精霊王が死んだ

2/19
前へ
/19ページ
次へ
「考えてみれば、毎日空気の良い場所で葡萄酒が飲めて働かずにのんびりすることができるなら、それは街であくせく働く労働者にとっては天国のようなものだ。まあ……この天国に文句があるのなら、家畜のような糞便の後始末の方法と、毎食が渇いた干し肉か、無味乾燥の小麦粉を焼いた物を食べねばならないということかな。ふふふ、死にたくなるよ。これが死刑待ちの囚人の感想とするならば、これは……君達が私に死を望ませようとしているのかね?そうならば、これらの環境は全く正しく作用していると言えるな」 精霊王が死んだ日から七日経った日の事だ。客人が来た。挨拶もなく入り口で佇んでいる一行に軽口を叩きながら後ろを振り返ると、渋い顔をした見知った男と、数人の衛兵。それに妙な客人がいた。 その客人には特徴が沢山あった。まず、変わっているのはドワーフのような低身長に、エルフのような長い耳、それから体を覆う様な長い白髪と、長い白髪。白。体毛が白なら着ている物も白いローブであったので、その老人は煤けた岩牢の中に在って、大変異質な存在に見えたし、人型ではあるがけして人ではないオーラがその客人から伺えたのである。客人はネイブと名乗った。 渋い顔をした男をハンスはよく知っていた。この国の大臣だった。ハンスがこんな岩牢に閉じ込められる前は彼と毎日琥珀の国の王宮で顔を会わせていたからだ。 ハンスの正式な名前はハンス・ヘルデゲウス侯爵、嘲り混じりの二つ名は【平民侯爵】と言った。 前述の通りに彼は捨て子である。汚い路地の突き当りにある、薄汚れた孤児院の前に彼は捨てられていた。ハンスという名は孤児院の院長が思いつきでつけた名だ。大きくなるまで彼はそこで育ち、男の体に育つ頃、彼は己の容姿の力に気が付いた。彼の眼差しは女性を釘付けにすることが出来た。彼の声は女性を虜にすることができた。そしてそれを自覚した彼は商売を始める。 いわゆる、ジゴロというやつだ。 手始めに少し年上の洗濯屋の姐さんをたらしこんだ。二番目は洗濯屋に来ていた貴族の屋敷のメイドだ。そいつをたらしこんで、貴族の家に下男として入り込んだハンスは大貴族の奥様に気に入られたのだった。当時は二十歳にもならないハンスであったが、女の扱いは同い年の男なんか及びもしないほど慣れていたし、その頃には数多の女を抱いていた。 貴族の奥様はハンスよりも二十は年上で、さらに大貴族様はその奥様よりもう二回り年上で、もはや奥様と愛し合う事ができなかったのだ。そこで見目好いハンスが選ばれた。四十過ぎの奥様は非常に性欲が強く、また大貴族も奥様の性を開花させたのは自分で、その性欲を自分が満たしてやれないのを大いに悔やんでいた時に、奥様がハンスを気に入った。見目良く、頭も切れるハンス。それに下半身についている男性器も雄々しく、猛々しかった。大貴族様と奥様には息子がいなかった。そこで、ハンスを義理の息子にしたのだった。 そして四六時中、仲睦まじくこの家族は寝室にこもり、ハンスは大貴族様の目の前で大貴族様の愛ある指導を受けながらせっせと奥様を喜ばせたのだった。 五年後に大貴族様は亡くなった。彼の名はシュリンゲル・ヘルゲデウス侯爵、五つある爵位の内の上位二番目に位置する爵位を持っていた。彼はハンスと奥様を寝室に呼び、ハンスにこう告げた。 「お前がいるおかげで随分楽しませてもらったよ。どうだ、ハンス。私の名を継いで侯爵になる気はあるかね?もちろんそれは……」 「もちろん奥様も私がいただくとしましょう。奥様が死ぬまで私が存分に抱いて差し上げますから……。旦那様はご安心ください」 ハンスが奥様の肩を抱いてそう応えると、大貴族様は満足そうに息を引き取ったのである。 そうして【平民侯爵】ハンス・ヘルゲデウスが誕生した訳だが、とにかくハンスはハンサムだった。若かりしハンスは自慢のビロウドのような毛並みの黒髪を腰まで伸ばして一つにくくり、背中に垂らしていた。長身の体は程よく筋肉がついていた。逞しくもなく、貧相でもない。女を抱くためだけに、女に奉仕するために必要な体躯を維持しているハンスにとって琥珀の国の社交場は実に素敵な狩り場であった。 純粋培養された貴族の娘に、性に奔放な貴婦人。つん、とすましている癖に少し優しくしてやれば簡単になびく令嬢。 あらゆる女を、ハンスは抱いた。 手に口づけ、足を舐め、少女の純潔を奪い、男日照りの女の渇きを思う存分癒してやったのだ。ハンスはいくら【平民侯爵】とあだ名をつけられ、陰で【女に媚びて公爵になった捨て子】と言われても平気だ。なぜなら、事実だったからだ。別に、とハンスは目を細めて思った。 (別に、なんにもいらないさ) 名もなく、親もいない子供だったが。 随分楽しく過ごしてきた。恵まれた体躯と顔が、女を喜ばせる。口づけをする、胸を吸ってやる、そしてお前の体を見ていたら興奮したよ、と言って屹立した男根を見せてやれば女は喜ぶ。 そして、なにか見返りを。 彼に手渡すのだ。 彼は女が好きだった。美しいから。何かくれるから。 彼はなにも与えない。奉仕はする。だが、与えない。 女は与える。彼を愛する。彼は愛さない。女を愛さない。 女達はそれでよかった。ハンスもそれで良かった。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

23人が本棚に入れています
本棚に追加