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「今度、この『恐ろしい美術品』の展覧会が来るんだって」
「行きたい!」
「誰と?」
笹野さんの下唇がムウッと突き出る。僕は彼女の文句言いたげなこの顔が好きで、ついからかってしまう。
「森緒くんは誰と行きたいの?」
「笹野さんが僕と行きたいと思っているなら、僕も笹野さんと行きたいよ」
「そんな言い方ズルいと思う」
ますます彼女の下唇が突き出てくる。
「僕と行きたくないの?」
「熱を出していた森緒くんは、あんなに素直だったのに。私のこと、好きだって言っていたでしょ。全部好きだって言っていたのに」
笹野さんは下唇を突き出すのでは足りなかったのか、ひょっとこみたいになってしまっている。
これ、絶対に言われると思ったんだよな。
「あれはさ、熱に浮かされていたから、笹野さんの誘導に引っかかっていたんだよ」
「じゃあ、言ったことは全部嘘ってこと?」
本当は嘘だと言ってはぐらかしてしまいたいところだけど、今回ばかりは嘘だと言うわけにはいかない。僕はあの大嘘をつき続けていかないといけないんだから。
「……わかったよ。嘘じゃない」
笹野さんは僕を言い負かしたのが嬉しいらしく、パチパチ手を叩いてはしゃいでいる。
「僕は笹野さんが好きだよ。すごくね。今すぐ抱きしめてキスしたいくらい。ちゃんと言ったんだから、ご褒美にキスくらいしてもいいよね」
顔を近づけたらひょっとこの口が一気に引っ込んだ。すっかり能面になった笹野さんは案の定逃げ出そうと腰を浮かす。僕は、逃げられる前にしっかりと彼女の両肩をホールドした。笹野さんは行動が分かりやすくていい。
「か、風邪がうつるから」
能面がピンク色に染まった。黒目が忙しなく左右に動いて、まるで振り子時計みたいだ。
「さすがにもう治ったよ」
「ほら、コウノトリさんは相対評価するんでしょ。そんなにドキドキすることをしたら、良くないと思うの!」
そんなことを言いながらも、笹野さんはしっかりと足でハートマークを描いている。
「ドキドキしているんだね、笹野さんは」
「私じゃなくて、森緒くんがするかもしれないでしょ」
「まあね。でも、大丈夫だよ。キスくらいでコウノトリが赤ちゃんを運んで来たなんていう話は、世界中のどこを探しても聞いたことがないから」
僕はそう言って、笹野さんの肩を掴んだまま唇を重ねた。彼女の足の動きがだんだんゆっくりになって……止まる。
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