観測世界124334番<ミドルエイジス>:『天』の名の下に

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 突然夫の前に現れた男は、ボロボロのマントに使い古された胴着とズボン等、普通の旅人のような姿だった。  手に持つ剣も特に変わった点はなく、体格も大きめではあるがそう特徴らしい特徴でもない。唯一目を引くものと言えば後ろ姿でも見えるその髪、夫が住んでいる地域では珍しい黒みがかった金髪くらいなもので、いってしまえば多少珍しい程度の容姿でしかなかった。  しかし見た目が普通であったとしても、いや、普通であるからこそ異様に思える時もある。  この男、存在感が異常なのだ。  先ほどまで盗賊に向いていた夫の注意は、今や突然現れたこの男に向けられている。盗賊たち、それに妻や息子たちもそれは同じらしく、言葉を発することすら忘れて皆が目を向けていた。  姿を現しただけで場を支配してしまったかのような、この男。  見た目は普通の旅人であるはずなのに、一体何がここまで人の注意を引き付けるのか――彼は、一体何者なのかという疑念が夫の脳裏を過ぎる。  そしてそのことを口に出したのは、皮肉にも盗賊たちの一人だった。 「な……なんだ、テメエは……?」  男の異常さに当てられたのか、震える声で言う盗賊。 「い……一体なんだって、聞いてんだよ!?」 「……」  男は、応えない。それどころか次の瞬間、一息に間合いを詰めて誰何(すいか)していた盗賊の首を斬り飛ばした。 「ッ! クソ、こいつ!?」 「構わねえ、やっちまえ! どうせ一人だ!!」 「囲んじまえば、どうってこたねえだろ!」  いきり立つ盗賊どもは、一斉に男に向かって襲い掛かる。  四方八方から得物を振り上げる盗賊どもに男は、しかし、落ち着いていた。最初に切りかかって来た盗賊を難なく切り伏せると、身を低くした姿勢で逆に盗賊どもに襲い掛かったのだ。  思わぬ逆襲に意表を突かれ、動きを止めてしまう盗賊ども。その隙を見逃さず男は数人を一息に(ほふ)ると、続けざま別の一団に狙いを定めた。  ここでようやく逆襲の衝撃から解放され、盗賊どもは正気に戻る。盗賊の一人が向かってくる男に斧を振り下ろすもあっさりと躱され、逆に足を斬りつけられた。  もんどりうって倒れる盗賊。それの胸を踏みつぶして止めをさした男はまた別の盗賊に切りかかって切り伏せ、更に別の者を襲うなど、その勢いは止まる所を知らない。  男が剣を振るう度、盗賊は切り伏せられる――男が向かう先で、血飛沫がまき散らされる。それでいて男には、傷の一つもついていない。  いつしか、盗賊どもの数は最初の半分にまでなっていた。その事実に、盗賊どもに戦慄が走る。 「な――なんだ、こいつ!?」 「一人だぞ……たった一人なんだぞ!? 20人以上の数を相手に、なんでここまで戦える!!」 「じょ、冗談じゃねえ! こんなバケモノ相手に、戦ってられるか!!」  男の強さに恐れをなした盗賊どもは我先にと逃げ出し、それを男は容赦(ようしゃ)なく追撃。新たな死体を作っていく。  やがて大地には数多の死体が転がり、流れた血で赤く染まるまでになっていた。 「……」  夫は目の前の光景に、呆然とするしかない。  凄まじい強さだった――数の差など何の意味もない。ただただ圧倒的な力というものを、垣間見たような気がしていた。 「あんた……」  妻が夫にしがみついてくる。子供達も男に視線を向けたまま硬直していた。  無理もないことだった。  形だけ見れば、男は盗賊どもから一家を助けてくれたことになる。しかしその男の圧倒的な強さと、逃げ始めた盗賊でさえも切り捨てる容赦の無さ。そして何より、眼前にある死骸の群れと血の海が、警戒感を覚えさせたのだろう。  だが夫には、不思議とそんな心配はいらないように思えた。  戦いが終わった後の男からは、穏やかな気配しか感じない。……戦いのすぐ後に穏やかというのも、変かもしれないが……少なくとも、盗賊どものように一家に襲い掛かるような真似はしないという確信を、なぜだか持てたのだ。 「……怖がらせてしまったか」  そして夫の想像通り、男の声はとても穏やかだった。 「討ち漏らした輩が、お前たちを襲うとも限らなかったのでな――切れる限り、切らせてもらった。しかし私のしたことは、女子供が見るには酷であっただろう。すまなかった」  剣を鞘にしまい、ゆっくりと一家に近づいてきた男は、深く頭を下げる。 「ッ! い、いえ……わ、私達は、貴方に助けていただいたわけですし、こ、こちらこそ、ご無礼を……!」  口ではそう言う妻。だが震える声には、未だ警戒がまざまざと表れている。子供達もそれは同様で、夫や妻にしがみついてきた。  しかし男はそれを咎めることなどせずに空を見上げ、穏やかな声のまま続けた。 「そろそろ日が暮れる……一先ず野営の準備をするとしよう。そして食事でもして落ち着くがいい。なに、盗賊どものことを心配せずとも良い。私がお前達を守ろう――その程度の力は、あるのでな」  そう言って彼は、枯れ枝を拾い始める。夫は「俺も手伝います」と言って枯れ枝を集め始め、いくらかもしない内に、森から焚き火の煙が立ち上るようになっていた。
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