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「ほんとなの?」
「動画を見ればすべてわかる。信じてくれ」
必死に訴える俺になぜか涼子は薄く笑った。唇の端を歪めたその顔があの日見た小松の顔と重なる。彼女はゆっくりと近づいてくる。
涼子のことを本気で愛していた。クリスマスにプロポーズしようと思っていたのに……。
虚しい俺の思いは吹き抜ける風にさらわれる。
涼子が目の前に立った。最後に彼女の顔を目に焼きつけようとじっと見つめる。彼女は気がついていない。その場所は一年前、小松が飛び降りた場所ということを。
「証拠を見せてくれる?」
氷のように冷たい涼子の瞳に俺は心を決める。いまも彼女は小松のことが好きなんだ。
「これが証拠だ」
つなぎの右ポケットから携帯電話を取り出す。ゆっくりと頭上に掲げた。その下は八階下の地上だ。横殴りの風が吹き抜けた。まるで地上へ引き摺り込もうと手ぐすねを引いているように。
「こっちに渡して」
つま先立ちで彼女が両手を伸ばした。
そんなに小松のことが好きなら……。
握りしめた携帯電話を振り下ろす反動で左腕に力を込めた。
「おまえもあいつのところに送ってやるよ!」
渾身の力で彼女の体を払った、はずだった。
なぜか涼子を押し出したはずの左腕は空を切っていた。
なにが起こったのかわからない。どういうわけか涼子の体は透きとおっていた。映写機でスクリーンに映し出すように。
「はぅ」
バランスを崩した体を立て直そうとするが、つま先が屋上の段差につきあたる。あわてて大きく一歩踏み出した。だがそこに踏みしめるはずの地面はなかった。
まるで飛び込み台から飛び降りるように俺の体はビルから離れ、宙に浮かんだ。遠くに霞むビル群が一瞬見えた。
「うわっわあああ」
重力に導かれ奈落の底へと落下していく。
近づく地面に顔を背けるように屋上を振り返ると、そこには落ちていく俺を見下ろすような格好で小松が立っていた。白い作業服を真っ赤に染めた、あの日の姿のまま。光を背にした彼に顔はなかった。
舗装されたコンクリが直前に迫ったとき、俺はやつの声を聞いた。
「約束したんだ。クリスマスは彼女と一緒にいるって。彼女はいまも俺のことを待っている。いまどこにいるの? って。おまえは俺がいまどこにいるか、知ってるんだろう。なあ、こっちに来て教えてくれよ。俺はいまどこにいるんだ」
その声が終わった瞬間、冷たく固いコンクリの衝撃が全身を貫くとともにトマトが破裂するような大音響が頭蓋を砕いた。
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