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【第一章 出逢い】
ー 『どれほど時間(とき)が経ってもいい。どうか再び巡り逢えますように。』 ー
それはよくある何気ない放課後での出来事になるばすだった。
当時小学四年生だった私は、数人の友達と一緒にかくれんぼをしていた。そう、ただそれだけのことだった。あの鳴結岩(なるゆいわ)神社でー。
「…36、37、38、39、40…」
鬼役の子のカウントを告げる声が夏の日差しの匂いを隠すように境内に小さく響いては返す。それと同時に、数人の足音が少しずつ遠くへと散って行くのが詩織にも分かった。最終的に詩織が隠れ場所として選んだのは、境内の中にある末社の裏側だった。
『隠れる場所は本当にここで良かったのかな。』
心の中で詩織はそう小さく呟いた。
詩織が隠れ場所として選んだ末社は、神社の鳥居をくぐった先の右手にある小さな社だった。
千年以上の歴史を持つここ鳴結岩神社は、全長五メートルはあるであろう巨大なひとつの岩が御神体として神社の中央に厳かに祀られている。古来より、この地の人々はその岩をこの辺り一帯の土地神だと考え、以後大切に祀ってきた。
「結香ちゃん、みーっけ!」
詩織が隠れている場所からそう遠くない所で鬼役の子の声が響いた。
夏なのに、この神社だけは四季を問わずどこか清浄な空気が流れている。詩織にはいつもそのような気がしてならなかった。自分が見つかるのも時間の問題だろうと詩織は内心ドキドキしていた。
不意にざっと生暖かい風が吹いた。
時を同じくして、辺りが急に灰色の絵の具を被ったかのように暗くなった。
ゴロゴロと雷鳴が聞こえ始める。ポツポツと雨が降り出し、瞬く間にその雨音は激しさを増していった。夕立で沸き立った雨と土の匂いが詩織の鼻をさした。
おそらく一過性のものだろう。そう思いながら詩織は雨が止むのを待っていた。
この末社の裏側に屋根があって良かったと詩織は心の底から思った。
一緒にかくれんぼをしている友達も、おそらく雨が止むまではそれぞれの場所に留まっているだろう。詩織がそう考えていた矢先、近くで大きな雷鳴が響き渡った。詩織がいる末社のすぐ近くにある大木に雷が落ちたのだ。
その衝撃と共に、辺りいっぺんを雷光が刺した。ところがその雷光とは別に、異なる光り方をする何かがあることに詩織は気付いた。それは今まで見たことがないほど、えも言われぬ淡く綺麗な光を放っていたのである。
『なんて綺麗な光なんだろう。』
先程まで雷鳴に怯えていたことが嘘のように、あまりにも綺麗なその光に詩織の心は奪われた。不思議なことに、何故かその光は詩織の恐怖心を少しずつ薄れさせていくようだった。
詩織を包む淡い光は雷光が消えると同時に、ものの数秒で目の前から消え去ってしまった。
しばらく経つと雨も止み、灰色の隙間から再び青い夏空が顔を出した。
雨の匂い、土の匂い、夏の匂い。
そして、あの淡く綺麗な光。
あれは一体、何だったのだろうか。
未だ夢うつつから抜け出せない詩織の不意をつくように、再び鬼役の子の声が今度は詩織の近くで響いた。
「詩織ちゃん、みっけ!」
その声を聞いて詩織は少し我に返った。天気が急変する前よりも、詩織にはどことなく境内に響く声の反射が鈍くなっているように聞こえた。
詩織は雷が落ちたであろう大木の方に目を向けた。落雷の痕跡は確かにあったが、詩織が思うほどの甚大な被害が出ている様子はなかった。大木から割と近い末社にいたにも関わらず、詩織自身も特に怪我をしている様子はなかったのが不幸中の幸いであろう。
神社からの帰り道でも、詩織はまだあの淡い光のことが忘れられないでいた。まさかとは思うけれど、見てはいけないものを見てしまったのではないかと、詩織は一瞬考えた。自分で考えたはずの仮説なのに、詩織は少し身震いした。
しかしどう切り取っても、詩織にはあの光が嫌なものには思えなかった。何故ならそれを見た時に不安を感じる訳ではなく、むしろ和らいだからである。それほどまでにあの光は詩織の脳裏に焼き付いて一向に離れようとはしなかった。
詩織は何気なくズボンのポケットに手を入れた。すると何も入っていないはずなのに、詩織の手に何かが触れた。それは決して大きくはない、小さな石のようなものに感じた。
詩織はそれをポケットから取り出してみた。詩織が思った通り、それは丸みを帯びた小さな石だった。詩織の脳裏にくっきりと浮かぶ、あの淡く綺麗な光の色とそれは、とても似ているように感じられた。
鳴結岩神社では「願い石」と呼ばれる小さな丸い石が御守り袋の中に入った状態で社務所にて販売されている。それを身に付けていると願い事が叶ったり、恋が成就するなど様々なジンクスがある。「願い石」と呼ばれるそれは、ここ鳴結岩神社のある種名物のような御守りになっている。この神社を訪れた参拝者の多くがそれを購入し持ち帰るのだと、詩織は以前、祖母から聞いたことがあった。
「…おかしい。私、今日こんなの買った覚えはないのに。どうしてポケットの中に?」
誰かが故意に詩織のズボンのポケットに「願い石」を入れたのだろうか。仮にそのようなことができたとしても、流石の詩織もその異変には気付くはずである。やはり何度思い返してみても、詩織にはそんなことができた人物がいるとは到底思えなかった。そして確実に言えることは、詩織は今日この神社で「願い石」など買ってはいないのである。
では一体誰がどのようにして、詩織のポケットに「願い石」を入れることができたのだろうか。いや、そもそも相手に全く気付かれないようにポケットに石を入れるなど、本当にそのようなことが可能なのだろうか。詩織の頭の中で渦を巻くように小さな仮説がいくつも湧いては消えていく。
その時だった。
詩織の周りがまたあの光に包まれたのである。
『貴女がーーーね。』
『え?』
見知らぬ女性の声が詩織にそう問いかけた。初めに何と言ったのか詩織には聞き取ることができなかった。誰かの名前を言ったような気がしたが、詩織には全く思い出せなかった。
それともそう聞こえたのは、詩織のただの思い過ごしだったのだろうか。
『私の名はイトミナ。貴女が今持っている石の精霊、とでも言うのかしら。』
『イトミ…ナ…?』
『そう、貴女を探していたのー。』
はっと気が付くと、詩織の周りを包んでいた光はもう跡形もなく消え去った後だった。
夏の夕陽は未だ沈む気配はない。ぽつりと地面に落ちた影に詩織は目をやった。きっと夢を見ていたのだろう。詩織はそう思った。そう、思いたかったのかもしれない。あまりにも情報量が多すぎて、詩織が今いるこの場所でさえ現実なのかそれともそうでないのか。
それほど詩織にはその境界線が果てしなく曖昧に感じられた。
ふと詩織は自分の右手が気になった。その手のひらには先程ポケットから取り出した小さな丸い石と、イトミナと名乗る小さな女の子が静かに佇んでいた。
「貴女の名前は?」
場の静寂を破るように、少女が詩織に向かってそう尋ねた。
「な、鳴瀬詩織です。」
何故すんなりと自分の名を明かしたのか、詩織には分からなかった。得体の知れぬものに自分の名を明かすなど、普通は警戒するものである。第一、このよく分からない小さな石と共に現れた少女に名を尋ねられたからといって、詩織は自ら自分の名を明かす必要など本来はないはずである。
「そう。貴女の名前は詩織と言うのね。」
詩織の不安をよそに少女はそう続けた。
それが突如として現れた、石の精霊と名乗る少女イトミナと詩織との出逢いだった。この出逢いにより、その後の詩織の人生が大きく動いていくことになるなど、この時の詩織にはまだ知る由もなかったのである。
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