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「そういえば、御仁」
「え?」
次の日の朝。
野営の後片付けをし、荷物をまとめて出発しようとしていた一家とゼノンだったが、そこでゼノンが口を開いた。
「貴方方の名前をまだ聞いていなかったと、今更ながらに気付いてな。良ければ、教えてもらえないだろうか」
「あ……そういえば、言ってなかったような……す、すみません、こんなことにも気付かなくて。俺は、シーランといいます」
頭を下げつつ夫、シーランは言う。続けて妻が「カラックです」と言い、長男がニコルズ、長女がビーランと名乗った。
そんな一幕を挟んだ後、彼らは移動を始める。目的地は昨日言っていた通り、シーランたち一家が暮らしていた村だ。
僅かな荷物を背負い、歩くシーランとカラック。しかしその足取りは重い。
正直な所、彼は村へ戻ることにあまり乗り気ではなかった。
もちろん、理性では昨日ゼノンが言っていた通りであり、戻るべきだというのは分かっている。しかし感情はというと、どうしても抵抗を感じてしまっていた。
彼の脳裏に焼き付いている、村が襲われる様――家に火を付けられ、殺されたり引っ立てられたりしている村人たちの姿が、シーランに戻るのを躊躇わせていたのだ。妻のカラックも表情が暗く、恐らく、夫と同様だったのだろう。
村へ戻るまでずっとこの調子なのか――夫婦は自分たちのことながら憂鬱になり、溜息を吐く。
そんな、村への道中。途中でとある一幕が起こる。その一幕のきっかけは二人の子、ニコルズであった。
「ねぇ、ゼノン様」
ゼノンは一家にぴったりと張り付き、周囲を警戒している。そんな彼にニコルズが――昨日まではゼノンを警戒していた彼だが、一緒に過ごす内に警戒を解いて普通に話かけるようになっていた――聞いたのだ。
「うん? どうした?」
「ゼノン様はどうして、あんなに強いの?」
「……ふむ。なぜお前は、そのようなことを聞く?」
「だってゼノン様って、背がそこまで大きいわけでもないし、村のおじさんたちみたいに筋肉がついてるわけでもない……見た目は、あまり強そうには見えないから……」
「こら、ニコルズ!!」
カラックが慌ててニコルズに駆け寄って頬をはたき、頭を下げさせる。
「も、申し訳ありません! 息子が、失礼なことを……!!」
「お母さん、痛い……」
「黙りなさい! お前はどれだけ失礼なことを言ったのか、分からないの!?」
「まあ待つがいい、ご婦人」
頭を掴んでいるカラックに、ゼノンは手を放させた。
「私は気にしていない。それよりも私は、この子がそう言ったことの方が気になる」
そう言ったゼノンは、膝立ちになる。
ニコルズと目線を合わせた彼は、「続けるといい」と言った。
「あまり強そうに見えない私が強い理由――それをなぜ、お前は聞いたのだ?」
「……ゼノン様が、そんなにも強いなら……僕も、同じように強くなれるかもって……」
「そうか、強くなりたいからか。……理由は、聞かずとも分かりそうだが……話してもらってもいいか?」
「……ゼノン様のように強くなれれば……お父さんとお母さん、それに妹を守れるから……」
「ッ!?」
隣のカラックが息を飲む。そんな彼女を他所に、瞳に涙を浮かべたニコルズは話し続ける。その声には今まで抑えていたのであろう、激しい怒りが滲み始めていた。
「ううん、二人だけじゃない……僕が強かったら、村の人達だって守れたかもしれない……僕が強ければあんな連中、僕の手で……!」
「そこまでだ」
言葉の途中、ゼノンがニコルズの頭に手を乗せた。
「お前の怒りは尤もだ。家族を守りたいと、世の悪に立ち向かいたいというお前の勇気はとても素晴らしいと思う。しかし私は、お前のような子供にはそのような思いを持って欲しくない」
ゆっくりと頭を撫でて、ニコルズに言うゼノン。口を尖らせたニコルズは、「どうして」と聞く。
「どうしてゼノン様は、そんなことを言うんですか? あんな連中、死んでしまえばいい――できるなら僕の手でそれをしたいっていうのは、いけないことなんですか?」
「いけなくはないさ。お前が抱いた怒りは至極当然のこと。それをいけないというのは、ただ、私が望まないというだけだ」
「ゼノン様が、望まない?」
「そうだ。私はお前のような子には、ただ穏やかに、心安らかな日々が送れれば良いと思っている。……いや、お前のような子だけではないな」
くつくつと、自嘲するように笑ったゼノンは、
「世界全ての者が穏やかに、心安らかな日々を過ごせれば良いと、常々思っているとも」
突然、そんなことを言い出した。
突拍子もない発言にシーランとカラックは目を点にし、長女のビーランはというと両親がそんな風になったことも知らず、ゼノンが言ったことを「すごい、そんなこと考えてるんだ」と幼子の素直さで褒めていた。
「ゼノン様って、えらいんですね」
「そうでもない。もし私がえらいと言えるのであれば、それは実際に世界をそうした時だ。そしてニコルズ。それは私の手で成したい――そのために手を汚す必要はあるだろうが、お前たちのような幼子が手を汚すのを、私は望まないのだよ」
「……難しいことは、分からないけど……じゃあ、ゼノン様があいつらをやっつけてくれるの? ゼノン様が、村が襲われたりするような世の中を変えてくれるの?」
「そのために、私はいる」
気負いもなく、ただ自然な口調で
「そのために――私は、ここへ来たのだ」
ゼノンは言った。
ニコルズはいまいち理解している様子ではなかったが、ゼノンの言葉に何かしらの真実の響きを感じたのだろう。「分かった」とだけ言ってゼノンにしがみつき、そのまま歩くのを再開した。
一方、心穏やかではないのはシーランとカラックの夫婦である。
彼ら二人には、はっきり言って、ゼノンの言葉は夢想の極みとしか思えなかったのだ。
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