ハヤトとフウマ

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ハヤトとフウマ

 父と母が交通事故で病院に運ばれたと聞いたのは大学のキャンパスで。  兄ちゃんの方にはもっと前に連絡があったらしく、大学まで迎えに来てくれた。  病院に着いて両親の顔を確認して救急車の中で息を引き取ったと聞いた。  その後の事はあんまり覚えてない。  兄ちゃんが喪主で俺が施主で、仮通夜やって通夜やって葬式やって火葬場行って、骨拾って家に帰ってきたのは事故にあったと連絡が来てから何日たった頃だったのかな。  忌引出したっけ?なんて思えるようになったのは、四十九日が済んでからだった。  全部兄ちゃんがしてくれたんだ。持ち家の名義の書き換えも生命保険も賠償請求も、それに俺の学費の支払いも。  俺は父も母も大好きだった。父も母も俺たちにはものすごく甘かった。仕事が好きで家族が好きで、何よりお互いが大好きな二人だった。  兄ちゃんだって両親が好きだった。二十四歳になっても「一人暮らししたい」なんて言いながらずっと実家暮らしだったし。給料日には家族みんなを招待してくれて、焼き肉屋や寿司屋に連れて行ってくれた。ボーナスなんて出た日は家族全員に好きな物を買ってくれた。クリスマスが年に二回あるみたいね、って母さんがよく言っていたんだ。  たまたま二人の休みが重なって、それが結婚記念日を挟む三連休だったからって兄ちゃんと二人で出し合って温泉旅行に送り出したんだ。土産も何もいらない、楽しんできてって。あの日の夕方、駅で落ち合ってそのままドライブがてら何か食べに行こうよって前の日に父さんから連絡が来た。  高速で玉突き事故だって。何台も絡む大きな事故だって言ってた気がする。真ん中らへんで巻き込まれた両親は顔以外見られたもんじゃなかったって兄ちゃんに聞いた。警察の迅速な対応でまだ息があった両親は病院に運ばれて、そして息を引き取った。  遺言もなにもなかった。ただ、潰れて無惨な我が家の車からたくさんの温泉宿の紙袋があって、俺と兄ちゃんとそれぞれの会社への土産が出てきた。  両親の事故から四ヶ月も過ぎた頃だった。  俺も兄ちゃんもその時に泣いた。俺は声を出して子供みたいに二人を呼びながら。兄ちゃんは静かに。
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