三人目の敵

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三人目の敵

 大島クルウによる昔話は続く。 「真壁親方は与那原の屋敷から、首里の佐久川の家まで毎日駕籠で稽古に通っておった。殿様じゃからの」  真壁チャーンは身分はトーデ佐久川より上であったが、武術の上では弟子であったので真壁の方から通っていたのである。その際には身分にふさわしく駕籠に乗っていたわけだが、これには逸話がある。  真壁の乗った駕籠は、両側が常に開け放されており、屋敷を出るとすぐに左側から飛び降りる。そのまま動きに合わせて駕籠に飛び込むと、駕籠の内部に一切触れることなく右側に飛び出る。道中ずっと、ひらりひらりと駕籠の内部を素通りして左右に飛び移っていたのだ。 「あれじゃ駕籠に乗る意味がなかろうに」  大島クルウが皮肉っぽく言うと、真壁チャーンは笑顔で応えた。 「確かにそうでしたな。まあ私もまだ若かったし、鍛錬のつもりだったのですよ」  このように真壁はチャーン(鶏)の武名のとおり非常に身が軽かった。  一息で屋根に飛び乗ることができたし、塀などは簡単に飛び越えることが出来た。  また蹴りの名人であり、その技はまさに闘鶏のごとく飛び跳ねては蹴るというものであった。 「儂は真壁チャーンが駕籠を使っていると聞いて、日のあるうちにその駕籠を襲ってやろうと、道中の人気の少ない場所で待っておった。そうしたらやって来たのは空の駕籠を担ぐ駕籠かきと、その周りをひらひら飛び回っている奇妙な男だ。儂はとりあえず駕籠の前に立ちふさがって名乗りを上げたんじゃ」  大島クルウの名乗りを聞いた真壁チャーンは特に驚く様子もなく、駕籠かきに下がるように命じた。  そのうちの一人は走って逃げて行った。人を呼ばれる恐れがあるのでクルウは勝負を急いだ。 「身軽な真壁チャーンに動き回られると面倒と思ってな、とにかく捕まえて動きを止めてからじっくり料理しようと思ったんじゃが、少々考えが甘かった」  大島クルウが真壁チャーンを捕まえようと接近すると、真壁チャーンはクルウの頭上をひらりと飛び越えながら、後頭部に蹴りを入れてきた。クルウは身を伏せて躱そうとしたが、真壁チャーンの速さが一枚上手で痛撃をもらってしまった。前のめりに地面に伏した大島クルウに息をつく暇も与えず、チャーンの連続蹴りが襲う。  大島クルウはこのような跳躍と蹴り技を多用する拳法と対峙するのは初めてであった。  それは大島クルウが福州の手技による接近戦を主体とする拳法を修めたのに対し、トーデ佐久川の一門の流儀は離れた距離から迅速で伸びのある動作で戦うことを得意にする北京の拳法だったからだ。  地面を転がりながら蹴りを躱すが、多少の被弾は免れなかった。このままではやられるのは時間の問題である。 「転がりながらも儂は、真壁チャーンの動きを観察しておったんじゃな。恐るべき飛び蹴りの連続じゃったが、跳躍は着地の際に若干の隙が出来る。そこに儂は地に伏したまま足払いを飛ばしたんじゃ。なかなか決まらなんだが、何度目かの攻撃が当たってな」  真壁チャーンはバランスを崩して派手にひっくり返った。  大島クルウにとっては千載一遇のチャンスである。あわてて押さえつけて身動きを封じた。  こうなれば力では大島クルウが勝る。馬乗りになって上からの攻撃を加えるが、さすがに真壁チャーンは絶妙に急所を防御していた。しかしそれでも完全にはダメージは免れないだろう。 「あと一歩で息の根を止めてやれたんじゃがな、ここで大勢の足音が近づく気配を感じた。案の定逃げた駕籠かきが人を呼んで来たんじゃな。儂もかなり手痛い怪我を負っていたから多人数を相手にするのは少々しんどいのでな、トドメは刺さずに逃走したんじゃ」  しばらく走った大島クルウは行きつけの居酒屋に駆け込んだ。腰を下ろして泡盛を注文する。  一息ついた大島クルウは改めて全身の痛みを感じていた。牛殺しの奥田、真壁チャーンとふたりの強者を打ち負かしたが、彼らに刻まれた爪痕は決して浅くはなかったのだ。 「打ち負かしたって、私たちのはあれは引き分けでしょう」  ここまでの話を黙って聞いていた真壁親方が不服そうに言うと、大島クルウが応えた。 「人がこなければトドメを刺すのは時間の問題じゃったから儂の勝ちだよ。しかしここで儂は油断しておった。奥田、真壁を破れば佐久川の手足をもいだも同然と思っておったんじゃが、もうひとり伏兵が居ったんじゃ」  息をするだけで胸が痛む。おそらくは肋骨を何本か折っているのだろう。首も寝違えたように痛く、手足も動かすたびに痛みが走る。大島クルウは泡盛をあおって痛みを誤魔化そうとしていた。  こうしてかなり酔いが回ってきた頃に三人目の敵が現れたのだ。
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