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肺炎
誕生日がくると、何人かの友だちを呼んで、パーティを開いたものだった。パーティといっても用意をするのはすべて母。食器を運んだりすることを手伝ったかもしれないが、真理子にはほとんど記憶がない。最後にパーティを開いたのは、おそらく小学5年生の秋だったはずだ。
ホールのいちごショートに10本あまりのろうそくが灯され、ハッピーバースデーの歌とともに火を吹き消す。ケーキは母が切り分け、みんなでお喋りしながら食べた。真理子はお気に入りのピンクのジャンパースカートを着ていたことを覚えている。5人か6人か、そのくらいの人数で楽しんだ。
翌朝、真理子は突然、気持ちが悪くなって吐いた。学校へ出かける前のことだった。パーティが楽しくて食べ過ぎたのかと思ったが、よくわからない。ひどく気分が悪かった。その日は学校を休んで、母に小児科へ連れていってもらった。おじさんとおじいさんの間くらいに見える医者は、「風邪だろうから、薬を飲んで寝ていなさい」と言った。
言われたとおり、真理子は数日寝たままで過ごした。しかし咳は止まらず、一向に回復するきざしがない。真理子は普段の風邪となにかが違うと感じていたが、どうやって言葉で表現すればいいのか、とても難しかった。
「お母さん、背中が痛い」
「背中? どう痛いの?」
「胸の中から背中をなにかで突き刺すみたい」
実際、そのような痛みがあった。咳をするたびに背中の奥に激痛が走り、とても苦しかった。症状はひどくなる一方なのだ。風邪薬が効いている様子はない。
母は再度、真理子を同じ医者に連れていった。医者は困った表情で、レントゲンを撮ろうと言った。レントゲンの撮影をした際は、すでに真理子は消耗していて、どんな部屋で撮影したのかも覚えてはいない。
どうやら風邪は誤診のようで、肺に妙な影があると言われて、日赤病院とやらを紹介された。母がなぜか腹を立てていたことを、真理子は記憶している。
日赤病院はとても大きく、外来の患者で混雑している。ふらふらしながら真理子は診察を受けたが、なにも覚えていなかった。それほどに疲れ果てていた。
看護婦に案内されて、一人部屋か二人部屋を選べと言われ、そこで初めて「入院」するのだとわかった。真理子は一人がよかったが、そこは暗く寒い部屋に感じられたからか、母は明るい二人部屋を選んだ。
すぐに点滴が始まり、採血され、担当の医者がずかずかと入ってくる。「小児科長の依田先生」という人が担当らしい。顔もろくに覚えていないが、ドアをノックしたら返事をする前にすでに部屋に入ってきてているほどに、忙しいのか慌てているのかわからない医者だった。小児科長の依田先生は偉い先生らしく、後日、隣のベッドの少年が「あの先生は偉いんだぞ」と言っていた。偉い、の意味は、よくわからない。
真理子は「マイコプラズマ肺炎」だった。当時、子どもたちの間で流行った肺炎で、同じクラスで同名のまりこちゃんもかかっていたことを思い出す。伝染性のあるものなのかは知らない。
真理子は点滴で何日も起き上がれない日々を過ごした。家でも数日間寝たままだったので、もう一週間か十日は寝たままだ。そして頻繁に採血されるのが嫌だった。
「真理子ちゃん、血ぃとりますよぉ」
と歌うように言いながら入ってくる看護婦に、笑顔を向けながらうんざりしていた。とはいえ、優しい看護婦さんたちが、真理子は大好きだ。どうしてこんなに血ばかりとるのかと聞いたら、「血沈をみるためよ」と言われた。「けっちん」がなんのことかわからなかったが、その「けっちん」がよくなれば、病院から出られるのだろうとの考えに至った。
点滴がはずれて、ようやく自由の身体になったので、とにかく自力でトイレへ行きたかった。真理子は意気揚々とベッドから降りたが、足がよれよれと崩れ落ちてしまう。長い時間横になっていたので、すぐには歩けなかった。毎日起き上がって歩いていないと、足は退化してしまうのだと学んだ。しばらくは歩く練習をして、普通の歩きかたができるようになったのは二日後のことだ。その間も依田先生は、なんども様子を見にやってきた。
退屈している真理子のために、父も母もたくさん本を買ってきてくれた。青い鳥文庫と書かれた水色のカバーの本ばかりで、どの物語も真理子は好きになった。中でも『ポケットの中の赤ちゃん』という作品が、かわいらしくも悲しく、真理子の心に残った。
学校の友だちは花束や授業のノートを持って見舞いにきてくれる。みんな心配そうな表情で、とても悲しそうに見える。見た目は元気なのに、ベッドから出られないことが情けなかった。走ることすらできるのに、「けっちん」が悪いから、いつになっても病院から帰宅できない。「けっちん」となんとか話をつけられないかと、毎日考えていたのだが、看護婦は「まだだめよ」と言うばかりだ。
真理子は近所の日曜学校に通っていた。もうすぐクリスマスだ。クリスマスには、人形劇をやる予定だ。『もうひとりの博士』という作品の主役をつとめるはずだった。しかしクリスマスまでに退院できるかどうかは、依田先生は頷いてくれなかった。日曜学校の牧師先生や牧師先生の奥さんもお見舞いにきてくれたし、友だちもたくさんきてくれた。それでも、真理子の「けっちん」はよくならなかったのだ。『もうひとりの博士』の主役は、別の子がつとめることとなる。残念で悔しくて、真理子はこっそり泣いた。
クリスマスイブには、夕食に大きな鶏肉が出てきた。手でつかんで食べる、パーティに出てくるお肉だ。クリスマスの赤と緑の飾りがついていてかわいい。『もうひとりの博士』ができなかったことを思い、鶏肉を全部は食べられなかった。食の細い真理子には、少し大きすぎた。
食事が終わった後、消灯の少し前に、暗くなった廊下を聞きなれたクリスマスの讃美歌が響いている。ドアを少しだけ開いて覗いてみると、たくさんの看護婦さんたちがろうそくを持って、讃美歌を歌いながら歩いていた。少し成長してから真理子は、それが「キャロリング」と呼ぶのだと知った。幻想的で、どきどきする体験だった。すべての病棟で行なっているのか、それとも小児科だけのイベントなのか、それは今でもわからない。
クリスマスが過ぎてからほんの数日で、「けっちん」がよくなった。依田先生が退院を許してくれた。クリスマスに間に合わなかったことにこだわっていた真理子に、母は「クリスマス前に退院しても、教会には行けなかったのよ」と言った。依田先生もきっと、許してはくれなかっただろう。
一ヶ月以上も学校を休んでしまい、新たに登校するのは正月明けということになってしまった。急速に憂鬱さが増してくる。学校へは、行きたくない。もう一度「けっちん」が悪くなってくれないだろうかと、真理子は思った。しかし、あとは回復するのみだった。
母の介護に疲れ果てて一時的に入院した真理子は、点滴を見上げながらあの日を思い出す。採血をされて、「けっちん」を思い出す。かつての日赤病院とは異なり、ずっときれいで明るい病室を見渡して、肺炎になった頃の病院は本当に古かったのだと感じ入る。そういえば病棟の中は、スリッパで歩くように言われていたなと思い起こした。まるで昔のドラマのようだ。
クリスマスになると、小児病棟ではキャロリングをするだろうか。そのような面倒なことは、今はしないのだろうか。そもそもろうそくを持つことは禁じられているだろう。時代は変わるのだ。小児科長の依田先生は、今どうしているだろうか。
年を取ったなと、真理子はベッドの上でかすかに笑った。
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