入門試験

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入門試験

「なに?トーデを習いたいと」  芭蕉園の小屋を訪れたチルーの申し出に、大島クルウは少し驚いたように尋ねた。 「はい、泊の悪党兄弟との一件で、私は自分の無力を悟ったのです」 「いや、しかしのう・・チルーちゃんはすでに与那原では男でも敵う者がない強さじゃろう。女がそれ以上強くなってどうするんじゃね」  大島クルウはチルーの父親より、チルーの剛力ゆえの縁遠さの悩みを何度も聞かされていたのであった。 「それにトーデは危険な剛術じゃ。ゆえに琉球では女にトーデを習わせた例は無いのだ」 「本唐(中国)では女のトーデの達人の話がいくつもあると聞いています」 「むう・・・」  食い下がるチルーに、大島クルウは非常に困惑していた。  そしてしばらく考え込んだ末に、大島クルウはひとつの提案をした。 「よしわかった。ではまず試験を受けてもらおう。トーデを身に付けるには、特別な素養が必要じゃ。いいかね」  チルーの顔がぱっと明るくなった。 「はい、ぜひ受けさせていただきます。何をすれば良いのですか」 「まず両手をこちらに差し出してごらん」  言われた通りにチルーが両手を差し出すと、大島クルウはその両手首を上から握った。 「儂が握ったこの手を、チルーちゃんが振りほどくことが出来たら合格じゃ。やってごらん」 (それだけのこと?)  チルーにとって、それはあまりに簡単な試験に思えた。  いかにトーデの達人とはいえ、大島クルウは痩せこけた老人である。  しかもチルーの両手首を握る手には、ほとんど握力が感じられないのだ。 「では、いきますよ」  チルーは声を掛けてから、自分の両腕に力を込めて振りほどこうとした。 (・・・あれ?)  しかし、どうしたわけかチルーの両腕は、まるで巨岩に埋め込まれたかのようにビクとも動かなかった。  驚いたチルーは大島クルウの顔を見たが、平然としていて特に力を入れている様子もない。  そこでチルーは腕をねじ上げようとしたり、引き抜こうとしたり様々な方法を試みた。  しかしやはり、その腕はビクとも動かすことが出来なかったのである。 「どうしたね?やはり女にトーデは無理なようじゃのう」  実はこの時、大島クルウはただ軽く手首を握っているように見せかけて『八加二帰八握力法(パイカジャキヨパイ)』というトーデの秘術を密かに用いていたのである。この握力法で握られれば、いかに力のある者でも振りほどくことは出来ない。要するに大島クルウは、チルーの望みを諦めさせようとしていたのだ。 (うーん、どうしよう・・そうだ、よし)  どうやっても腕を動かすことが出来ないことを悟ったチルーは、自らの腕に力を込めて固定したまま一度深く腰を落とし、そして立ち上がった。 「ん・・なんじゃ・・」  大島クルウはチルーの力を少々侮っていたことを知った。自分の両足が床に着いていないのだ。  つまりチルーは両手首を掴ませたまま、大島クルウを身体ごと持ちあげたのである。  与那嶺チルーには、かなり晩年になっても五斗俵(約75kg)を左手で目の高さまで吊り上げて、もう片方の手に持った箒でその下を掃除していた、という逸話が今日も沖縄に残っている。ならば若き日のチルーにとっては、痩せた老人を両手で持ちあげることなど容易かったであろう。 「えいっ」という声とともに、チルーは大島クルウを床に叩きつけようとした。  怪力で床に叩きつけられては、無事では済まない。  大島クルウは、空中でくるりと身を翻して足から床に着地した。 「おじさん、両手が離れましたよ」  チルーが花がこぼれるような笑顔で言った。 「うむむ・・・しまった・・・」  身の危険を感じて、思わず手を離してしまったのである。 「おじさん、わたし合格しましたよね」  思惑と異なる結果であるが、約束したのは事実である。 「うむ。合格じゃ」 「やったー!」  チルーは両手を挙げて喜ぶ。  そのチルーに、大島クルウは厳しい口調で言った。 「トーデを教えるのにあたっては条件がいくつかある。よく聞きなさい」
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