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カッコイイひと
コンビニの入り口から少し離れた場所に、喫煙スペースがある。
マナーを守ろうとか、街をキレイにとか、「!」の記号が語尾に並んだ脅しのような張り紙を眺めながら、煙を吐く。
「ママー、なんかくさーい」
「こら、シッ」
コンビニから出てきた子ども連れの母親が、こっちを見たのは一瞬だった。俺はエスパーではないが、彼女の心の声が確かに聞こえた。
迷惑な。家で吸え。
本当にすまないと思う。やめたくてもやめられないのだ。
今も昔も喫煙者は文字通り煙たがられる存在だ。自分も子どもの頃は「くさい」と思っていたと思うし、どうしてわざわざ嫌われる行為をするのかと疑問を抱いていた。
なんでだろうねえ、とぼやきながら、作業服の胸ポケットから煙草の箱を取り出した。中を確認して、ああ、とため息と煙を同時に吐き出した。
あと一本。
これを最後にして、煙草を辞めよう。
かな。
それともこの一本を、いつもお守りのように持ち歩き、死ぬ間際の最期の一服用にとっておくとか。
そんなことはできるはずもない。
家族にも疎まれているし、いつかは辞めたい。いつ辞めよう。今でしょ。いや絶対に、今じゃない。今月いっぱい。今年いっぱい。
もう少しだけ。
いつもこうだ。都合のいい曖昧な言葉でうやむやにする。
俺は、とても意志が弱い。
コンビニの窓ガラスに寄りかかる。最後の一本が入った箱をポケットに戻し、煙草を口に運ぶ。
吸う。
吐く。
今日は天気がいいな、と青空を見上げていると、灰皿を挟んだ向こう側に男が立った。喫煙仲間が現れて心強さを感じ、これでもかとスパスパする。
赤信号、みんなで渡れば怖くない。
灰皿に灰を落とし、チラ、と男の靴を見た。ピカピカに磨かれた革靴。ポケットに突っ込んだ左手の手首に、高そうな腕時計。黒のスーツに、黒いネクタイ。
視線を徐々に上に移動させ、俺は「は?」と声を出していた。
男は煙草を吸っていなかった。
真顔で、ソフトクリームを食べている。
いや、なんで?
なんでわざわざここで、さも煙草を吸っているようなスタイルで、ソフトクリームを食べているのか。
男は俺の視線に気づいていない。無表情で、どこか一点を見つめたまま、ソフトクリームを食べている。
視線どころか、俺の存在、煙草の匂いや煙にすら、無頓着だった。気にならないからここで食べているのだろうが、なんとなく申し訳なくなった。
まだ長い煙草を灰皿に押しつけて揉み消しながら、これはいいきっかけになるかもしれない、と思った。
辞められる予感がする。
「見て」
「煙草の代わりにソフトクリーム吸ってる」
「なんか可愛い」
コンビニに入っていく女子高生たちに、クスクスされている。
でも彼は、動じなかった。悪びれる様子もなく、恥ずかしげもなく、無のままでソフトクリームを食べている。
カッコイイな、と思った。
堂々としていて、カッコよかった。
肩身が狭くて縮こまっている俺とは違う。
ソフトクリームは誰にも迷惑をかけない。じゃあ俺も煙草の代わりにソフトクリームを吸おう。
となれば、めちゃくちゃ平和だ。
すごい。
すごいライフハックを発見した。
猛スピードでソフトクリームを完食した男が、去っていく。颯爽としていて、去り際までカッコよかった。
彼の背中を見送ると、「ははっ」と笑いが起きた。堪えていたものが、堰を切って溢れ出る。
ひとしきり笑ったあとで、胸ポケットから煙草の箱とジッポライターを取り出した。
最後の一本を咥え、火を点ける。
もう少しだけ。
念じて吐き出した煙は、風に乗って、流れていく。
〈おわり〉
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