大福漢方薬局

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 養護施設の出身者では俺が一番の出世頭に違いない。早速、寮長にも報告に行った。そのうち先輩の話、とかで講演を頼まれたりして。頭の中でその時の草稿を早くも作っていた。涼しい顔をして淡々と報告をしたが、内心は鼻高々だったのだ。  が、世の中は甘くなかった。仕事が忙しいだけならまだいい。担当に俺を指定するリピーターの客が増えてくると、同僚の雰囲気が変わった。  忘年会の席だった。同じ部の木下が話しかけてきた。 「佐藤は施設で育ったんだって?」 「はあ、そうです」 「苦労したんだなあ」 「いえ、そんなことないです。いいスタッフが沢山いたから」 「だけどさ、訳ありの子供っていろいろ問題行動があるんだろ? 万引きとか暴力とか。友達が言ってたぜ」 「そういう例もあるのかもしれませんね」  友達が? お前がそう思ってるんだろう? 逃げ道を作る言い方にも腹が立った。 「すかした返事だな。で、お前はどうなの」  木下が酒臭い息を吐きかけた。 「人それぞれだと思いますけど」  次は真野だ。 「母ちゃん、中国人なんだってな」 「はあ」 「で、何処で種を仕込んだわけ?」 「留学中に父と知り合ったんです」  下品な物言いにムッとしたが、平静を保ったつもりだ。 「親父の名前は?」 「知っていますがこの席では言えません」 「何処の大学に留学してたんだよ」 「言いたくないです。父と母に迷惑がかかるから」  留学なんて本当かよ、と木下が聞こえよがしに呟いた。  「〝仕事中〟の母ちゃんがしくじっただけなんじゃねえの」  真野がガハハと笑った。俺は思わず席を立っていた。頭の奥がスッと冷たくなるのが分かった。 「おおこえぇ。中国人てすぐ熱くなるんだな。やっぱり俺らとは違うよな」  上司の江上が俺に言った。 「まあまあ。佐藤、いったん席につけ。酒の席の軽口だ」 「は、い」  あれが冗談か? 注意すべきは木下と真野だろうと喉元まで出かかったが、上司にそんなことは言えない。折角の営業成績にミソをつけたくなかった。すぐにでも席を立ちたかったが、黙ってビールのジョッキをあけた。  私生児で捨てられた、母親は風俗だった、あいつは施設育ちで油断ならない、とまことしやかに噂された。ちょっとでも言い返そうものなら中国人は冗談も通じない、と言われる。ムキになって反論すると、事実だからそんなに怒るんだろ、と墓穴を掘る結果になってしまう。皆にライバル視されている中で噂の元を探すのは難しい。大切な俺の顧客にも根も葉もない噂が広がっていった。  負けてたまるか。石の上にも三年と唱えながらやっていたのだが、身体は正直だ。胃がキリキリ痛んで、トイレに行けば便器が真っ赤になる。とうとう仕事中に倒れた。入社して以来初めての有休をとり、久しぶりに出社すると席が無くなっていた。 「身体、まだ本調子じゃあないだろう。しばらくゆっくりするといい」  いかにも慈愛に満ちた口調で江上が言った。木下と真野は露骨に嬉しそうな顔をしていた。 「お前がいるとチームワークが乱れるんだって。運が悪かったな」  同期入社の大野が気の毒そうな顔をして教えてくれたが、だからといって状況が変わるわけではない。  
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