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あなたが東部アフリカへ旅立つ3日前のことだった。
ふた月後に30歳の誕生日を迎えるわたしに、あなたはふいに言ったのだ。
「僕が日本に帰ってきたら、結婚しようよ。ちゃんと籍を入れて、いっしょに暮らそう」
あなたの口からそんな言葉が出るなんて、夢にも思っていなかった。 わたしはあなたのご両親やお兄さん、その奥さまにきちんと紹介されてきたけれど、慧をわたしの家族に会わせることはおろか、付き合っているという事実すら隠しとおしてきた。
わたしより何百倍も保守的な両親は、いったいどんな反応をしめすのか。
考えただけで頭がくらくらした。
「ありがとう。わたしも慧とずっといっしょにいたい。でも慧は結婚したあとも、いまと同じように旅をつづけるのでしょ。
ねぇ、もし赤ちゃんができたらどうするの。
わたし、精神的にも経済的にも自立してるって自認してきたけど、ひとりで子育てするのは不安よ」
現実に起きてもいない懸念を思わずこぼすと、あなたはわたしを抱き寄せて、迷いのない声で言った。
「等深を不安にさせないようにするよ。これからは。そういう生き方をするって約束する」
あなたの熱を感じる息に耳をくすぐられ、わたしは淡雪のようにあっけなく溶けていきそうになりながら、脳裏に浮かんでやまない憂いをつぶやいた。
「でもそんな生き方をしたら、慧らしさが失われてしまうんじゃないの」
大空を翔ける鳥のように自由で、かぎりなく大らかな心が。
するとあなたはわたしを抱きしめる力をほんのすこし強めて、こう答えた。
「そんなことない。生き方がどう変わったって、俺は俺だよ。
等深をひたすら愛する、ただの男に変わりないから」
日本を飛び立ったあなたは帰国予定日が過ぎ、わたしの誕生日が訪れても帰ってこなかった。
東部アフリカのある国に入国して街の宿に1泊し、田舎の宿に2泊してチェックアウトしたことまではわかったけれど、その後の消息はつかめなかった。
あなたのご家族は現地の日本在外公館と何度も連絡を取り、現地警察へ照会したり、捜索願いの届けを出したりした。
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