大福漢方薬局

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 今日の客は台湾から来た家族連れだ。爺さんを筆頭に、爺さんの娘、その伴侶と子供たちという大所帯だ。英語よりも普通語のほうがいいという要望だったので、普通語で案内をすることにした。爺さんは日本語も堪能で、俺の頼りない普通語を必要かつ十分に補ってくれて助かった。一行はとにかく精力的だ。横浜駅周辺は人が多すぎる、というのでみなとらいを案内することにした。ここなら敷地が広い分人混みが緩和されるし、ブランドものも雑貨も一通り手に入る。爺さんがくたびれてホテルに帰る、と言い出したので、いったんホテルに戻り、再び家族を案内をすることにした。 「中華街を歩いているときは懐かしがっていたのに。新しい所は嫌なのかしらねえ」  娘がそういうので、 「ここ二、三日は残暑が厳しいから。お疲れになったのでしょう」  例え家族同士といえども互いの誹謗中傷につながりかねない話題は避けるのが賢明だ。ただでさえ慣れない環境で疲れている旅先では喧嘩が起こりやすい。そうなると旅の思い出だけならまだしも、平順のツアー自体にもケチが付くことになりかねないのだ。 「おじいさまにはゆっくり休んでいただくことにしましょう」  親たちの買い物に飽きた子供たちがぐずりだしたので、出来たばかりのバーチャル動物園に案内することにした。  ここは複合型のショッピングモールで、食べるもの着るものが一通り揃っている。若い客層をターゲットにした手ごろな値段の店が多いから、一行にも喜ばれるだろう。客に無駄な金を使わせないのもガイドの務めだ。  頭に突き抜けるような腰の痛みを覚えたのは家族を動物園に案内した後だった。一行を送り出し、急いでトイレに向かった。医者にここぞの時に使えと渡されている坐薬を挿入し便器に腰掛けて薬が浸透するのをじっと待つ。  このところひどい腰痛に悩まされている。先月はいつもの検診を前倒しして予約をとったほどだった。とはいえ、股関節の手術をした医者はとっくに転勤になっていて、後釜の医者は、俺の顔を見もせずにパソコンに映し出された映像だけを見て、「異常はみつかりませんね」と言うだけだ。処方薬を飲んでも痛みがひかない、と訴えると、さらに強い鎮痛剤を出されて診察は終わりになる。診察に半日つぶしてもこれだ。  大福漢方薬局の謳い文句が頭をよぎった。『時間をかけてお話を伺います』。これだ。腰痛という立派な理由があるのだ。客の顔をしてまずは太一に会ってみることにした。  そろそろ一行を迎えに行く時間だ。手を洗い顔をあげると、痛みのせいで血の気の失せた顔が鏡に写っている。毛羽だった頬をごしごしとこすって、いざ、仕事だ。
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