1、壊れた世界

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1、壊れた世界

 世界は、壊れてしまったのだろう。  そんな世界に閉じこめられてしまった私達は、この先、どうやって生きていけばいいのだろう。  そもそも、私達は、「生きている」と言えるのだろうか。生きている、と言うにはあまりにもあやふやで、死んでいる、と言うにはあまりにも滑稽で。  横たわっていたアリサは、目を開けた。  いつもと変わらない暗碧の闇がそこにある。しかし、もうじき夜が明けるのか、空の端には微かに白い光の気配が迫っていた。  起きあがってみると、地面に腰を下ろし、地平線を眺めているカタギリの姿が目に入った。  スーツ姿のカタギリは、ちらりとこちらに視線を投げる。 「おはよう」 「おはよう、カタギリさん」  実際、眠っていたのか、いなかったのか、判然としない。もう長いこと、夢なんて見ていないようだった。  ――長いこと?  ひょっとしたら、最初から夢なんて見たことがないのかもしれない。だって、私はいつから私なのか記憶がないし、今もって、自分が何者であるのか知らないのだ。  カタギリは、青い闇の中でぼんやりと遠くを見つめていた。  彼は髪を短く刈り、きちっとスーツを着こなした、会社員風の男だ。きっと彼は「会社員」なのだろう。そういう記号をまとっている。  アリサは自分の身体を見下ろす。身を包んでいるのは、茶色のブレザーの制服。リボン。プリーツスカート。白いソックス。ローファー。  アリサはおそらく「女子高校生」なのだ。窓ガラスに姿を映してみると、そこにいるのはボブヘアーの学生で、そうとしか見えない。  けれど、自覚がないので、どんな格好をしていたところでどんな慰めにも、手がかりにもならなかった。自分がガラスに映ったそのままの存在なのか、それともその中にもっととんでもないものが潜んでいるのか確かめようがなく、はっきり言えば、興味もなくなってきた。  自分のことがいつも、他人事のようにしかとらえられない。こんな壊れた世界では、望みだって壊れてしまう。「真実を知りたい」という欲求も薄れ、得られた情報から戯れに想像をしてみるだけだ。 「シュウはどうしたの?」  アリサは辺りを見回した。 「さっきまで横になってたんだけどな。散歩してくるって、どこかに行ったよ」 「一人で? 大丈夫かな。敵に遭遇したら……」 「平気だよ。ここらにはザコしか出てこないし、シュウの鉄パイプなら一撃で倒せる」 「そうだろうけど……」  シュウはつまらないミスを犯して窮地に陥るような子ではない。わかっていても、彼が目の届くところにいないのは不安だった。  たった三人きりの仲間の一人だ。今のところ、この世界にまともな人間は自分達三人だけ。だからカタギリもシュウも、アリサの心の大部分を占める重要な存在で、いつか失われてしまうのではないかという漠然とした恐怖が胸に巣くっている。  カタギリは、二十代の半ばか後半といったところの男だ。面立ちは柔和で、落ち着きがある。  しかし時折見せる笑顔は芯が残っていて、本人もそれを自覚しているような笑い方をする。  カタギリの、何の表情もない横顔が、いよいよ白い曙光を浴び始めた。  ここでは赤い朝焼けなど見られない。いつだって朝は白っぽく、素っ気なかった。 「ああ、帰ってきた。シュウだ」 「どこ?」  アリサは思わず立ち上がった。  遠くから歩いてくるのは、見慣れた人影だ。  地平線までほとんど視界を遮るものもなく、地面に転がっているのは灰色の大きな石のみ。そこを、少年が淡々と歩んでいる。  近づいてくるまでじっと待ち、アリサはシュウに声をかけた。 「どこまで行ってたのよ」 「その辺だよ、その辺」  気にかけられるのが鬱陶しいとでも言いたげに、シュウは顔をしかめる。不満をあらわしている時の彼は、普段より更に子供っぽく見えた。  詰め襟の学生服を着た中学生、それがシュウだ。中学生という判断には何の根拠もないが、自分より幼いような感じがして、アリサはそう決めつけている。シュウ自身も否定はせずに、「きっとそうだ」と頷いていた。  シュウは、とても綺麗な顔をした少年だった。身体の線も細く、どこか危うげで、美少年と呼ばれるに相応しい容貌の持ち主だ。長い前髪の間からのぞく瞳には、脆い自信がちらついている。  シュウは前髪をかきあげた。 「あっちに、メロンパンが落ちてたよ。それも、たくさん。俺、あれ見てぎょっとした。ああやってさ、何もないところに大量のメロンパンが落ちてる光景って、あんまり気持ち良いもんじゃないな。っていうか、ムカついたよ。馬鹿にされてるみたいで」 「リンゴじゃなくて、メロンパン? 珍しいね。この辺じゃ滅多に見ないのに。それで、メロンパンで回復したの?」  リンゴは体力を10回復することができるが、メロンパンは15のはずだ。 「しないよ。大体俺、今、体力MAXだから」  シュウはメロンパンの群れがあったらしい方角を睨んでいる。  アリサがふと、頭に浮かんだ疑問を口にした。 「リンゴの方が栄養がありそうなのに、どうしてメロンパンの方が体力を多く回復するんだろうね」  これに答えたのはカタギリだった。 「パンの方が食事っぽいからじゃないか。リンゴは果物だから、デザートとか、おやつ扱いなんだよ」 「別に、どうでもいいけどな」とシュウは呟く。  そう、どうでもいいことなのだ。そして、理由なんてわかりっこない。
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