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白く明け初める空を見上げながら、カタギリは息を潜めて沈思した。静けさに同化するように。
ふと、嬉しそうに話をするアリサの顔が脳裏に浮かぶ。アイテム屋の主人の喋る言葉が増えた、と喜んでいたのを思い出す。
考えてみれば、この街の「住人」と呼べそうなのは、あの残滓のような影だけだ。
期待はなかったが、一応変化がないか見ておくべきかと、アイテム屋へ足を向けた。
「……ザー、ザー、ザザ」
アイテム屋の室内に入ると、途切れがちな弱々しいノイズが耳に届いた。不意にボリュームが絞られ、それきり聞こえなくなってしまうような、頼りない音だ。
ノイズが急に高まった。
「いらっ……ザーザー、ませ」
「おはよう」
店主はまだ仕入れの前らしく、カウンター奥にじっと佇んでいる。しばらく観察してみたが、前に見た時と変わりはなかった。
やはり、か。
しかしカタギリは失望していない。何もあるわけがない、と心に予防線をはっているから落胆せずに済む。
これはノイズに過ぎないのだ。世界から消え損ねた哀れな雑音だ。
「いらっしゃ……ザー、ま」
店主が再び挨拶をする。訪れた新しい客への声かけらしい。
シュウだった。無表情で、ポケットに手をつっこんでいる。
「シュウ、何か見つかったか」
見つかっていればこんな顔はしていないはずだとわかっていながら、そう声をかける自分がいた。
シュウは小さくかぶりを振る。荒んだ目つきで店主を睨みつけていた。
彼もカタギリと同じタイミングで、店主のことを思い出したらしい。この街で唯一声を発するものがあるとすれば、この影だけだ。
空振り続きで疲弊すると、万が一にも何か得られるかもしれない、とここをのぞきに来てしまうのかもしれない。瓦礫の沈黙よりは無意味な雑音にすがりたくなるものだ。
「おい、おまえ何か知らないのかよ、あの化け物のこと」
シュウの問いかけに、店主はザーザーピーピーと耳障りなノイズを返す。
「おまえだけこの街で『死にきれなかった』んだろ? どうせお前もいずれ消えるんだ。その前に少し役に立ったらどうだ?」
「シュウ」
カタギリはたしなめるように名を呼んだ。
シュウの声にはいつになく強いストレスが感じられた。彼は平素大人びてはいるが、年相応の激情はくすぶらせていて、いつ暴発するかわからない。
唇を一文字に結び、凶猛な表情をしたシュウはどうにか気持ちを抑えようとしていた。
やっと店主から視線をはがし、踵をかえして店の外へと向かう。
「ばけも……のザー、ガガガ、はな……ピーーイイイ」
ハナ。バケモノ。そう聞こえた。
シュウの問いかけに反応したのだろうか?
「化け物を知っているのか」
カタギリが質問する。しかし返事は「ザーザー」だけだ。もう一度同じ質問を繰り返したが、「メロンパン……メロンパ……ザー」といつもの台詞を繰り返す。
以降何度試そうが、「化け物」というワードは口にしなかった。
「いらっしゃ……あーあー、あああーザザザザ……」
ざらついたノイズが耳に引っかかる。遠ざかったと思えば近づく、不規則な潮騒のような音声が神経に障った。こちらが焦っていれば尚更不快だ。
焦れて、足元がそわつく。無意識に両手を強く握りしめている。カタギリはどうにか気を落ち着かせようとした。
望むのが誤りなんだ。期待を寄せる方が間違っている。怒るな。落ちこむんじゃない。
今のはきっと、聞き違いだったんだろう。そうじゃなかったとしても、大した情報であるとは限らない。
雑音だ、これは。無価値な、何の意味もないもので、だから俺は、これに何も求めたりしないから、裏切られたりもしない――。
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