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鍵をさがして
シロツメクサの花をつないで、手首を飾ったり冠を作ったりした。なんども作って遊んだのに、どうしても作りかたを思い出すことができなかった。目の前には濃い緑のクローバーに満たされた大地があり、みんなで四つ葉を探してまわった。真理子が四つ葉のクローバーを見つけられたことは、一度もなかった。
その公園では週に二回、町内こども会のポートボールの練習があった。身体を動かすことが苦手だった真理子には、嫌で仕方のない時間帯だった。だがこども会の友だちはいい子ばかりで、保護者のおばさんたちもいい人たちだった。好きではない友だちもいたけれど、特に思い出せない程度の人ばかりだ。
真理子は「ポートボール」というスポーツをよく知らなかった。学校で習ったバスケットボールとルールは同じで、ゴールが人間の手というだけだ。準備運動をして、パスの練習をして、ドリブルの練習をする。練習試合もする。真理子はなにをしても愚鈍で、パスがまわってきたら自らドリブルするでもなく、どうやって味方にボールを押しつけようかということだけを考えていた。考えているうちに、たいがいは敵にボールを奪われた。
ポートボールをしない日は、仲のいい友だちと公園で遊んだ。よく遊んだのが、シロツメクサの花のアクセサリー、そして四つ葉のクローバー探しだ。一度も発見できなかった四つ葉だが、真理子は気にすることはなかった。ひんやりと冷たい草の感覚が座り込んだ膝やふくらはぎ、腿の内側に残っている。真っ白なシロツメクサはかわいらしく、手でいじっていると飽きることがなかった。それなのに大人になった真理子は、シロツメクサの細部を思い出すことはできない。
ある日、クローバー探しをして遊んでいたら、ポケットに入れた鍵がなくなっていた。真理子はどこで落としたのだろうかと、草原を歩き回った。だいたいの見当はついているのだが、鍵は見つからない。ひとまず家に帰ると、幸い母が在宅で玄関は開いていた。公園で鍵を落としたことを告げると、母は一緒に公園に探しに行こうと言った。
このあたりで落としたのだと、かなりぼんやりとした情報だけを伝えたのに、母はほどなく自宅の鍵を発見した。クローバーだらけの緑の中に、ぽつんと鍵が落ちている。鈍い金色の古くさい鍵で、わかりやすいように水色のリボンがつけられていた。鍵の古さはたとえようもなく、昔の映画やマンガに出てくるような、とでも言わねば表現できない。子どもの真理子にとってはとても重く大きな鍵で、ちょっとしたお荷物だった。だが母は外出が多かったので、幼いうちから鍵を持たされていた。
「どうしてここに落ちてるってわかったの?」
「なんとなくよ」
母は家族のなくしたものを探し当てるのが得意だった。父がすぐにものをなくすので、何度探し当てたかわからないと言う。兄の雄一が落とした財布も、ソファの隙間から探し出した。シャーロック・ホームズも真っ青の名探偵ぶりだ。広い草原のどこに落ちたかもわからない小さな鍵を見事に発見した母という人を、真理子は尊敬を通り越して不気味な存在として感じ入った。
結婚したとき、母と別れるのがつらくて、真理子はたくさん泣いた。親離れができていない子どもで情けなかったが、涙が出てくるものはどうしようもない。新居の引っ越しを手伝ってくれた母を新幹線の改札口で見送りながら、真理子はいつまでも泣いていた。夫は優しく慰めてくれた。「誰もが通る道だね」と笑って、真理子の大好きなひつまぶしを食べに連れて行ってくれた。ひつまぶしの味は、まったく記憶にない。
昼食をとろうとファミリーレストランに入って、ふとメニューにあった鰻丼を注文したら、あのときのひつまぶしの味が思い出せないことに気づいた。つらい結婚生活の始まりだったので、思い出せなくても一向に構わないのだが、ひつまぶしそのものは好物なので、覚えていないことは少しもったいないような気がした。
食べ終わって外へ出ると、かなり暑かった。「うなぎ」の文字が踊るような季節だ。暑くて当然である。真理子は一人でとぼとぼと歩き、懐かしい路面電車に乗り込んだ。子どもの頃に乗ったものとはずいぶん違う気がする。外側の塗装も違うし、中の座席も床もきれいだった。母と二人で路面電車に乗ったときに、目の前のおばあさんが弁当を開いて食べ終え、そのあとで座ったまま扇子を出して踊り出したのを見た記憶があった。今にして思うと、日本舞踊の先生かなにかではなかったか。真理子の目には奇異に映ったが、車内の大人たちは変な顔ひとつしていなかった。それが日常の、田舎の電車だった。
終点で降りると、昔と変わらない位置に大きな丘のような公園がある。暑い中をゆっくりと歩き、真理子は公園の中に入った。数十年が経過しているが、あまり変化はないように見える。クローバーの草原も、昔と同じくらいの面積のまま、そこにあった。
あの日、家の鍵を落としたあたりへ行ってみると、大きな木陰になっていて、とても気持ちがよかった。おそらくかつてはなかったベンチに腰かけ、バッグからペットボトルの水を出して飲む。周囲を見渡しても、誰もいない。ポートボールの練習どころか、子ども自体いなかった。考えてみたら学校の夏休みに入るかどうかの微妙な時期だったので、子どもたちは外で遊ぶ時間ではないのかもしれない。
あの家の鍵が、もう手元にはないのがもったいなかった。真理子たちが引っ越したあと、住んだ家族はひとつもなかったと聞いている。記念にひとつもらっておきたかったが、そうもいかなかったのは今では理解できる。
クローバーの草原を通って、かつて歩いた道をたどって、真理子は住んでいた家へ行ってみた。小さな私道の突き当たり、袋小路になっているその家の門は、かたく閉じられていた。もう誰も住んでいないのだということが感じられる。
真理子は門に顔を近づけて、隙間から中を覗き込んでみた。閂で閉じられた門の向こうは、雑草がジャングルのように生い茂り、歩くのも大変そうに感じた。あまり長い時間覗いているわけにもいかず、早々に顔を遠ざける。
ここを去ってから、どれほどの時間が過ぎたのか。数えてみればわかることだが、むっとした暑さの中でなにかを数えるのも面倒くさく、真理子はぼんやりと立ちつくすだけだった。この家は、昭和25年頃に建てられたものだと、いつか母に聞いたことがある。自分たちが住んでいた頃、戦後すでに数十年が経過していたわけだから、いま誰かが住める状態であるわけがない。廃虚になり果てているはずだ。
両隣りの表札も、当時とは変わっている気がした。あのとき挨拶した老夫婦や、猫がじゃれついていた奥さんは、きっともうここにはいない。この世にもいないかもしれない。この町に、自分を知っている人は誰も。
真理子は門に背を向けて歩き出した。歩いて5分で路面電車にたどり着く。こんなにも近かったろうか。大人の大きな身体になってしまったなと、少し憂鬱に感じた。
ふと顔を上げると、路面電車の停留所の目の前にあったパン屋は、当時に近い様子で営業していた。真理子がたまごサンドを買った店だ。お腹を壊すからと母に叱られた。
パン屋に入ると、香ばしいパンのにおいとともに、ひんやりと冷房の空気を感じる。トレーとトングを持って、真理子は三角のたまごサンドを取った。それだけでは申し訳ないので、カレーパンも取りレジに持っていく。若い大学生バイトと思われる女性が、手際よく包んで袋に入れてくれた。ホテルに戻って夕食にしよう。真理子の心は少しだけ浮き立った。
路面電車に乗り込む前に、もう一度、高台の公園を見上げた。もう二度と来ないかもしれない。あの家の鍵は、今どこに置いてあるのだろう。
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