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「お父さんの病気は治ったの?」   小学校の前の道はすこし狭くなったような気がした。  校門と敷地を囲むフェンスは塗り替えられ、ヤギのいた飼育小屋は撤去されている。 「いいや」  と歩夢は答えた。  結局、歩夢が中学に上がった年に、父さんは亡くなった。  当初、周りが覚悟していた余命はずいぶん延び、良い方へ裏切られたが、病魔を追い払うことはできなかった。 「そう、残念ね」  頼子は沈んだ声で言った。 「でも父さんは元気になったんだ」  と歩夢は言った。  全身を蝕んでいた絶え間ない疼痛が消え、食欲が戻り、大きな声で笑えるようになった。  検査結果と矛盾する患者の状態に首を傾げ、入院続行を提案しつづける主治医を本人が説得して強引に退院した。  父さんは本当に元気だった。  運動会の応援にも来てくれたし、小学校の卒業式の後は家族で沖縄旅行にも行った。  本人はおろか、主治医にも誰にも説明できなかった。  全員が狐につままれたみたいな幸福な時間だった。 「ほんとに狐のおかげだったのかもしれない」 と大人になってから、歩夢は考えていた。 「どういうこと?」  二人は児童館の前を通り過ぎ、まもなく菩提ヶ森の辺縁が見えてきた。  記憶にあるよりこじんまりと、そしてずっと明るい森だった。 「お祖父ちゃんが子どもの頃、このあたりには狐がたくさん棲んでいたんだ」  ある時、罠に掛った老いた狐を助けたお祖父ちゃんは、狐を連れ帰って手当をしてやり、春に狐が森へ帰れるまで世話をした。 「そしたらな、その狐がある夜祖父ちゃんを訪ねて来たんじゃ」  磁石はその時、狐に貰ったんだとお祖父ちゃんは言っていた。  小さい頃は、お祖父ちゃんの作ったお伽話だと思っていたが、案外、本当のことを話していたのかもしれない。 「あ、そういえば」  と頼子が言った。 「100年生きて霊力を得た狐をたしか『野狐』っていうんじゃなかったかしら」     真珠を貰ったあと、歩夢はなんども菩提ヶ森を訪れた。  林道を突っ切って窪地を探してみたが、どうしても見つけることができなかった。  一言お礼をいいたかった。 「方位磁石を返してもらって、どこかへ旅に出たんじゃない?」  大学では民俗学を専攻していた頼子はどこかロマンチックな所がある。 「それで次の真珠が育つ頃、また戻ってくるのかもな」 「そろそろ行かない? 私また緊張してきちゃった」  森から吹き抜ける風が二人の若い恋人たちを優しく包んで吹きすぎて行った。    ヤコ、あなたは今どこにいますか?
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