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「……お帰りなさいませ、浬様」
慎重な動きで顔を上げた秋吉が視線を逸らすことなくじっと見つめてくる。その表情には固唾を飲んでいるような真剣な色が表れていた。
まるでどんな言葉をかけるのが最適解なのかと、こちらの心情を案じるような神妙な顔つき。
六年前、清宮の家を出ていくと真っ先に打ち明けたときに見せたあのときの顔にそっくりだと、懐かしい記憶が浬の脳内を過ぎった。
「……ただいま」
外面を取り繕えず無表情のまま唇を動かし、顔を背けて大理石の廊下に足を踏み入れる。
背中に注がれる視線をダイレクトに感じながらも、振り返ることなく二階の自室へ目掛けて進んでいく。
するとその途中で、腕を組み、壁に寄りかかる姉の灯が待ち構えていた。どこか声をかけたそうに憐憫な眼差しでこちらを見つめている。
その瞳の奥には、秋吉が向けてきたものと同じように、弟の心情を慮る姉の思いやりが垣間見えた。
京都での大学生活にピリオドを打ち、なす術もなく交際していた女性に決別を告げ、自らの運命を受け入れて清宮家への忠誠を誓い帰ってきた弟――そんなどうしようもない無力感に苛まれた自分を迎え入れるためにわざわざ本家へやって来た姉の憐情を汲み取ったものの、どうしても話しかける気力が湧かず、スッと視線を逸らして無言で横を通り過ぎていく。
対して姉の方は、だんだんと遠のいていく弟の侘しい後ろ姿をただ静かに見つめているだけだった。
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