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「いえ、当店は喫茶店ではなく、本格ロシア料理レストランです」
ですが、さらに彼女はなんだかおかしなことを言い始めたんです。
「……はい? 何言ってるんですか? ここは前から喫茶…」
眉間に皺を寄せ、わけのわからぬまま言い返す僕でしたが、ふと店名の書かれたメニュー帳の表紙へ目を落とすと、そこにはよく知るその店の名前ではなく、何かロシア文字っぽいものが金字で記されています。
「そ、そんな……!?」
自分の目を疑いながらも慌ててそのメニュー帳を捲ると、そこにはコーヒーの代わりにロシアンティーが、トーストやナポリタンといった、いかにも喫茶店らしいメニューの代わりにピロシキやボルシチ、ビーフストロガノフなんかの料理名が記されているんです。
慌ててメニュー帳から顔をあげ、店内をあちこち見回してみると、確かに見憶えのある店の造りや照明の雰囲気ではあるのですが、やはりロシア文字の書かれたポスターや、モスクワと思しき風景の白黒写真なんかが貼ってあったりと、なんだか細部が微妙に異なっています。
そう言われてみれば、店内に漂う香りもコーヒー独特のそれではありませんし、女性の方へ視線を戻してみると、身に着けている白いエプロンもロシアの民族衣装っぽい花柄の刺繍が施されたものです。
「なんてこった……あ、あの、前はここ、喫茶店だったはずなんですが、いつからロシア料理店に変わっちゃったんですか? マスター…いえ、前のオーナーだった方は?」
この異様な状況から僕が思い至ったのは、そんな可能性でした。
つまり、僕が前回訪れてから今日までのわずかな合間に、なんらかの事情で急遽オーナーが替わり、それまでの喫茶店をやめてロシア料理店を始めたという、そういった大人の事情による職業形態の変更です。
「いえ、前から当店はロシア料理店ですよ?」
ところがです。僕の質問に彼女はきょとんとした顔をして、怪訝そうにそう答えるんです。
「ええ!? そんなわけないですよ! 確かにこの前までここは喫茶店でした! 昔から通っていたお店です。間違いありません!」
「あのう……どちらかのお店とお間違えなんじゃないですか?」
思わず大きな声を出して言い返す僕でしたが、彼女は困った客だなあ…というように眉を顰めて、痛いヤツを見るような眼で逆に問い質されてしまいます。
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