3、屋上の少年とメロンパンの味

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3、屋上の少年とメロンパンの味

 * * * 「こんにちは、店主さん。また来たよ」 「ザーザーザー、ザザザ、いらっ……ザー、ぁい……ザザザせぇ、えええー」  暗い室内に、今日も店主の影はある。時折大きくブレながら、雑音を発している。  ラジオのチューニングを合わせようとしているみたいに、ノイズは時に小さくなり、時に大きくなった。 「私の名前はアリサっていうの。あなたは?」 「ザーザー、ザザザ」 「ふふ。今日は何を入荷したんですか? りんご?」 「ザー、ザー、ピピーピピピー」  カウンターの隅に重なるメロンパンに目をやってから、アリサは微苦笑を浮かべた。  シュウが苛つくのもわからないではない。アリサのやっていることは、人の形をしただけのものを人扱いしてお喋りをする、くだらない人形遊びだ。  慰めに過ぎないのだ。口ではどう言っていても、奇跡なんて実は信じていない。そんな不真面目さが、シュウの癪に障ったのだろう。 「あの子は、一番真面目だもんね」  アリサはメロンパンを手にして、「一つもらいますね」と店主に声をかけた。メロンパンは唇に触れると、一瞬で消えてしまう。体力が回復するのを感じた。 「店主さん、メロンパンって、どんな味がするの? 美味しい? きっと、甘いんだろうね……」  自分達は、食べ物を口に入れて咀嚼し、味わうことさえ許されていない。 「あなたに名前があるのなら、教えてほしいな」 「ザーりがと……ザザ、ございま……しーしし……ザー」  そばに寄って、店主に手をのばしてみる。指先が黒いもやをかすめるが、感触はない。  アリサは目の前のものに触れられなかった手と、囁き続ける影を交互に見つめて、うつむいた。  * * *  この街に来てからの三人は、自由行動が増えたように思う。  アリサはアイテム屋にしょっちゅう顔を出しているし、カタギリはめぼしいものがないか探し歩いていた。シュウは以前のように昼寝をするか、大抵どこかへ座ってふてくされた顔で頬杖をついている。 「カタギリさん」 「アリサか。どうだ、例のアレの調子は」  アレというのは店主を指している。カタギリはシュウと違って影に声をかけるのをとがめはしないが、およそ意味のある行動とは思っていないだろう。アリサの気晴らしになれば、と見守っているだけなのだ。  アリサはかぶりを振り、「そっちは?」と聞き返す。 「マットレスを見つけたんだ。毛布と合わせれば、上々の寝床ができるな」 「いいね」  肉体的な疲労はこれといって感じず、睡眠も不可欠な身体ではないから寝具も必要ではないものの、生活に必要な道具が揃ってくるのは喜ばしい。  バグったキャラクターに話しかけるのと似た種類の虚しさもあるが、喜べる時は喜んだ方がいいだろう。感情の動かし方を忘れてしまえば、人間らしさを失って、亡霊になり果ててしまう。  少なくとも自分はまだ亡霊じゃない、とアリサは己を励ました。  だって、亡霊はベッドを手に入れたって「いいね」なんて笑わないはずだから。  初めに毛布を見つけたことで、カタギリは道具探しに張り合いを見出したらしかった。  シュウもこうして何かに興味を持ってくれたらいいのに、と考えて、アリサは今朝からシュウを見かけていないことを思い出した。  そういったことも珍しくはないのだが、この日はどうも気になって、シュウをさがし始めた。虫の知らせというと大げさだが、微かに胸騒ぎがしていた。  目につく建物に片っ端から足を踏み入れて、見知った少年の姿をさがす。  シュウ、と大声で呼ぶ方法もあった。  しかし、余程の緊急事態を除けば、声をあげるのは控えたかった。  空っぽの街では、ぞっとするほど声は響くのだ。  ――ねえ!  アリサは以前、遠くにいるシュウへと声を張り上げたことがあった。ここで目覚めて間もない頃だ。  するとその声は建物の空洞に反響して歪み、無残に引き延ばされながら散っていった。  音が広がるのがあれほど恐ろしかったことはない。  静けさが異様に深まって、この街は異常なのだと強く認識させられた。  ここには何もない、本当に、何もない。  自分の声のこだまが消えていくのを聞きながら、総毛立った。  おそらくシュウも同じように感じたのだろう。あの時の青ざめた顔が、目の奥に焼きついている。
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