ムラセとサイトウ

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ムラセとサイトウ

 齢も二十七歳になると会社では役職が付いているわけでもないのにわりかし責任のある仕事を割り振られるし、自分が新卒からちっとも成長してないと思うのにどんどんと後輩ができてくる。  その後輩が容姿も仕事もプライベートですら所謂“良い男”であれば、先輩である俺の心は廃れていくってもんだ。  出来ないなりにがんばってるんだけどなぁ。 「ムトウ!お前まだ資料出来てないのか!何日かけるつもりだ!」  都心から少し外れた場所にある小さな会社のそのまた小さな部。そしてその中でもとりわけ人数が少ない我が課の課長の声が課の中で響き渡る。ムトウ!と怒鳴られると身が竦む。昔から男の人の怒鳴り声が苦手だ。父が酒乱で酒を飲む度に大きな声で叫びながら殴られたからだとはわかっているし、父が急逝して既に八年も経てば記憶だって薄れているはずなのに。  言われている資料だってついさっき課長から言い渡されたヤツで、それだって他の急ぎのがあるから無理だって言ったのに押し付けたのは課長。  父から受けた痛みはあの時の父と同世代の課長がちゃんと引き継いで俺を追い詰める。  だから俺は痛みを消すために、誰かに抱いてもらうんだ。酷く、痛みを伴うように。  課長から受けた傷は舐めとってもらって、見知らぬ男から別の傷を受ける。その傷がある内はまだ“生きてる”と実感できるから。  自分はゲイだと公言している主任は俺より二つ年上の真面目を絵に書いたような人だ。  その主任が今、俺の目の前で美味そうに社食のA定食を食べている。  緊急事態宣言が発令されても解除されても、会社員ってヤツは仕事をしなくちゃならないし、リモートワークでできる仕事なんて限られている。  小さな会社だ。そのわりに支店が多くて、役職持ちは支店回りが義務のようについて回る。それを役職なんて何にもついてない俺が課長の代わりに見回りをしなくちゃいけなくて、それなのに通常業務は普通にある。  死にものぐるいで働くつもりはないけれど、使い捨てにされるつもりもない。  今日の残務はあと少し。それが終わったらまた誰かに傷を癒してもらうんだ。
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