迷える者たち

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 オフィスビルのエントランスホールはいつものように静かで人の気配がない。昼休みになるとたまに背広姿のサラリーマンを見かけることもあるが、そもそも入居する会社が少ないということを最近になって知った。つまり空室ばかりが並んでいるのだ。 「いまどこにいる?」  まただ。何度もかけてくる電話に歯ぎしりする。  そっちこそどこにいる?  携帯を握りしめ当てもなく歩く。廊下を曲がったそのとき赤いシャツを着た人影が視界の隅をよぎった。影は非常階段のほうに消えた。  あれは? まさかそんなはず……。  一瞬だけ捉えたその影に覚えがあった。死んだ同僚、小松に見えた。  もしかしてあいつは成仏できずに、まだこのビルをうろついているのか。  得体の知れない恐怖から逃げ出したい気持ちと真実を突き止めたい気持ちがせめぎ合う。刹那にあとを追うことに決めた。 「いまどこにいる? そうだ、こっちだ。こっちに来い」  携帯電話からは俺の声が聞こえてくる。いやそれは俺の声じゃないのかもしれない。最近じゃAIを使って自由に声を作り出せるという。あの日俺はこっちに来いなんて言ってない。いまどこにいる? としかメッセージには残していないはずだ。  いったいなにがどうなってるんだ。頭がおかしくなりそうだ。  気持ちが逸るばかりで足取りはおぼつかない。  脳ミソ全体にすっぽり薄い布を被せたように思考がぼやける。  それでも一歩、また一歩と廊下を進む。やはりあたりに人の気配はない。  屋上に行けばわかる。直感がそう告げる。  ふと気がつけばつま先に段差を感じた。屋上に上がる階段だ。  一段。また一段。壁を伝いながら上っていく。こんなにも薄暗かっただろうか。非常階段がやけに暗く感じた。  屋上に行けば光があるはずだ。  うっすらと扉が見えた。ぎぃと軋む音とともに光が見えた。  とにかく外に出よう。  片足踏み込んだ瞬間、突風に煽られ体が傾く。  まるであのときのようだ。揺れる視線がひとつの光を捉えた。じっと目を凝らす。  あのときと同じ場所に携帯電話が転がっている。屋上の際に近い場所。まさかあいつのなのか。冷たい風に押されるようにゆっくりと扉を閉じる。  携帯の画面が俺のほうを見ている。まるであの日を再現するかのように屋上の際に立てかけられていた。  ぐるりと見回す。受電設備や背丈ほどある室外機が数台並んでいる。隠れているならその後ろだろう。計画していたのなら凶器を持っているかもしれない。だがそのときはそのときだ。腹を決めて素早く周辺を探った。  どこにも赤いシャツを着たやつはいない。たしかに屋上にあがったはずなのに。  急いで携帯電話が落ちている場所まで駆け寄る。 「いまどこにいる? いまどこにいる? いまどこにいる?」  まさしく俺のメッセージが再生されている。ということはやはり小松のものなのか?  いったいだれがなんのために?  しゃがんで手を伸ばしたとき、横から細い指先がにゅっと伸びた。
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