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泊での復讐と出会い
琉球王国は、古くより貿易立国であり、特産品のサトウキビ等を薩摩に輸出し銀を得て、中国からは生糸や薬、その他の生活必需品などを輸入していた。また日本から輸入した物産を中国に輸出するなど多角的に貿易を展開し、その他にも朝鮮や東南アジアとも盛んに交易していた。
そんな琉球において、泊の港は王都である首里と陸路、河川の水路ともにアクセスが良かったため、かつては非常に栄えた港であったが、19世紀初頭にはすでに貿易港としての機能の多くが那覇の港に移されていたため、以前ほどの賑わいは失われていた。しかしそれでも琉球王国第二の港である。また泊は中国や朝鮮からの漂着民を収容する居留地でもあった。
宗久親雲上はその泊の行政機関である泊地頭の高級官僚であり、主に荷役と漂着者の管理と村の治安維持を管轄していた。現在でいうならば、税関と入管と公安を兼ねたような役職であろうか。そしてここ三年ほどはその仕事の一部を、次男である武太に任せていたのである。
「武太さん、やたら綺麗な娘っ子があんたの事、訪ね歩いてましたぜ。武太さんも隅に置けねえなあ。どこかで弄んだ娘じゃねえですか」
泊の港湾地区を見回る武太に、日に焼けた荷役作業の男が声を掛けてきた。
「娘?ふーん、誰だろうな」
最近は真面目になったとはいえ、もともとが女好きで男ぶりも金回りも悪くない武太である。ひとつやふたつ、いやもう少し身に覚えがないわけではない。
「どこに居た?」
「へえ、あっちの方に」
泊の港に入る船の乗組員はすべて男であり、荷役など港で作業するのも男だ。現在の港湾地区では女性の船員や作業員も珍しくないが、昔は港は男の仕事場だったのだ。つまり女が居れば非常に目立つので探し回るほどでもない。
(ああ、あれだな)
倉庫になっている建物の陰で、荒っぽい男どもが5名ほど、鼻の下を伸ばしてひとりの若い娘を取り囲んでいる。
娘は華やかな柄の赤い着物を着ているが、その着物の丈がやけに短い変わった装束である。その娘はにこやかに男たちと談笑している様子であった。武太はその場に歩いて近づいた。武太に気付いた男のひとりがこちらを見て言った。
「ああ、武太さん。この子があんたに用があるそうですぜ」
男たちに囲まれていた娘がこちらを見る。その驚くほど美しい顔立ちに、武太は見覚えがあった。
「お・・お前は・・」
娘はにっこりと笑みを浮かべた。
「忘れてはいなかったのね、お久しぶり。武太さん、会いたかった」
武太は大声で叫んだ。
「お前ら!この女を取り押さえろ!早く」
先ほどまで楽しく談笑していた娘を取り押さえろと命じられた男たちは、一瞬きょとんとした表情をした。
しかし、その娘・・与那嶺チルーの行動にはためらいがない。
一陣の疾風のようにチルーが5人の荒くれ男たちの間を通り抜けると、それぞれ急所に正確な当身を食らった男たちは皆、声も無く地面に崩れ落ちた。そのまま継ぎ目のない流れの動作で、チルーは相撲ののど輪のような手で武太を建物の壁に押し付けた。これで武太は大声を上げることができない。
怯える武太の目の前にチルーの、この世の者とは思えぬほどに美しい顔があった。
ただし、その瞳はハブの目のように冷たい。
「ほんとうに会いたかったのよ。いつかのお礼がしたくてね。お兄様はお元気かしら?」
「う・・うっ・・兄貴は、福州に居る。なあ、あの時のことは悪かった・・許してくれ」
そう言った武太の顔面にチルーの肘当てが入る。殺さぬよう手加減しているが、それでも鼻骨が折れている。
「あら、お鼻が曲がっちゃったね。男前が台無し。あのね、許してって許せると思う?私の大事な妹を辱めようとしたのに」
「・・すまなかった・・でも、あの時は最後までやってねえんだから・・頼む・・もう許して・・ぎゃっ」
「あら、今度は耳が半分千切れちゃった。あのね、今あたし迷ってるの。こうやって耳と鼻と、ついでに悪さする部分をもぎ取って、それで生かしておこうかしら?それともひと思いに殺してあげようかしら?どっちがいい?武太さん、選んで」
その時、チルーの背後から男の声がした。
「もう許してあげたらどうですか」
チルーは激しく驚いた。
(背後を取られるとは不覚!でもまったく気配を感じなかった)
チルーは武太の喉に掛けた手を離すと、その手を手刀にして背後の男の首筋に向けて打ち込んだ。
それは素早い動作であったが、背後に居た男はその手刀を掛け手で受けて、そのまま手首を掴んだ。
チルーはその手を振りほどこうとするが、岩に挟まれたようにビクとも動かない。
(これはまさか、八加二帰八握力法?)
チルーの手首を掴んでいるその男は、白い中国服を着た華奢で色白の若い男であった。
(漂着人か?)
その中国服の男が武太に向けて言った。
「そこの君、こうしているうちに早く逃げなさい」
我に帰った武太が慌てて走り出す。
「あっ、待ちなさい」
これだけ痛めつけられた武太が、待てと言われて待つはずもなかった。せっかく見つけた復讐の相手を逃がされたチルーは怒りに震えていた。
「あんた、こっちの事情も知らないくせに、なんてことしてくれたの」
「どんな事情かは知りませんが、目の前で無抵抗な者が痛めつけられているのを黙って見てはいられません。それよりあなたも早く立ち去った方がいい。泊の役人を痛めつけたんだから、まもなく人数がこちらに来ますよ」
確かにこの男の言う通り、今はこの場を離れた方がいい。
「じゃあこの手を離してよ!もう攻撃しないから」
「ああ、ごめん。手を離すから本当に殴らないでくださいね」
そう言って男はチルーの手を離した。
あれほどビクとも動かなかったのに、掴まれていた手首にはまったく痛みが残っていない。
チルーは男を睨みつけて言った。
「あたしの名は与那嶺チルー。あんたも復讐の名簿に載せてあげるから名乗りなさい」
「それはどうも。私の名は松村宗棍。あなたが与那嶺チルーさんですか。噂どおり美しくて強い。いつかこちらから会いに伺いますよ。だから今は君も早くここを立ち去って。ではまた」
そういうと松村宗棍と名乗った若者は、中国服の裾を翻して足早に走り去った。
(松村宗棍・・・強い。大島クルウ先生以外では、これまで出会った誰よりも強い。いったい何者?)
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