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「ところで馬場さん、何か気づくことはないですか」
「何かとは?」
「何でもいいんです。何か――研究員特有の発見とか」
「そうですね、強いて言えば刑事というのは差別主義者ということとか」
「……面白くない冗談です」
「そりゃ、冗談じゃないですから」
「――馬場さん、わざわざ隣県の同系列の研究所から来ていただいたのはありがたいですが、こちらはワガママともいえるあなたの条件をのんでいるんです。もう少し協力する姿勢を見せていただかないと、困ります」
現場はなるべく少人数、時間は二十二時――そんな要求を伊東刑事がのんだのは、調査が行き詰まったからだった。不本意ながら協力を仰いだ相手は、よくわからない研究をしている施設の不気味な職員。変人の考えることなど知ったことか、と特に要求の理由を推察することなく、今に至る。
二人の間に冷たい空気が流れたところで、ふいに、スマホの着信音が鳴った。伊東刑事は「すみません」と馬場に断りを入れて、画面の応答キーをタップする。
「はい、伊東です……えっ? 男性の遺体?」
そこまで言って、伊東刑事は馬場を一瞥する。
「……後でかけ直します。はい? ああ、わかりました。気を付けますから、また」
「遺体?」
電話を切った伊東刑事へ、馬場は言葉を投げかける。
「……すみません、こちらの話ですので」
「気を付けるって、何に? もしかして、遺体が発見されたのはこの近くだったりして。辺りは人気のない山ですから、あり得ますよね」
「馬場さん、電話の話はいいですから。こっちの――研究所の事件について話しましょう」
「そんなに聞きたいですか」
「勿論……そのために貴方を呼んだんですから」
馬場は、眉尻を下げる伊東刑事へわざとらしい笑みを向け、一呼吸置いてから口を開いた。
「……生まれたばかりの赤子は、生きるのに必死で、本能のままに生命活動をするんだ」
「……はぁ」
「それから、やがて、理性の獲得、自我の確立のためにある過程を辿るんです」
「過程?」
何の話だ、という言葉を飲み込んだ伊東刑事は、馬場の言葉を繰り返す。その声色にほんの少し孕んだ怒気を知ってか知らずか、馬場はにたにたと笑うのをやめない。
「模倣です。自分の感情を伝えたい。でもその術がわからない。だから、周囲の真似をする。初めはそうすることでしか、表現できないんです」
「……なるほど。それで、事件と何の関係が?」
「被験体は友好的であったと、そう思いますか?」
伊東刑事はハッとした顔つきで思索を巡らす。
「友好的だったんじゃなくて――そう、見えただけ?」
「友好的であったのは本当です。人と接するのに、その方法しか知らなかったんだから。何しろ研究員は変態揃い、何だかわからない生命体相手に可愛いだのと抜かす」
「……随分言い切りますね、馬場さん。あなたも研究員の一人ではないのですか?」
伊東刑事から差し向けられた、怪訝そうな目線と問い。それをいなすように軽くため息をついて、馬場は再び語り始める。
「――ここの研究員、夫婦が一組いましたね?」
「……ああ、日記にも書いてありましたね。確か、高島夫妻でしたか」
「彼らは毎晩、培養槽の前で愛を囁いていました。キスと共にね」
そう言うと馬場は、伊東刑事に詰め寄る。伊東刑事は咄嗟に後退し、馬場から距離をとった。
――この男は気持ち悪い。頭の中で警鐘が鳴り、額に汗が滲む。
「あれ、してくれないんですか。私は直接触れるコミュニケーションはそれしか知らないのに」
「馬場さん、貴方……」
「私が何を思って、それをどう表現するか、あなたは理解してくれますか?」
伊東刑事が最後に聞いたのは、馬場の嘲笑。彼の面のような不気味な笑顔を最後に、視界は黒く染まった。
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