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すくい上げられた携帯電話の先に涼子がぼんやり立っていた。まるで生気が感じられない。
「ど、どうしてここに?」
「自分でもよくわからない」
「なんだって?」
廊下で見た影は涼子だったのだろうか。彼女は制服ではなく、赤いワンピースを着ていた。
「事務所で仕事をしてたら急に眠気がきて。ハッとしたら俊介くんが目の前にいて悲しそうな顔をしてこの携帯電話を落として行ったの。それを拾おうとしたらここに……」
そう言いながら涼子は俺から距離を置くように後ずさる。
「なに言ってる? 死んだ小松が涼子をここまで連れてきたって言うのか」
そんなことが起こるはずない。涼子はうそをついている。恐らく彼女は偶然手にした小松のスマホからなにかを感じ取ったんだ。
まさかバレたのか、不安が胸に押し寄せる。夢にまで見た彼女との生活がすぐそこまで来ていたというのに。まるで悪夢に迷いこんだみたいだ。
「それだけじゃない。彼は私にこんなことを言ったわ。『ぼくはいまどこにいるんだろう? 自分がいまどこにいるかわからない』って。ねえ、それってどういう意味だと思う?」
涼子が探るような目で俺を見ている。
あいつは死んだ、どこにもいない。ただそれだけだと言ってやりたい。にも関わらず俺は答えあぐねていた。ぼんやり考える。涼子はどこまで知っているのだろうか。
「このビルで毎年、同じ日に後追いする人がいるんだって」
「なに……を言ってるんだ?」
背筋が凍りついた。俺の作り話をなぜ涼子が知っている。それはあいつしか知らないはず。
「見つけてあげたい。私はまだ俊介くんがこのビルのどこかを彷徨っているような気がするの」
「そんなはずない」
俺は全力で否定する。もう小松のことなんか忘れてくれ。涼子のことを本気で好きなのは俺だ。それなのに涼子はまだあいつのことを……。
「あなたが彼を突き飛ばしたんでしょ」
涼子が刺すように言った。
「違う。勝手にあいつが落ちたんだ。たしかに俺は屋上にいた。だけどそれは具合が悪くなって風に当たりたかっただけだ。本当だ」
弁解の言葉を必死で口にする。
「うそつき!」
ぞっとするような目で涼子が睨んだ。おっとりとして、いつも穏やかな顔をしていた彼女が初めて見せる顔だった。まるで別人のように醜く歪んでいた。
「うそじゃない。そうだ、証拠がある。いま思い出した」
いまさらなにを言っても無駄だろう。彼女と幸せな日々を送るはずだったのに、それはもう叶わないのかもしれない。
あきらめよう。そう自分に言い聞かせる。
俺は目で彼女と屋上の際までの距離を測った。二メートルもないだろう。抵抗されると失敗する可能性もある。微妙な距離。
「俺の携帯に、あいつが飛び降りる瞬間を撮った動画が残ってる。必死に止めようとした俺の声も残ってる」
近づこうとすれば涼子は後ずさる。それならば彼女のほうから近づいてもらえばいい。俺は咄嗟に思いついたうそを並べた。
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