真壁チャーンの来訪

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真壁チャーンの来訪

「先生、ただいま戻りました」  辻での三人相手の掛け試しを終えたチルーは、家ではなく大島クルウの小屋に戻ってきた。  小屋に入るとそこには、大島クルウの他にもうひとり老齢の男が座っていた。   (客人?珍しい。この三年間で先生を訪ねてきた客なんて初めてだ。でもこの人見覚えがある) 「おお、戻ったか。今日は古い友人が訪ねてくれていたんじゃ。お前も名前くらいは知っておろう、こちらは真壁親方じゃ」  その名を聞いたチルーはかなり驚いた。  見覚えがあるはずである。真壁親方(親方とは上級武士の位階)とは、この与那原出身の名高い武士である。  トーデの達人の真壁チャーン(あるいはチャーングワー)と言えば琉球中で知らぬ者は無い武名である。 「はじめてお目にかかります、与那嶺チルーです」  伝説の武人を前にして、さすがのチルーも畏まって挨拶をした。 「おお、彼女が噂の与那嶺の女武士ですか。大島先生も大変な弟子をお持ちですな。いや挨拶が送れた、真壁です」  身分は高いが腰の低い物言いの真壁チャーンであったが、にこやかな面持ちでありながらその目には鋭さを秘めているあたり、ただの老人ではない。しかしこのような身分の高い武士と、大島クルウが友人関係とは意外である。 「実は真壁親方は、今日は訃報を知らせに来てくれたんじゃ。本唐に渡っていたあのトーデ佐久川が亡くなったらしい」 「あのトーデ佐久川ですか?先生はお知り合いだったのですか?」  真壁チャーンの次はトーデ佐久川である。伝説の武士たちと、こういっては悪いが芭蕉園の番人に過ぎない、しかも流れ者であった大島クルウとの接点がわからない。 「知り合いというかの・・・宿敵であった。いずれ雌雄を決するつもりだったのに、実に無念じゃ」 「宿敵?」  チルーの反応に、おやおや・・と真壁チャーンは意外そうな顔をした。 「与那嶺殿は先生から我々の因縁をお聞きになっておらんのですか。大島クルウといえば我ら佐久川一門にとって最大の宿敵ですよ。大島先生、この機会ですからお弟子さんに話して聞かせてはいかがですかな」 「まあ別に儂も隠しておるわけじゃないからのう。いいじゃろう、昔話じゃ」  大島クルウは話始めた。 「儂は大島の船乗りの倅じゃった。身分の低い出自ではあるが志はあっての、武士になりたくて幼い頃より我流で武術の真似事をしておった」  長じて船乗りとして琉球の泊に渡ったクルウは、そのまま中国や朝鮮からの漂着者の居留地に住むようになった。 「そこで漂着者たちからトーデの手解きを受けたんじゃ。儂には天賦の才があったのじゃろう、すぐに泊では相手が居なくなるくらいの腕前になった。しかし、それだけではまだまだ武士になることはできん」  若きクルウは様々な手段を用いて、なんとか中国行きの船の船員となった。彼の地に渡ると福州(福建省)に留まり、師を得て拳法と棍法(棒術)を学んだ。  数年の修行の後、師より全伝を授かったクルウは、いよいよ志を果たすため薩摩に渡る。  大島クルウと名乗り始めたのはこの頃からだ。大島は出身地から、クルウとは島の言葉で『黒』という意味である。日焼けした船乗りだったので、昔からそう呼ばれていたのだ。 「薩摩ではとにかく大島クルウの武名を高めねばならんと思ってな、棍棒片手に町道場に片っ端から乗り込み、試合を申し込んで回った。まあ道場破りじゃな」  町道場ではクルウは無敵だった。強敵を求めていただけに、いささか拍子抜けしたほどだ。  若きクルウは薩摩に来て、とにかく戦って勝ちつづけ、武名さえ高めれば仕官の道が開けると単純に考えていた。  しかしいくら戦っても、何人の剣術家を打ち負かしても一向にその気配はない。 「町道場でいくら勝っても駄目なんじゃ。もっと身分の高い、名のある武芸者を倒さねば」  しかし藩に属するような名のある武芸者は、大島クルウのような素性の怪しい者など相手にしないのである。  結局、薩摩では仕官の道も見つからず、失意のクルウは琉球の泊に戻った。 「琉球に戻った儂は、こうなったら琉球で一角の武士になってやろうと考えた。しかし琉球においても強いといわれる武士は身分の高い者ばかりじゃから、儂のような身分の低い者は相手にされんだろう。そこで儂は筑佐事(今でいう警察官)を襲ったんじゃ。筑佐事なら皆、腕の立つ武士のはずじゃからな」 「先生、それはムチャクチャですよ」  自らも通り魔のような掛け試しをしているチルーですら呆れる話である。 「確かに無茶苦茶だったな。しかし今から15年ほど前の事で、この頃儂ははすでに40過ぎじゃったが、それでもまだ若く軽率だったのだ。まあとにかく思惑通り筑佐事は相手してくれたからな、儂はここぞとばかりに戦った。しかしのう・・筑佐事もまったく歯ごたえが無かった。どうやら儂は強くなりすぎたようじゃった」  もしかすると、自分はもはや薩摩でも琉球でも無敵なのかもしれない。  ならば自分こそが最強の武士といえるではないか。  こうしてクルウは、大島の武士クルウを自称して大手を振って那覇の町を闊歩した。  もう筑佐事も、クルウに立ち向かうことは無かった。ヤクザ者もクルウには道を譲った。  どんな揉め事でもクルウが口を利くだけで収まり、懐には銭が入る。  女には不自由せず、酒と美食にも明け暮れた。 「まあ今にして思えば、武士などとは程遠い街のならず者だよ。さすがに目に余る振る舞いだったから、大物の武士が動いたんじゃな。それが件のトーデ佐久川じゃよ」  トーデ佐久川は門弟たちに命じて、大島クルウを追い回した。  佐久川の一門はさすがに筑佐事とは比べ物にならぬほど皆トーデが強い。  辛くもクルウは追跡を躱していたが、だんだん腹が立って来た。 「向こうがその気なら、儂はこっちから攻めてやろうと思ったんじゃ。トーデ佐久川には奴の両腕と称されるふたりの高弟がおった。まずはその両腕をもぎ取ってやろう、佐久川にじわじわと恐怖を与えてやろうとな。佐久川の腕のひとりは牛殺しの奥田じゃ」  奥田は身の丈六尺の大男で、剛腕で知られていた。その当て力は猛牛を一撃で殴り殺したほどである。  大島クルウは夜道で奥田を急襲した。  しかしさすがにトーデ佐久川の片腕だけあって、これまでの対戦相手とは桁違いの強さであった。  牛殺しの剛拳をたとえ一発でも貰えば、命が危ういところである。   「ただ幸いな事に、力ではまったく敵わなんだが、速さでは儂がわずかに上回っておった。猛攻を躱され続け疲労を見せた奥田の隙を突いて、コメカミに一本拳(コーサー)を叩きこんでやったら、どうと倒れよった。なんとか勝ちを拾った儂が住み家に帰って我が身を見ると、全身痣だらけじゃった。恐ろしい相手じゃったがうれしかったよ。これほどまで儂を苦戦させる男などおらんかったからな。これほど強い弟子を持つトーデ佐久川とはいかほどの使い手かと思うと、胸が高鳴ってまるで恋する乙女のようじゃったな。ははは」  大島クルウは顔を皺だらけにして、愉快そうに笑った。  それにつられて苦笑しながら、真壁チャーンが言った。 「そして次の日、大島クルウが狙ったのはトーデ佐久川のもう片方の腕、つまり私だったのですよ」
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