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松村タンメーの棒
『こんにちは、大島クルウさんですか』
大島クルウが見ると、声の主はおそらく十歳にも満たない年頃の少年であった。色が白く丸みを帯びた幼い顔は、まだあどけない子供のものだ。手には三尺の棒を杖のように持っていた。
『いかにも大島クルウだが、子供がこんな酒場で儂に何の用だ』
『はじめまして、私は松村といいます。トーデ佐久川の弟子です。私と勝負してください』
松村と名乗る子供はにこにこ笑いながらそう言った。
『子供のくせに儂と勝負だと・・松村?もしやあの松村タンメーの孫か何かか?』
近年、トーデ佐久川に弟子入りした松村タンメー(お祖父さん)という大層な知恵者が居るとは聞いていた。門外の者は誰もその姿を見たことが無いが、奥田、真壁が佐久川の両腕なら、松村タンメーは頭脳だと噂されている。しかし年寄りになってから弟子入りした者など、大島クルウはあまり気にしてはいなかった。
『いえ、私がその松村タンメーです。タンメーというのはあだ名なんですよ。どうにも年寄り臭いんでしょうかね。それはともかく勝負していただきたいんです』
噂に聞いていた松村タンメーが子供というのには、さすがの大島クルウも驚いた。
『私は棒を使います。大島クルウさんは棒の使い手だと聞きますから、よろしければあなたも棒をお使いください。では外に出ましょう」
大島クルウはこめかみから汗を流した。見た目は子供だが、確かにタンメーと呼ばれるだけあって侮れない。
このような人の多いところで、棒を使えと言われても子供相手に棒を使えるわけがない。
しかもこちらは全身に傷を負っているし、おまけに多量の泡盛を飲んでいるので足元もおぼつかない。
(この小僧、儂がこのような状態に陥るのを虎視眈々と狙っていたのか?佐久川門下一の知恵者とはこういう事か)
『どうしました?体調が優れませんか?なんなら日を改めても結構ですよ』
そう言われたからといって、はいそうしてくださいとは言えないことを知っている。
松村タンメー、その名の通りどこまでも老獪な子供である。
『ふざけるな。そこまで言われてこの大島クルウ、子供といえど容赦はせんぞ』
酒場から表通り出ると、そこは飲み屋街であるから人通りも多い。
・・・なんだ、大島クルウが棒を持った子供と戦うのか。
そう言って野次馬たちが続々と集まって来た。すべてが松村タンメーの計算通りである。
(くそっ、かわいくないガキだ。しかし落ち着け、冷静になればこの大島クルウが子供に不覚をとるわけがない)
『さあ始めましょうか』
そう言って棒を構える松村タンメーの姿を見て、大島クルウは背筋が寒くなった。
(この小僧、使える。ただの頓智小坊主ではない・・・)
固い木の芯で作った棒(棍)は、日本刀を叩き折る威力がある。
(くそっ!)
大島クルウは素早く跳び込んで、なんとか松村タンメーに接近して棒を奪い取ろうと試みたが、松村の棒はまるで孫悟空の如意棒のように伸縮自在に操作され、的確に大島クルウの身体を打ち据えた。泡盛に酔い、日ごろの半分の速度も出せないクルウの脚では捕らえることはおろか、躱すこともできない。その光景はまるで猫がネズミをいたぶるようであった。
・・・大島クルウが子供相手にまったく歯が立たないぞ。
・・・小僧、やってやれ!よそ者のくせにでかい面している大島クルウをやっつけろ。
野次馬の声援はすべて、子供である松村へのものだ。しかし松村の本性は子供などではない。知恵と武力を兼ね備えたひとりの武士であった。
『そろそろ終わりにしましょうか』
大島クルウを十分に痛めつけた松村タンメーは、そう言うと三尺棒によるトドメの突きを大島クルウの胸に打ち込んだ。大島クルウが地面に音を立てて倒れると同時に、野次馬たちの拍手喝采が聞こえた。
「完敗じゃったよ。意識が戻ってから這うようにして住み家に戻った儂は、それから熱を出して三日ほど寝込んだ。ようやく身体を動かして外に出られるようになったのは半月後じゃ。街に出たら儂の武名は地に墜ちていたよ。子供に手もなく倒された大島クルウじゃ。後ろ指差されて笑われるし、もう睨みも利かん。すぐに銭も底をついて路頭に迷う身じゃ。儂は名誉回復のためには、敵の大将であるトーデ佐久川を倒すしかないと思った」
人づてに聞いた佐久川邸に張り込んだが、まったく姿を見せない。
そこで思い立った大島クルウは、真壁チャーンの屋敷を訪ねた。
「突然、この間闇討ちしてきた人が訪ねて来たからびっくりしましたよ。しかし、一度は手を合わせた武士ですからね、屋敷に上がってもらいました」
日本の階級で言うなら大名に当たる身分の親方である真壁チャーンである。
いかに鷹揚な性格の人物であったかが窺える。
大島クルウは、いちおうは先日の非礼を詫びた。
しかし、その上で、何とか汚名を濯ぐべくトーデ佐久川と手合わせしたい旨を話した。
「私にそんなこと言われても困るんですけどね、幸いなことに佐久川先生は松村と共に北京に渡っていました。佐久川先生は松村の才能を大いに買っておられましたから、北京で共に修行することにしたのですね」
「その話を聞いて儂は落ち込んだよ。汚名を濯ぐにも相手がおらん。儂にはもう北京に渡る銭も気力も無かった。その様子を見た真壁親方が同情してくれての、いろいろ世話を焼いてくれてチルー、お前の父親を紹介してくれたんじゃ。そうして芭蕉園の番人になって早十五年・・・長い話じゃったな」
大島クルウと、奥田、真壁、そしてトーデ佐久川といった伝説の武士たちとの因縁を理解した与那嶺チルーは言った。
「先生、師の恥は弟子が濯いでもいいですよね。あの世に居るトーデ佐久川は無理でも、その松村タンメーという子供、今は大人になっているでしょ?私、そいつを倒します」
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