迷える者たち

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 一年前のちょうど今日。エレベーターの点検業務を行う会社に勤める俺は同僚の小松俊介と市内のオフィスビルに設置されたエレベーターの点検作業に入った。そのオフィスビルは八階建てで、周りの建物を見下ろすように立っていた。  そのビルには定期的に点検に入っていて、その日もいつも通りに作業は進むはずだった。 「今日はめちゃくちゃ寒いな」  建物の中だというのに吐く息は白い。点検作業の途中、あまりの寒さに俺はぶるぶる震えながら小松に声をかけた。小松とは年齢が同じこともあり、親しくしていた。 「廊下には暖房を入れてないみたいだ。電気代を節約してんだろ」  寒さのせいか、廊下に並ぶ扉はどこも閉め切られている。まるで廃墟のように静まり返るエントランスホールに同僚と二人、冬の厳しさを感じながらエレベーターに専用端末をつなぎ、運転状況の履歴を確認していた。 「おまえ、クリスマスって彼女と一緒にいるわけ?」  小松に訊ねる。彼は同じ職場で事務をしている女性とつきあっていた。 「そのつもり、なんだけどさぁ。正直めんどうなんだよね。結婚すりゃ、ずっといるわけだし。独身のうちは自由にしていたいよ。なのに、あいつ、うちに来るって言うんだ。合鍵を渡してっから、さすがに家にいないとやばいだろ。というわけで約束したんだ。彼女と一緒にイヴを過ごすって」  同僚はのろけているわけでなく、本気でめんどくさがっているように見えた。それが俺の癇に障った。  同僚がつきあっている女性は俺にとって憧れの女性だった。俺たち作業員は現場から営業所に戻る時間が遅くなる。だから彼女には朝の出勤時しか会うことができなかった。少しでも彼女と話したくて折を見ては話しかけていた。そんなある日。いつもより早めに出社すると、たまたま廊下で彼女とすれ違った。軽く挨拶を交わしたとき、彼女の制服にどこか違和感を覚えた。振り返ったときブラウスの襟元のタグがこちらを向いてペロンと舌を出すように表に出ているのが見えた。  ブラウスを裏返しに着ているのだ。すぐに気がつき、彼女の背中に声をかけた。耳元でそっと教える。彼女は、ハッとすると白い頬を桃色に染めた。 「あ、ありがとうございます。わたし、おっちょこちょいだから」  あたふたしながら彼女はますます染まっていく頬に手を当てた。熱を帯びるように瞳が潤んでいた。 「いや、俺もよくやるから。このあいだも現場でお客さんから指摘されたんだ。だから気にすることないよ」  じっさいはそんなミスをしたことはない。いや、あるわけない。俺が着ている服は会社から支給された白一色のつなぎの作業服だ。裏返して着るなんて間抜けすぎる。だけど、彼女の恥じらいを少しでも和らげたくて、取ってつけたような嘘をついた。 「わたしたち、気が合いそうですね」  初めて見る彼女の笑顔だった。屈託のない、天使のような笑顔。  それから俺は彼女と親しく話せるようになり、そのうちつきあえると信じていた。  彼女が同僚の小松とつきあうようになるまでは。 「小松さんとつきあうことにしたんです。でもこのことはまだ内緒ですよ」  頬を赤らめた彼女の口から小松とつきあうことになったと聞いたとき絶望した。 「すごくお似合いだよ。よかったね」  痛いぐらい心臓の鼓動が乱れていた。嘘をついていたから。  彼女のことがたまらなく好きだった。
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