、なんの意味もない。彼女の気持ちを置いてきぼりにした状態では、スタート地点にすら立てていないのと同じなのだから。
恋人の出自や素性を知った彼女はさぞかし驚くだろう。
厄介なことに巻き込んでしまうかもしれない。これまで彼女が積み上げてきたものを捨てさせてしまうことになるかもしれない。
でもどれだけ不安にさせても、言葉を尽くして、根気強く誠意を見せたいと思う。
そしてあの日の夜、本当に告げたかったことをひとつ残さず伝えたい。
そう気持ちの整理がついたときには、連絡が途切れてから一週間が過ぎていた。
一度電話を入れようと決意したとき、兄から予想もしない一本の連絡が入って絶句する。
晴れやかだった心は暗然たる空気に覆われ、目の前が急に真っ暗になった。
電話が切れた後もしばらくはその場を動けず、ただ一筋縄でいかない現実の重さが重石のようにのしかかり、暗い淵に引きずり込まれるような虚脱感に苛まれていた。
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