文字のない世界の郵便局員

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「今どこにいますか?」 「透明なボトルに入れられて漂流している」  この世界には文字がない。文字がないから伝言をする。そのため郵便局員の私はこうしてボトルに詰められて海を流されている。手紙の代わりに送られているのだ。  私の入った透明のボトルは二つの島を一日一往復する。二つの島の間にある海は潮目が一日一回変わるため流れが逆転する。  浜辺で郵便局員が私の入ったボトルを拾うと送り先まで運んでいく。送り先でボトルの蓋を女性が開けた。新鮮な空気が流れ込んできて私はボトルの外に出る。  ボトルの外に出ると体は元の大きさになった。私は彼からの伝言を彼女に伝える。 「あなたと会っていた日曜日の帰り道はすごく楽しい気分でした。でも、すぐ会いたくなって胸が締め付けられるようにつらいです。あなたのことが好き過ぎるのでボトルが届くのを待つ時間がとても長く感じます」  私は黒い髪のを後ろで束ねた清潔なワンピースの女性が胸に手を当てながら目を閉じるのを見ていた。  女性はしばらく噛みしめるようにして黙っていたが、大きく息を吸い込んで吐くとこちらを見た。  私は観葉植物のあるサンルームのテーブルに案内されると紅茶をいただいた。潮目が変わるまではまだ少しの時間がある。  紅茶を飲み終えると彼女がテーブルの前まで来て彼への伝言を私に話した。 「私は日曜日にあなたと会って、帰るときにこのまま死んでしまおうと思っていました。これ以上幸せな時間はもうこないかも知れないと思ったからです。一番幸せな気持ちのまま命がなくなったほうが良いと思いませんか?」  そう女性は言い終えると私に金貨を渡した。私は彼女の前で跪くと彼女はボトルの口を私に向けて吸い込んだ。体が小さくなってボトルの中に納まると彼女は蓋をする。  間もなく西の郵便局員がボトルを取りに来て砂浜まで歩くと潮目の変わった海にボトルを流した。私を入れた透明なボトルは東の島へと流れていく。  私にとってボトルの中にいる時間が一番つらい。太陽にじりじり照らされて暑すぎるのに加えて、伝言の内容が暑苦しくて幾度も頭の中をループするからだ。 「幸せ過ぎてこのまま死にたいだなんて。あんな男のどこがいいんだ」  漂流するボトルの中で腕枕しながらからからになった口を開いて空をみた。まだ太陽がが高い。  しばらくすると青空の中に海鳥が飛んでいるのが見えた。陸が近くなると海鳥が飛んでいるのでそれでわかる。日はだいぶ傾いている。  浜辺につくと東の郵便局員がボトルを拾って男のところに届けに歩いていく。東の郵便局員はボトルのあつかいが荒い。ボトルの中で幾度も体を打ち付けられた。  男に彼女からの伝言を伝えると男がつらそうな顔になった。 「明日の朝に来ましょうか?」 「いや、少し待ってくれ」  私はその場で立ったまま一時間ほど待たされた。この男はいつもお茶も出さない。男が私を見て伝言を伝えてきた。 「あなたが私のことを想ってくれる気持ちがいつか変わってしまうのかと思うと、私だって死んでしまいたい気持ちになります」  私は軽くお辞儀をするとボトルの中に収められた。東の郵便局員が受け取りに来ると郵便局の倉庫まで連れていかれた。 「お疲れさま」  夜になって開放されて家路につく。食事しながら髪を束ねた女性の大きな黒い目を思い出していた。  次の日の朝に郵便局に行くと倉庫の中で私はボトルに入れられて浜辺に向かう。潮目の変わった波打ち際におかれると、波が拾ってボトルは西の島に流されていった。  私は昨日会った髪を束ねた彼女のところに届けられた。彼女がボトルを見つめる。頬は紅潮して恋をする女性の顔になっていた。  大きく息を吸い込んでから息を吐く。 「はぁ」  私は彼女の目を見ながら彼からの伝言をゆっくりと伝えた。  彼女は彼からの伝言を聞くと私をサンルームに案内して紅茶を入れてくれた。彼女のいれる紅茶は香りが良い。良い茶葉を使っているに違いない。  テーブルの上に金貨を置くと、まだ頬の赤らんだ彼女が口を開く。 「誰にも恋人ができたと言っていないのに、皆が恋をしているのかと聞いてきます。恋をしているのが顔に出るくらいに私の心と体に異変が起きているのです」  確かに隠せていないなと思った。恋をすると女の人は心と体がおかしくなってしまうのだろうか?  彼のもとに伝言しに行くと、また立ったまま一時間待たされた。金貨を一枚私の手のひらに渡すと彼は私の目を見て話だした。 「あなたをのことを想いすぎて疲れたから今日は寝ようと思う。夢の中であなたに会えるかもしれないし、会えなくても、あなたを好き過ぎて疲れてしまった体を休められるから」 (こっちだって早く家に帰って寝たいのだ。これだけ言うのに一時間もかけるなよ)  次の日の朝にはまたボトルに入れられて海に流された。私はこの仕事が嫌いだ。毎日ボトルに詰められて海を往復するだけの人生。  彼女の元に着くと顔を紅潮させた女性は玄関の前に立ってボトルに入った私を待っていた。郵便局員からボトルを受け取ると急いで部屋に入って私をボトルから出した。  私は立ち上がって、彼が私をじっと見て話したように彼女をじっと見つめながら彼からの伝言を伝えた。  彼女の目にはうっすらと涙がたまって、大きな黒目が潤んだ。目から涙がこぼれ落ちた後に観葉植物のあるサンルームに通されてテーブルに座った。  彼女は紅茶を持ってきてテーブルに置くと、私の目の前に座って紅茶を飲み始めた。なにかを話すわけでもなくずっと私の顔を見ながら考えているようだった。 「私の心は乱れて止められなくなってしまいました。こうなったのはあなたのせいですよ」  彼女は私をじっと見て話しかけると手を握って金貨を一枚渡してきた。 (あの男に彼女をこんなにも狂わせる魅力があるだなんて)  仕事に私情を入れ込むのはいけないことだとは分かってはいたが、彼への嫉妬が少し自分の中に目覚めてきているのが自分でもわかった。  ボトルの中で揺られながら彼のもとにいくのが嫌だなあと思った。  彼の家につくと彼もまた玄関の前に立って待っていた。私は彼の前で瞳を潤ませた後に涙の筋を作って見せた後、彼女の伝言を伝えた。  彼は私が涙を流したのを見て驚いたようだった。体で演技はしないが表情や口調は出来るだけ再現しているつもりだった。  その日はいつもの様に立って待たされなかった。彼は金貨を一枚私の手に握らせる。 「あなたを想う気持ちは時間が経つにつれて川の淵のように砂が削れてどんどん深くなっていきます」  彼は私の体を抱きしめながら伝言を伝えてきた。髪に彼の手が触れて私は体が硬直した。  郵便局に帰るとボトルから出て家に帰った。彼に抱きしめられた感触が残っている。髪に彼の手の感触が残っていつまでも気持ちが悪かった。  朝になってボトルに入れられると浜辺に置かれる。その日は嵐で海は荒れた。ボトルの中で吐きたくなるのを堪えてしのぐ。  グレーの空から大粒の雨が降ってきてボトルを叩きつけた。  その日は海が荒れたせいでいつもの場所にボトルは漂着しなかった。郵便局員は私の入ったボトルを探すのに時間がかかった。  いつもよりも大分遅れて彼女の家に運ばれる。玄関ドアを開けた彼女はかなりやつれているように見えた。私はボトルから出されると少しふらついた。  彼がしたように彼女を抱きしめながら伝言を伝えて髪に手を触れた。彼女の体が電流が流れたようにびくりと動く。  彼女の体から離れて私は深くお辞儀をした。今のは自分が勝手にしたことではなく彼がしたことだと分かってもらうためだった。   彼女はとても驚いた顔をしてから先日のように様に紅茶を入れて向かい合って飲んだ。会話はなかったが、紅茶を飲んでいる間、彼女はずっと私を見つめていた。  紅茶を飲み終わって落ち着いたころに彼女が立ち上がって、私に金貨を1枚渡した。立ち上がった私に抱きついて体を押し付ける。 「あなたからの伝言を聞き終わったあとにひとりでいる時間がどれだけ長いことか。ひとりで寝るのがとてもつらいのよ」  彼女に抱きしめられながら、とても幸福な気持ちになった。感情が彼女に傾いていくのが自分でも分かる。  自然に彼女の体に私も手をまわして抱き合う形になってしまうと、伝言を聞き終わったあとも、しばらく抱き合ったままでいた。  私を乗せたボトルが東に流されると嵐は去っていたがすっかり夜になっていた。真っ暗な海の中を流されながら星空を見る。  彼の家についたのは朝方になってからだった。朝に彼の家にいくと彼女からの伝言を伝えた。彼女が私を抱きしめてくれたようにしたが、時間は短くした。  彼は伝言を受け取ると、その日は朝だったこともあり、私を待たせずにそのまま伝言を返した。 「あなたの夢を見ました。それが夢だとわかっていたら夢から覚めないでいたのに」  そういって私から離れると、私に金貨を渡してすぐに伝言を届けてほしいと言った。 (夢で逢えるのならお互い急がなくても良いだろうに。こうしていつも依頼してくれる良いお客様だから文句も言えない)  私は郵便局に戻ると仮眠をとってすぐにボトルに入って彼女の元へと流されていく。  彼女のもとに私が来ると彼女は嬉しそうにボトルを持って家の中に入った。ボトルから私を出すと彼女の方から抱きしめてきたので、抱きしめられながら彼の伝言を伝えた。  実際も近いシチュエーションだったから問題はないだろう。  サンルームで紅茶を飲んだあとに彼女はテーブルに金貨を置くと、座ったまま私に言った。大きな黒目が私の顔を直視している。 「あなたに会うよりも伝言のやりとりの方が好きです。明日は会わないでいましょう」  私がボトルに入る寸前に彼女は私を抱きしめて微笑む。  ボトルに揺られながらあの微笑みはどんな意味があるのだろうと思った。伝言への追加だろうか?   彼に会うのがすごく気が重かった。夢で見るほど会いたがっていたのに気の毒だ。  彼の家に行って直立したまま彼女の伝言を伝える。表情は変えなかった。  彼は大きく目を見開いてとても驚いていた。 「少しの間、応接室で待ってくれないか」  応接室に通されると彼が初めてコーヒーを出してくれた。 「彼女は伝言のほかになにか言っていなかったかい?」 「いいえ。伝言の他には何も」 「もしかして彼女の家には他の男がいたかい?」 「そのようなことにはお答えできない規則ですが、誰もいませんでした」  彼はそれを聞いてしばらく考え込んだ。テーブルの上に金貨を置くと立ち上がって私を抱きしめながら耳元で伝言を伝えてきた。 「あなたに会えないのがこんなにつらいのなら死んでしまおうと思いましたが、次に会える日まで生き続けたいと考えています」  私は次の日になって彼女の元に行くと彼がしたように彼女を抱きしめながら、彼が言ったことを伝えた。  彼女は私のことを抱きしめ返してくると大きく息を吐いた。 「そうしてください。死のうだなんて思わずに手紙を送り続けてください。私はそれで幸せです」  つい私は口を開いてしまった。私語は厳禁だった。 「なぜですか? なぜ彼に会ってあげないんですか? あなたは彼のことがこんなに好きなのに」 「なぜって? 彼のことは好きよ。でも見た目はあなたの方が好き」  彼女はそう言って私にそっと口づけをした。 「今のは彼に伝えないでね」  私が驚いた顔で彼女を見ると、嬉しそうな顔で私を見つめていた。  ボトルに揺られて青空に浮かぶハート型の雲を見た。  私はこの仕事が嫌いだった。でも今はそれほど嫌いではない。
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