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いま、どこにいるの。慧。
もうどれほどの数かわからないくらい胸のなかで問いかけてきた言葉を、またつぶやいてしまう。
空港の展望デッキから眺める午前10時の空は、秋のさわやかな空気に洗われて、果てしなく遠くまで澄みわたっている。
その青々とした上空へ、たったいま滑走路を離れたベトナム航空機が、ジェット音を響かせててぐんぐん駆けのぼっていく。
さっきまでは深い青緑色に見えていた機体だけれど、明るい空をバックにすると鮮やかなブルーに変化して見える。尾翼にデザインされた黄金色の蓮の花が光を反射して、神々しいような輝きを放っている。
慧とわたしのお気にいりだった航空機が、ハノイをめざして飛んでいく。
きれいだよね。
空が似合うよね。
夢みたいなところへ連れて行ってくれそうだよね。
そんな会話を交わしていたのがついこのあいだのように感じられて、わたしは慧と離ればなれでいる歳月を忘れてしまいそうになる。
いまにもあなたが、「ただいま。等深」と、後ろから声をかけてきそうな気が、どうしてもしてしまう。
わたしはじぶんのお尻を叩くような思いできりりと気持ちを引きしめて、展望デッキに背を向ける。そしてターミナルビルのほうへ急いでいく。
慧と出会ったのも、このエアターミナルだった。
あの頃のわたしはグランドスタッフとして働きはじめてようやく一年半が経ったところで、ひと通りの業務はどうにかこなせるようになっていたけれど、完璧にはまだまだほど遠く、ひよっ子扱いされてもしかたがない身分だった。
その日のわたしは遅番の勤務で、夕方の休憩を取るためにチェックインカウンターを離れ、上りエスカレーターに向かって歩いていた。そのとき、とつぜん呼び止められたのだ。
白い肌にエメラルドグリーンの瞳、顔の下半分にシルバーの髭をたっぷりたくわえた、高齢の男性に。
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