5、灰色の中の雑音

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「おい」  多分に怒りを含んだ、低い声。  それまで黙っていたシュウが、鉄パイプを取り出し、迷いない足取りでつかつかとカウンターへ向かった。 「知ってるんだろ、もったいぶってないで、さっさと言え」  鉄パイプをつきつけるが、当然のように店主は反応しない。さわさわとノイズを囁き続けるだけだ。これは何も見えてないし、何も聞こえていない。何が起きているのかも知らない。知らされていない。 「答えろよ!」  シュウが鉄パイプで突く。  すると驚いたことに、店主の体が傾いた。素手では触れられないはずだったが、武器でなら接触が可能らしい。敵を殴れるのと同じ理屈なのだろうか。  だが、カタギリにはそんな些細な発見に感心している余裕もなかった。  本人も予想外の展開だったのだろう。鉄パイプはすり抜けると思いつつ、腹立ちまぎれに突いたのだ。思わぬ感触に刺激されてか、シュウの目が残忍な色を帯びた。今まで行き場がなく凝縮された憎悪が、たちどころに噴出しそうになる。 「黙ってんじゃねえ! 何とか言え!」 「よせ!」  店主に向けられた攻撃を、寸でのことでカタギリが木刀で防ぐ。  少しの間、武器で互いに押し合っていて、鉄パイプの方は震えていた。シュウの怒りの一端が、力となって伝わってくる。少しの間膠着状態が続いた。  興奮はおさまっていない様子だが、こめられた力は弱まっていき、シュウが鉄パイプをひっこめる。  うつむく少年の呼吸は、やや乱れていた。 「……お前の気持ちもわからないではないよ。けど、この影は敵じゃないだろう。無害なものに対する暴力は良くない」  シュウは下を向いたままだ。  説教じみたことは言いたくなかった。シュウも本来は分別のある子供だから、わざわざ言われるまでもなく、わかっているのだ。  それでもこういう時は、混乱を鎮めるためにもあえて言い聞かせた方がいい。わかりきったことでも何度もなぞって調整しなければ。  いつもあるのだ、暗黙のうちに。場面ごとに言うべき台詞の例が。 「アリサは必ず助かるよ。いや、助ける。さっきも言ったが、イベントなら手がかりがあるに決まってるからな。ここは力を合わせて……」 「助かるなんて思ってないくせに」  温度のない声が、カタギリに言葉を飲みこませた。 「あんたは、ほとんど助かる見込みがないって考えてるんだよ」 「そんなことはない。そんな風に思わせたのなら謝るよ。だが、誤解だ」 「カタギリさん、あんたは」  ゆっくりと顔をあげたシュウが、前髪の隙間からすくうようにしてカタギリを睨む。  その瞳は、純粋にカタギリを非難していた。視線が突き刺さってカタギリは動けない。 「いつもその場に相応しい正論を言う。オトナだからな。けど、あんた自身が一番あんたの言葉を信じちゃいないんだ」  数秒、二人は見つめ合った。 「俺はまだ、あんたほど全てを諦めちゃいないんでね」  シュウは顧みることなく、店から出て行った。  取り残されたカタギリの方は、シュウがいなくなった後の場所を、まだそこに彼の残像でもあるかのように見つめている。  ザザ……ザ……ザアアー…、ザ……。  ずっと聞こえていたはずのノイズが、今になってはっきりと響いてきた。シュウと言葉を交わしていた時は、まるで無音に感じていたのに、音が耳に戻ってきたのだ。  ザア……ザ……ザ……アー……。  やはりこれは潮騒だ。懐かしい波の音。  だが、いつどこで海を見て、その音を聞いたというのだ?  知っているのに思い出せない。自分の中に何かを求めると、ぽっかりと空いた穴の中に転げ落ちて、むなしさの中を落下するばかりだった。  ――ああ。あの子には、とうに見抜かれていたのか。  カタギリは口元に苦い笑みをのぼらせた。  だとしたら、知らないうちに俺は随分あの子を傷つけていて、あの子はその優しさ故に、耐え続けていたんだな。  シュウの指摘は全て、図星だった。
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