Chap.1

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 自他共に認める真面目な生徒である玲にとって、こんな不面目極まりない出来事は、学校生活始まって以来初めてだった。恥ずかしくて恥ずかしくて、その場で床がぱっくり口を開けて、自分を飲み込んでくれればいいと本気で思った。   社会科の先生は、担任の加藤先生。まだ二十代の明朗快活な女の先生だ。玲が真っ赤になって「聞いていませんでした」と言うと、びっくりしたような笑顔で 「あらー、珍しい」  と言って、咎めることなく質問を繰り返してくれたけれど、玲は奈落の底まで落ち込んでしまった。  3階の音楽室から、吹奏楽部が『Ob-La-Di, Ob-La-Da』を練習しているのが聞こえてくる。  なんて一日だったろう。  渡り廊下を歩きながら考える。  ついてない日っていうのは本当にあるんだ。アンは『ヨナの日』って言っていたっけ。  悶々としている心とは裏腹に、歩調が音楽と合う。すると不思議なことに、気持ちがちょっと上を向き始める。  ついてない日だったけど、起こってしまったことは仕方ない。  降れば土砂降り。  It never rains but it pours.  それでも「Life goes on」なんだよね。  頑張ろう。  嫌なことが続くこともあるけど、でも人生だって続いていくんだもの。  まったくその通りだった。  玲は美術部に所属している。広い美術室には三十人ほどの部員たちが集まり、二週間後に迫った秋の学芸発表会の展示用作品に、それぞれが黙々と取り組んでいた。玲は他の何人かと一緒に、美術室の後方に置いたモチーフを囲み、静物画を描いていた。  ついていなかった一日の様々な場面を思い出しては振り切り、また思い出してはため息をつきつつ筆を動かしていると、部員の間を歩き回っていた先生が声をかけてきた。 「なんだ玲、どうした。具合でも悪いのか」  顧問の二谷先生は、美術教師。中肉中背、これといって特徴のない三十代くらいの男の先生だ。部の中で、何故か玲のことだけ名前で呼ぶ。 「いえ、大丈夫です」 「そうか?なんだか顔が赤いぞ。熱があるんじゃないのか」  左手にパレット、右手に筆を持って身動きの取れない玲の額や頬をべたべた触り、 「ちょっと熱いみたいだぞ」  と言いながら、髪の下に手を入れて首筋まで触った。生温かい手。  背筋がぞっとする。  気持ち悪い。
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