どこにもいない

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「もしもし、今どこにいるの?」 と尋ねられて、僕は 「どこにもいない」と答える。 「そんなことって有り得るの」 と電話の向こうの主は困惑していたから、 「或る目的地があって、出発地点からそこへと絶え間なく向かっている道中、自分がどこにいるかは刻一刻と変わってくるだろう」 と補足する。  勿論それは屁理屈の類だ。昨日の夜遅くまで起きていたことが響き、僕は寝坊し、本来待ち合わせの場所についていないといけない時刻だというのにいまだ電車に揺られている。 「もう電車には乗ってるってこと?」 「うん」 「それは良かった。屁理屈言ってないで早く来てね」  僕の都合で電車の速度は変えられないよと反論するよりも早く、一方的に電話はぷつりと切られてしまう。僕は軽く息を吐いてからスマートフォンの電源を消し、カバンにしまって、そして窓外の景色に目線を移す。車両ドア脇は、景色を眺める上では特等のスペースなのである。  そうして僕はいま、JR山手線に揺られている。山手線は環状線だから目的地を持たない。つまり、この電車に揺られ続ける限り、先の屁理屈に従うと永遠に僕はどこにもいないと言えるだろうか。いや、山手線は大晦日を除いて終夜運転などしておらず、いつかは降りなければならないだろう。  でも、それで言うと僕はいま地球の上に立っており、宇宙船地球号は永遠に、厳密には永遠ではないのかもしれないけれど、僕の生きるタイムスパンと比較したら殆ど永遠に、太陽の周りを回り続けてゆくはずだ。そうすると、視野を宇宙に広げて考えた時、僕が取り立ててどこにもいないのではなく、この星に住むみんなそうなのだということに思い至る。……変な考えをしている自覚はあるのに一方でそれほど変な感じはしてこない。何故だろうと暫し考え、もっと単純に、人生自体が常に長い旅路の道中であるからだということに気がつく。そうして僕はゴーギャンのあの有名な絵画ーー我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのかーーを脳裏に思い浮かべる。自分が何者であるかは刻一刻と変わってゆく。じゃあ僕はどこから来て、どこへ向かうのだろうか。  そのうちに電車は上野駅へと到着する。  彼女は公園口の柱にもたれて待っている。 「遅いよ全く」  そう言われて僕はごめんなさいと素直に謝る。 「これはクレープでも許せないかもなあ」  そう言いながらも彼女はもう大して怒ってはいなさそうだった。 「それは大変だなあ」  そうして僕らはフェルメール展へと向かった。
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