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強敵と馬鹿者と邪恋の男
翌日のウガンジュの広場には、11名ものチルーへの求婚者 (つまり挑戦者)が集まった。それぞれが十分な家柄の武士たちである。
もちろん見物人も多い。最近では嫁取りチルーの掛け試しは、かなりの人気イベントなのだ。
「本日より、この掛け試しはまず、求婚者の皆様同士による乱戦をしていただきます。最後まで勝ち残った方に後日、チルーと掛け試ししていただく。求婚者が殺到しておりますゆえ、ご了承ねがいたい」
乱戦とはすなわち、11名全員が自分以外すべて敵という状況で闘うということである。これはプロレスのバトルロイヤル(バトルロワイアル)のルールに似ているため、近年では俗に『嫁取りバトルロワイアル』と呼ばれている。
11名の武士たちは、驚いてお互いに顔を見合せた。見物人もざわついている。
その見物人に混じって、にやにやと笑っている松村宗棍の姿をチルーは見逃さなかった。
(ほんとうに楽しそうね、松村宗棍。嫌な奴)
11名は覚悟を決めて、それぞれ闘志を奮い立たせていた。頃合いを見て、チルーの父が試合開始を告げる。
「では、そろそろ始めてください」
しかしそのとき。
「少しお待ちください」
そう言いながら、見物人を割ってウガンジュの広場に入ってきた男が居た。
身の丈六尺近い大男だが、身分の高い武士の服装である。
「間に合ったかな?今からでも嫁取りに参加できますかね」
「あなたは一体どなたですか?」
チルーの父が尋ねる。
「私は那覇の具志堅親方寛永です。身上書をお持ちいたしました。おお、あなたがチル-殿か。噂に違わぬ美しさだ」
具志堅親方はチル-に目を向けて言った。
親方といえば、日本における大名にも匹敵する上級武士である。これは断ることはできない。
具志堅親方の名を聞いた11名の武士たちの間に動揺が広がった。街中で暴走し、子供を踏み殺しそうになった暴れ馬を親方が組止めて、その首を手刀の一撃で叩き折った武勇伝は琉球中に鳴り響いていたからである。
(具志堅親方!ついに大物がてできたね。さあ、どうする松村宗棍。いつまで高見の見物を続けるつもり?)
チルーが目をやると、松村宗棍の顔からにやにや笑いが消えていた。
「わかりました。では、具志堅親方を交えて乱戦を開始いたしましょう。始めてください」
チルーの父が合図したときには、先の11名の武士は言葉を交わさずとも、意思が通じあっていた。
まずはこの具志堅親方という怪物を排除しない限り、彼らにはチャンスが無いのだ。
つまり11対1の戦闘である。
親方の背後に回り込んだ三人が腰と両腕にそれぞれ組み付いた。まずは動きを封じる戦法だ。
しかし、親方が軽く身体を旋回させると三人は大きく投げ飛ばされ、地面に打ち付けられた。
親方はうつ伏せに倒れた男の背に飛び乗り踏み台にして、大きく跳躍すると近くに居たひとりの敵の腰骨のあたりに飛び蹴りを入れて、さらにその反動で空中を飛んで二間(約4m弱)ほど離れたもうひとりの敵の顔面を蹴り倒してから着地した。つまり空中を三角形に飛んで移動しながら敵を蹴散らしたのである。
(これは・・三角飛び?)
三角飛びは劇画などでもよく登場するため、架空の技と思われがちだが実在の技だ。有無手、八加二帰八と並んで空手の三大秘技に数えられた技である。チルーもこの技は大島クルウから伝授されていたが、具志堅親方の三角飛びは飛距離が尋常ではない。三角に飛ぶと言っても、現代の寸法換算で一辺1~2m以内ならば、それほど難しくはない凡技である。しかし、3~5m飛べるならこれは霊技と言って良い技だ。
(すごい、大島クルウ先生以外で本物のトーデの使い手を初めて見た)
チルーは図らずも心が躍っていた。チルーの身体に宿る戦士の血が、好敵手の出現に歓喜しているのであろう。
わずか数秒の間に、すでに5名の武士が地面に倒れている。
残る6名は必死に身構えているが、その心境は屠場に引かれて来た豚の群れのようであったろう。
その武士たちを見回しながら、具志堅親方が言った。
「なんとも非力だのう。これが琉球の武士とは情けない」
チルーもまったく同感である。
ここで3人の武士たちがお互い目配せをして、同時に攻撃してきた。窮鼠猫を噛むような攻撃だが同時攻撃は最善の策であったかもしれない。相手が具志堅親方でなければだ。
親方は左方向からの蹴りと、右方向からの突きを手刀で受けた。真ん中の敵による腹への攻撃は無視している。
当て力の弱い突きなど、いちいち受ける必要など無いからだ。
「うぎゃあああっ!!」「ぐああっ!」
受けられたふたりは悲惨であった。その腕や脚は強力な受けによってあり得ない方向に曲がってしまったのだ。
「ありゃ、しまった。強く受け過ぎたか・・・しかしそれでも武士か?脆い身体よのう」
またしても同感である。チルーは具志堅親方にかなりのシンパシーを覚えていた。
「さて、残りは4人か」
具志堅親方がぐるりと見回すと、あまりの惨状に呆然としていた4人が慌てて地面に頭を押し付けるようにひれ伏した。
「参りました、私共のとても及ぶところではございません」「何卒ご勘弁を」
このような結果で本日の乱戦試合は終了し、具志堅親方がチルーへの挑戦権を獲得したのである。
チルーとその父に挨拶を済ませた親方は早々に帰って行った。忙しい身のようである。
チルーは帰路に就く見物人たちの中から松村宗棍を探し出して、珍しく自分から話しかけた。
「ねえねえ松村宗棍、観てた?やっと本物に出会えたよ。具志堅親方、拳を交える日が楽しみ」
松村はいつになく浮かない顔をしている。
「まさかなあ・・具志堅親方が本当に出て来るなんて思わなかった」
齢三十を過ぎてほとんど浮いた噂の無かった具志堅親方であった。松村は親方は女嫌いなのであろうと高を括っていたのである。
「うふふ・・あんたもう遅いよ、今さら出てきても。明後日には親方と一対一の掛け試し。楽しみでもう眠れない」
チルーは松村の少し前を歩きながら小躍りしている。
そのチルーに松村は言った。
「君は、もしも具志堅親方に負けたなら、親方のところにお嫁に行くのかい?」
「もちろんそうよ。そのための掛け試しだもの」
「・・・・・」
それから松村宗棍は黙って、うつむき加減に歩いていた。
少し先を歩いていたチルーは突然くるりと振り返ると、松村宗棍の前に立ちふさがり下から顔を覗き込んだ。
すぐ目の前にチルーの大きな瞳が現れた、その美しさに松村宗棍は思わず息を呑んで立ち尽くしてしまった。
「うふふ。あんたがそんな戸惑った顔してるの見るの初めて。いつもとぼけた余裕の顔してるからさ」
チルーは悪戯っぽく笑った。
「どうした?松村宗棍。あたしのことが惜しくなってきた?いつもの余裕はどうしたのさ」
「そんなんじゃ・・いや違う。ごめん、私は間違っていた。馬鹿者だったよ。そうだよ、惜しくてたまらないさ」
この反応はチルーには予想外だった。いつもすかして混ぜっ返してくる松村宗棍が、心底悔しそうにして狼狽えている。そしてどうしたのだろう。その様子を見たチルーの心臓は激しく鼓動していた。
「松村宗棍、あのさ」
「・・・何?」
「あたし、負けないから。絶対。あんたと闘うまでは絶対負けない。それまで首洗って待っていて。じゃあね」
夕日に照らされた道をチルーが小走りで遠ざかるのを、松村宗棍はいつまでも眺めていた。
しかしふたりは気づいていなかった。遠くからチルーを見つめるもうひとりの目があることに。
「与那嶺チルー・・以前にも増して美しくなったな。今度こそお前を俺のものにしてやる」
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