しじまの啼く聲。

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「………」 「………」 「なんだ」  ふい、っと。 「………」  侑菜が風呂場で汚れを落としている間、対面。炬燵に温まり、ちょこんと座っていた冬乃はじっと祖父のことを見つめていたが、尋ねれば顔を逸らすような彼女に男は手を焼いたように唸る。  何を考えているか分からない子だ、自分に似ているとは言わないが、物静かな子と二人きりというのも、慣れない気まずさが場を支配する。 「みかんでも食べるか」 「ううん」 「そうか」  ガラリ、と浴室の扉が開いた。唐突な物音に、やはり男は過敏になってしまいながら。 「おじいちゃあん!」 「……今度はなんだ」  ため息を吐きながら浴室へと寄る。冬乃もとことこと着いてきたようだ。 「おっきいタオルないよ?」 「……? ああ、そんなもんはない」 「えええええ?」  一般的なサイズのフェイスタオルを差し出す。侑菜にとっては、普段使っているような大判のバスタオルでもなければもこもこでもない年季ものに不満げで、ぶるるるると唇を弾くようなため息の吐き方をした。  男は無言で少し寂しそうな顔をする。 「よし! かわいた!」 「風邪引くぞ」  服も着ぬまま。冬場であるというのに。  雫もぽたぽたと垂れている。足裏も乾いていないから、木床に侑菜の小さな足跡が残る。祖父は気難しそうに息子から預かった着替えを持って渡しながら。 「ん!」  彼女はぱっと振り返ると、両手をYの字に広げて待った。祖父は戸惑いを覚えながらも誠実な対応を心掛ける。 「……なんだ?」 「ん!」 「……着させろと言っているのか?」 「うん!」 「………」  手のかかる甘えたがりだ。男は少しだけ目を細める。  放任主義だと自称するように、息子が幼少の頃から世話を妻に一任していたような男は、今改めて経験する孫とのコミュニケーションに内心四苦八苦としていた。  服を着せていく。侑菜は満足げな顔だ。  慣れない行為ではあるが、次第に祖父も強張った顔を紐解いていく。 「ありがとう! おじいちゃん!」 「靴下がまだだ」 「ええー?」 「裸足は寒いぞ」  座らせる。これさえ自分でしようとしないとは、それだけ可愛がられているという証であろうが、息子に何かを言うべきか。  とそこまで考え、やはり孫が相手ともなると、歴年の主義と言うものも弱まるものなのだろうかと感じた。 「夕食は鍋にするか」 「わーい!」  冬乃はいつの間にか、祖父の後ろを常に着いてくるようになった。  ――日が落ちていく。 「夜は出歩くなよ」 「うん!」  テレビを消す。寝室へ移動し、姉妹の分の布団を敷く。  自らと姉妹で当然別部屋だと思っていたが、ごねられた末に同室に。電気を消すのも嫌だと言われ、男にとっては全く熟睡出来ない晩を迎えることになる。  これだからこの多い部屋数を持て余すことに繋がるのだろう。  そうして今日見つけたように、前の家主の物品なども未だに残ってしまっているのだと、その日一番深々しい嘆きのようなため息を男は吐いた。 「おやすみなさい」 「おやすみなさい」  侑菜と冬乃が述べて眠る。どうせ電気を消さぬならばと、男は老眼鏡をかけての読書に勤しんでいたが、その集中力も三十分と持たず男も床に就いていた。  ストーブの熱が部屋全体に蔓延した冷気を押し出すように塗り替える。昼間の騒がしさとは打って変わり、波紋一つも打ち広がらない湖面の静寂を思わせるほど音が消えてしまった夜。  いつもの夜。いつもの夜と同じのはずだ。  ――何かのコエが聞こえた気がした。  男はすぐに、これは鹿の鳴き声だろうと判断しながらも妙な気掛かりを覚えてしまう。何故なら続けて、まるで遠くの木がへし折れたような重低音と森のざわめきを感じ取ってしまったからだ。  その違和感にも訝しみながら、明るい部屋で時計を眺む。日が登るのにはまだ少し早いが、いつも猟に出る時間には近い。  男は少しの気の迷いの後、のっそりと体を動かしてその日一日を開始した。  姉妹はすやすやと眠っている。こうしてみると大人しいもので、侑菜の姿には物珍しさすら感じられる。 「んぅ……?」  寝顔を見つめる。愛らしいものだ。  口元の綻びを隠すように、肌寒さから咳をしながら。  男は支度をして家を出た。  軽トラックに乗り込む。私道を降りていく。  この暗闇では、目視したところで軽トラのハイビームから外れた右手側の森の奥を知ることなどは出来ないが、運転中。脇見のようにそちらを眺めてしまうのは、癖のようなものだった。  だからだろう。普通なら、普段なら、あり得ないはずのキラリとした……  懐中電灯のような光が、森の奥地から一瞬伸びたのを男は見逃さなかった。  男は訝しみ軽トラックを停車させる。誰かがいるのかと疑問に思いながら降りる。  この山は男の土地だ。私有地で立ち入り禁止としており、こんな時間に誰かがいるようなはずもない。人がいるのは不自然にすぎる。  とはいえ警察を呼ぶこともなく、男は様子を見に行った。  ここは狩場でもないことから、不用意に持ち出すことのできない猟銃は荷台に置いて、懐中電灯を手に持ちながら、男は森の深部へと入っていく。  それが後ほど、後悔することに繋がるとも知らず。  ――隠せない騒がしさだ。  無論、静かではあるのだが、何十年もこの時間帯の森の静けさを知っている身としてはあまりにも雑音が多い。  光の主は、チラチラと、時折木々の隙間からその光を洩らしていた。  男はがさりがさりと遠慮のない足取りで接近する。こちらに気付いたらしい。  逃げようとする不法侵入者に対し、間髪入れずに男は。 「何者だ!」  大きく声を張り上げた。  距離にしてはまだまだ遠い。相手が男か女かも知らず、何人いるのかも判別つけられないなかで、しかし懐中電灯の明かりが大きく揺れて離れていく姿に、逃亡していることを知る。  追いかける。この辺りは男でさえ来たこともあまりないのだが、森に対しての慣れの有無は大きく。距離が縮まっていくなかで、地面にさくりと突き立てられたシャベルの存在に気付いた。  それは間違いなく侵入者によるものだった。 「……?」  男は訝しみ足を止める。離れていく人影へ向け続けた懐中電灯の光は、しかし心に追いつかない体を抱えたこの老体ではもうこれ以上詰めることも出来ないと悟り、諦観を入り交ぜた表情で男はシャベルに手をかけた。  掘り起こされたばかりのような土の匂いと感触だ。とても誤魔化せているとは言えない残骸に、これは焦りによるものか、それともいたずらなのかと考えて、薄らと鼻孔を突き刺すような腐臭と埋め立てられた地面の下から飛び出た黒いビニール袋の端にぞっとする。  ――これは、死体遺棄だ。  懐中電灯を向ける。触れた拍子にからんとシャベルが木の幹にぶつかる。  埋め立てられ、辺りの草木とはあからさまに禿げたような土色の場所。その下に、人間が埋まっている。  掘り起こすなんて馬鹿なことは思いつかなかった。ただこの事実だけで腹が一杯になり、胃袋がひっくり返るような錯覚を覚え、せり上がる吐き気に脳奥の酩酊。それは、男を蹲りさせて嫌悪的な表情とさせるに足るものだった。  そのすぐあと、遠くから。  喉を嗄らすようなほどの、絶叫というものが、この山のすぐ麓でした。 「……っ!?」  続けて、畳みかけるようにバキバキバキと雷鳴のような木のへし折れる音がする。それは一種の災害を想起するようなほど、唐突で、原因がすぐ思い当たらないものだ。  悲鳴については。大方、その正体が不法侵入者でしかないだろうなとは思っている。  しかし倒木については、先程も――。 「なにが起きている……」  男は慎重に息を呑みこみながら、立ち上がり、麓のほうへ足を向けた。  肌寒いこの時期の夜。男の吐く息の白さが、生命の活動を公然とさせる。  近いところで再び木々の倒れる音がした。  反射的にかがむ。懐中電灯を懐へ引っ込め、どこの倒木かと斜め上方向に向けながら全方位の異常を確認しようとした。                ずる……     ずる……            ずる……          ずる……  なにか、巨大なものがいた。  男は息を潜めるように、本能的な恐怖から懐中電灯の明かりを左手で覆い隠す。その直後に電源を切ればいいと気づけたが、だからこそ自分がそれ相応に慌てていることにも気が付いた。  地面を這いずるような巨躯。真っ暗闇で薄霧に包まれ、手前一、二メートルほどの景色しか輪郭が定かにならないような丑三つ時。男は目を丸くしながら、初めて感じるような恐怖に息を殺し続けている。  ずる……ずる……とそれは移動を続けている。  一際男と距離が狭まったときは、地鳴りのような振動に木々が押しのけられて、小枝が男の背に落ちた。びくりと驚いてしまえば、連鎖反応的にかさりと草木が擦れたこともあったが、何かが這いずる音のほうが大きくて目立つことはなかった。  あれは野生動物じゃない。  塞ぎ込むように小さくなり、震えを押し殺して成り行きを見守るなかで、男は一瞬だけ懐中電灯に照らされて見えた異形の姿を思い返す。  それは、理解には及ばないが。  巨大だった。毛深く覆われた首のない団子状の巨躯。より生物的に想像を膨らましてみれば、ずんぐりと肥えた猪のような姿をしていたかもしれない。  足元は草木に覆われて見えなかったが、引き摺るような歩みをしているのは確か。  毛の色としては白かったと思う。土や泥に塗れた白。毛並みもいいとは言えないだろう。  鹿のような角が生えており、右側はやや欠けていた。その角も、鹿のようだとは言っても細枝のようなソレが三メートル四方ぐらいしていた巨躯に直接生えていたわけでもなく、それはさながら、人の腕のような。  いわゆる、枝分かれの少ない角だ。その上で一つ、莫迦な想像であるのは確かだが先ほど一瞬だけ見えてしまったその姿から、この恐るべき時間の合間で男が必死に脳内で思い描いてみるとすれば。  例えば肩より下の人の腕には肘と手首、二つの関節があるだろう。  両手を前に伸ばしてみるといい、肩を内側に寄せる感覚で両肘を気持ち内側へと寄せ、重いものでも持つかのように手に力を込める。細やかにでも肘が曲がっていればそれでいい、今度は手の甲を外側へ向けるように手首を捻り、九十度ほどの直角になるよう掌を真正面へ向け、ゆっくりとその五指をまるで花が咲く時のように広げてほしい。  その手の形こそが、異形の頭に生えている角そのものだ。  伝わるにしろ、ならないにしろ、ここにいるその這いずるモノが、あり得ざる化け物であることは明らかになって頂けたろうか。  巨大な図体を誇る異形は、どこを目指しているのか知らないが現在地からどんどん距離を取るように森の奥地へと消えて行っていた。  危機を脱したかと、安堵感のある表情で張り詰めた空気をほどくよう息つけば、時を同じようにして。 「ひぃ……!」  がさりと茂みから、転がり出てきた若者を見る。その体は非常にチャラついたもので、村の出身でもないだろう。男とつい顔を見合わせることになり、あの異形を目の当たりにしたのか、ひどく青ざめた表情をしていた。  さらに端的に言えば、まともな判断能力すら消え失せているようだった。  男と目が合った瞬間、安堵なのか焦りなのか知らないが、若者は信じられないものを見たという事実を誰かに問いかけたくなったらしい。 「あぁあぁぁああっっ、なっ、なんなんだアレは!? お前も見たよな!? 見たんだよな!」  ――大声を、出したのだ。  異形の這いずりがぴたりと止まる。男は、若者の静止に入りたかったが、恐怖から体を動かせずに身を隠し続けた。  対して、異形が通った後の均された大地に出た若者は、しかし自らの危機にも気づかずに。 「人をっ、健介を喰いやがっ――」  ばくんっ。 「――――――ッッッ」  跳んできた異形が、若者の上半身を噛みちぎり、飲み込んでいる。  ししまいのように、あるいはエビフライを食む人の口のようにして、敷き詰まった歯列をむき出しにしながら一口に。  一瞬だ。一瞬の出来事だった。人が目の前で殺されているのではない、食べられているのだ。  凄惨な光景。不幸中の幸いとも決して言えやしないのだが、闇の中だからこそ、ゾッとするし、吐かずにいられる。視界に納めずに済んでいる。  ばり、ばり、ぼりぼりと、人を食べる音がする。  巨大な図体が活動的に、そのうすぼけたシルエットを残飯に群がる豚のように震わせて食べている。  ――腰が引けるようなまま、男は努めて静かに、それでいて積年の冷静沈着振りを反故にするようなほどみっともない走り方で、その場からのっそりと逃げ出した。  異形は食事に夢中になっていた。  まずい。まずいまずい。あれは妖怪かなにかの類だ。この森に化け物が住んでいる?  今まで見たこともなかった。新築でゴキブリやシロアリを目の当たりにする以上の冒涜感を、猟師であった男が感じてしまうのは自身の土地を聖域のように感じていたからか。  まずい。頭の中が、そんな言葉で埋め尽くされる。老いとともにさび付いていたはずの脳の回転数が、若々しくもそんな言葉だけで堂々巡りを繰り返している。  どれほどのベテランであれ、未知に対しては赤子のようなものである。  本能的な恐怖から、今すぐにでも集落のある下のほうまで逃げてしまってもよかったが、男が向かったのは自身の家。  孫を、守らなくてはと感じた。  四時。まだ日は登りきっていないが、やや明るくなり始めた頃合い。  彼女たちが起床するには、あまりにも早すぎる時間。 「どこにいった……」  忽然と、姉妹は家から消えていた。  家のどこを探しても。庭のどこを探しても。 「侑菜! 冬乃!」  慣れない呼びかけを続けても。  家の周りにはいない。  あとはこの森だけだった。  男は極度にこわばった顔で深呼吸をする。こんな経験など初めてだ。  あの化け物がいる森へ、再び足を踏み入れる。  ――森の雰囲気がいつもと違うことは、手に取るように明らかだった。先ほどとも違う違和感。  静寂が場を支配しすぎている。  すでに鳥や野生動物は活動を始めるような時間帯。なのにカラスの一声もしなければ、風が立たないから木の葉も擦れることはない。  音が切り取られたように、波形も生まれぬ静けさがそこにある。  そのなかで。  声にもならぬ、聲が聴こえた。  咆哮と言い換えてもいい。だがそれは鼓膜に直接響くものじゃない。  怨嗟のように、呪いのように、魂をまるで蝕むように。  聴こえている、と感じる間、倦怠感に目眩、頭痛、ふらつき、吐き気、胸部の痛みを催すような、致命的な幻聴である。  しかし発生源はあり。  ほどなくして、男は再び異形を目撃することになる。  まるで狼の遠吠えのように、首を上へと伸ばした状態で、啼き続けるようなその姿を。  ――男は背中、吊るしているはずの猟銃を取ろうと手にかけた。死ぬかどうかは分からないが、今なら一発、あの人喰い化け物へ攻撃できるのではないかと考えたのだ。  しかしはたと思い至る。  トラックに、置いてきたままだ。 「………」  重苦しい呼吸音に、緊張感を高めていく。  がさり、がさり、と接近する。  草木をかき分けたところ、化け物の前に姉妹がいた。  男は本日三度目にもなる、見開いた目で息をのむ。  ――咆哮を、終えたのち。化け物は姉妹を見下ろした。  姉妹の背中にはおびえた様子もなく、だからとじゃれている様子もなく、男が傍目で見る限りでは。  立ち尽くすような姉妹の後ろ姿にすら、若干の不気味さまで抱いてしまっていた。  見つめあうような謎の時間に、男は堪えて見守ることが出来ず、ゆっくりとその場に姿を現す。  一歩を踏み出す緊張感は、すさまじいものだったろう。 「……返してくれ」  化け物が静かにこちらを見る。侑菜も冬乃もこちらに気付いたが、駆け寄ってくる様子もない。  化け物と。  目を合わし続けるのは、筆舌に尽くしがたい苦痛だった。 「来なさい、早く」  男が静かに呼びかける。目線を化け物から外さずに、手招きで姉妹を呼び寄せようとする。  姉妹は一度顔を見合わせた。その後、二人で化け物のことを見上げ、もう一度祖父の凍り付いたような表情を見ると、足を止め続ける侑菜とは違い、冬乃が彼女の手を引いて、祖父の手元まで来てくれた。  化け物はそれを見届けたのか、まるで闇の中にでも隠れていくようにずる……ずる……と退いていく。  ぶわっと世界に音が戻る。緊張の糸が切れたみたいに、男はどっと息を吐く。気付けば侑菜も冬乃も不安がるように抱き着いていた。 「おじいちゃんどこ行ってたの!」  鼓膜を突くような大声で、侑菜が開口一番に言う。それにどぎまぎしてしまいながら、男は取り繕うように話す。 「あ、ああ、見回りに出ていた」 「心配した! だっておじいちゃん! 出歩くなって、ゆったくせに!」 「ああ……いや、すまない」 「あのね! あのね! ここ、トトロみたいなのがいる! ここすごい!」 「あれは違うだろう」  体力はすでにくたくたで、目眩だったりも済んでいるわけではないなかで、なのに元気な姉妹の相手をしてあげながら、男はこの日一番。  祖父らしい態度で、右と左。それぞれ侑菜と冬乃と、手を繋ぎながら家へと帰った。  そろそろ猟師も休業にするべきか、と今日のことを、忘れられないだろうなと思ってしまいながら。  ――変な時間に起きたこととなる姉妹が再び布団の中で、すやすやと眠りこけるのと代わり、男にはまだ仕事が残っていた。  彼女たちが寝ている間に済ませようと思ったのだ。  警察に連絡し、遺体の掘り起こしを行う。若者らの死体も残っているかもと思い足を運んだが、忽然とその証拠に類するものは軒並み消えていた。  化け物が食べたなどと愚直に報告することもできず、死体遺棄事件の犯人はいまだ逃走中として、唯一の証拠であるスコップについた指紋や遺体の身元情報から割れた犯人の顔写真・氏名が連日報道されることとなる。  あの化け物がなんだったのかは分からない。この三十年間で見聞きもしなかった存在が、なぜこの日に目を覚ましてしまったのかは、男の与り知ることではない。  ではないのだが、最後の姉妹や自身との対面を考えるに、時間がいくらか経ったいまでは、遺体を雑に乱暴に捨てたあの若者たちに怒っていたのではないだろうかと、美化的ではあるが思っている。  警察の事情聴取から解放されたのは午前十時。思ったよりも時間が掛かってしまったが、姉妹はいまだに眠っていたため、今朝の二の舞となることはなく。  大冒険だ。彼女たちも、大変疲れてしまったんだろう。  午後五時頃には息子がここに帰ってくる。そしたら姉妹ともお別れだ。  名残惜しいやら、やっと落ち着けるやら、祖父も考えないわけではないが――。  下手な危害が加わらないためにも、もうここには来させないほうがいいだろうと思ってしまった。  これにて今日一日の怪奇現象。もとい孫の子守は、正式に終了することとなる。  これは、余談ではあるが。 「……なにを、描いているんだ?」 「んー……?」  息子が迎えに来る少し前。庭で小枝を振り回して遊んでいるような侑菜とは違い、黙々とお絵描きで遊んでいた冬乃を見かねて、祖父はその絵を覗き込みながら問うた一幕が存在する。  その絵はまるで、この家にあったような木彫りの工芸品を思わせるような。  歯をむき出して笑う、鹿の角が生えた生き物と、手を繋ぐ姉妹のイラストがあった。  冬乃は祖父の問いに対して、子供ながらの拍の開け方をしながら、ゆっくりと。  思いついたわけでもなく、自分で考えているわけでもなく、ただ先生の伝言を間違えないようまるで他人事のように親御に伝えるときみたいに。  彼女は述べる。 「しじまさま」  ――それは、この森に、いるんだそうだ。             (しじまの啼く聲。:了)
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