1、壊れた世界

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 * * *  街は今日も乾いていた。  ここに来てから百日以上は経過しているが、雨は一度も降っていない。雲すら見かけるのは稀だ。そんな環境だからか、植物の類もほぼ見ない。  街に入ると、シュウは「昼寝でもするわ」と言い置いて一人離れていった。この頃そうやって、シュウは一人になることが多い。  アリサとカタギリはいつものように街を見回る。  どこかで変わったことが起きてきないか探るためだが、ほとんどただの習慣になっていて、要するに単なる散歩である。  自分達の靴音だけが響いている。ごくたまに、遠くで微かに何かが崩れる音が聞こえる時もある。灰色の壁が崩れた音なのだろう。  初めこそ期待や恐怖を抱いて確認しに足を向けたものだが、今では気にもとめない。  ビルディングの中は調度品の類が一切見当たらず、建設されてから今に至るまで放置されていたような印象を受けた。  外側は街としての体裁が整えられていたが、機能はしていない。ハリボテの街の骸。それが「ここ」だ。 「今日も晴れてるね、カタギリさん」 「ああ」 「誰もいないね」 「そうだな」  いつもの、さして意味のない会話が続く。寂しさや虚しさを中和させるためだ。  この世界に一人じゃなくて助かった、とアリサは心から思う。一人でも独り言は言えるけれど、返ってくるのはこだまだけだろう。単なる反響音ほど孤独を深めるものはない。  もしも一人きりだったら――。考えるだけで慄然とする。  カタギリは見回りのルートをよく変更した。いつも同じじゃ飽きるだろう、とのことだ。  少しでも気分が変わるようにという彼の配慮だが、シュウは「くだらない」と一笑に付す。行き止まりの道はどの方向から行き来しようが同じこと。それがシュウの意見だ。今ではポジティブな考えすらシュウを傷つけてしまうし、そんなシュウの気持ちがアリサにはわかる気がした。 「あのね、カタギリさん。今日は武器屋に寄っていかない?」 「そうだな。三日ほどご無沙汰だった」  三人が「武器屋」と呼ぶ店は路地裏にあった。ビル群の影のせいでいつでもそこは薄暗い。店といっても看板はなく、そこが他とは異なる場所であることを示すものはない。  武器屋を見つけた時、三人は心底驚いたものだった。そして明るい可能性に胸を震わせた。しかし、期待はすぐに裏切られ、武器屋は自分達をより疲弊させただけの用のない存在に成り下がった。  武器屋には、何かがいた。  ドアのない入り口をくぐったアリサとカタギリは、いつものようにその何かがそこにいるのを確認する。  カウンターの奥に立っているのは、輪郭のブレた人型の何かだった。黒くてボソボソとしたものの塊だ。 「こんにちは」  アリサは店主に声をかけた。  親しみがわくように「店主」と呼び始めたのはアリサだった。まるで、素性の知らない亡骸に名付けるような一抹の物悲しさはあったが。  武器屋の店主の輪郭は、相変わらず細かくブレている。見つめていると、こちらの目の調子が悪いのかと疑いたくなるような不快さがあった。 「ザギ、ザギ、ザギ、ギ、ギ、ザーザーザーザギー、ギギギザギザギザギーギザザザ」  店主が発するのは耳障りな雑音だ。壊れかけの機械から発せられる悲鳴じみている。  まともな言葉をそれが口にしたことはないし、なんらかの意味のあるアクションを見せたこともない。カタギリが一度手をのばして触れてみようと試みたが、感触がなく、実体のない存在らしかった。  初めて店主と会った際、三人はそれぞれ、ここで武器を得たのだった。カタギリは木刀で、シュウは鉄パイプ。アリサはいくら投げてもなくならない石ころ。  カウンターに並んだ武器は手にすると消えてしまった。その後、戦闘で使えるとわかり、あの場所はかつて武器屋だったのだろうという話になった。  だとしたら店主も、以前はもっとはっきりとしたキャラクターだったのではないだろうか。敵以外で動くものは店主一人だけだった。  もしかしたら、意志疎通できるかもしれない。真実を知る手がかりが得られるかもしれない。  その曖昧な黒い影は、混乱を極めていた最中の、唯一の光だったのだ。  だが、いくら話しかけようが、待ってみようが、変わらなかった。  店主はとっくに朽ちていて、ただの残骸だと知るにはそう時間がかからなかった。あてにしていた分失望も大きく、シュウはほとんど店主を憎んでいるような状態で、武器屋には寄りつかなくなってしまった。 「こんにちは、店主さん」  囁くようにアリサは挨拶をする。 「ザーギーギー、ザギ、ザギ、ザギ、ザギ」  返ってくるのはノイズだけ。  暗がりの中、アリサとカタギリは黒い何かを見つめていた。  アリサは考える。この人は――きっと人だったんだ。シルエットが、人だもの――どんな人だったのか。男の人だろうか、女の人だろうか。若かったんだろうか、年老いていたんだろうか。どのくらいここに佇んだままでいるんだろうか――。  そこで突然、今まで感じたことのない恐怖が背をはいのぼってきた。とある想像が、アリサを愕然とさせたのだ。 「ザギザギザギ、ザギ、ギ、ギギギギギギーギザギザギザギザ、ギギ、ザギ……」  店主から放たれる力ない雑音は、乾いた室内に吸いこまれていく。 「カタギリさん」  前を向いたまま、アリサは半歩後ろに立つカタギリに声をかけた。 「この街を出よう。シュウは私が説得するから」
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