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第13話 民主化
この後なんだかんだで、マージャは結局、ウスタリヒ共和国との間にある鉄条網を全面的に撤去した。
両国間の移動は完全に自由になった。
これを聞いた東ジェルマの国民が、チェスコスロヴィオを経由してマージャに大挙して押し寄せ、西側諸国であるウスタリヒへ、そして西ジェルマへと亡命し始めた。この動きに対して、例によってソヴェティアは知らんぷりでちっとも動かなかった。
その間も民主フォーラムの面々は活動を積極的に行っていた。
十月、マージャ社会主義労働者党は、マージャ社会党に改名した。これより、共産主義を捨て、民主社会主義を目指すとの決意表明である。
同月、憲法の改正案が採択された。そこには、これまで規制されていた市場経済の導入や、複数政党制による民主政治の導入などが盛り込まれていた。
ここにマージャの共産主義は終焉を迎えた。民主化の達成である。
マージャ人民共和国はマージャ共和国に改名した。
それから、あのピクニックが嬉しい変化をもう一つもたらしてくれた。
ベルリーノの壁が崩壊したのである。
冷戦、そして鋼のカーテンの象徴たる、「ベルリーノの壁」。東ジェルマ内にあるその境界線は、首都ベルリーノを東西に二分していた。東ベルリーノは東ジェルマ民主共和国の領地。西ベルリーノは西ジェルマ連邦共和国の飛び地として、東ジェルマ内にぽつんと存在する格好となっていた。
この壁を越えることは何人たりとも許されてはいなかった。もし壁に近づこうものなら、子どもであろうと何であろうと、秘密警察に撃ち殺される決まりとなっていた。
東ベルリーノと西ベルリーノの間の行き来は名実ともに可能となっていた。
これが冷戦終結に向けた大きな一歩であることは間違いない。
翌年、マージャでは何十年ぶりかの自由選挙が行われ、民主フォーラムが勝利した。政権を担う党が、マージャ社会党からマージャ民主フォーラムに移行した。
民主フォーラムはお祭り騒ぎとなり、祝杯を上げた。その酔った勢いでヤーノシュがアネットに恋人になって欲しいと伝えた。アネットはちょっと目を丸くしたのち、「そうだったのね」と言った。それから「いいわよ」と。
その後、東西に分かれていた西ジェルマに東ジェルマが吸収合併される形で、ジェルマが再統一された。もうジェルマ市民を縛るものは何もなかった。
――そのさらに一年後。
待ち合わせ場所はプシュトの名所であるチェニ鎖橋のたもと。
アネットとズザンナとキアラとヴィレッテは再会した。
「ご無沙汰してます」
「どう、ズザンナ。ケーキ職人の修行は順調?」
「はい、お陰様で」
「アネットもまた本を出したわね!」
「検閲もなくなったから、とっても本が書きやすくなったわ。旅行にも行けるようになったし。西側の景色が見られてよかった。……キアラは最近どうしているの?」
「最初は西ジェルマで保護してもらっていたんですが、無事に兄さんの墓参りもできて、会社にも就職できました。これから転職を繰り返してキャリアアップしていこうと考えています」
「キアラならそのうちとっても偉いひとになれるかもしれないわね」
「そんな。恐縮です」
四人は楽しく談義しながら高級レストランに向かった。アネットのおごりである。
「それにしても、あの時のピクニックは愉快だったわね!」
「そうね。まさかあのことが冷戦の終結に繋がるなんて思っていなかった」
「そんな一大企画に関わっていたなんて、今でも信じられませんよ」
「あの時スターツィを妨害するのに成功して本当によかったです……」
積もる話は尽きない。
マージャの空は今日も晴れている。
おわり
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