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大学を卒業し、東京の世田谷区にある某総合病院でインターンをしていた夏。
たまたま休みが取れたので、お盆の一週間前から実家に戻っていたら、高校の同窓会があると、担任だった里見先生から電話をいただいた。
「いろいろな生活をしている、いろいろな人間の人生を見聞きすることは、君の人生にとって無駄にはならないと思う。同じ年月を生きていても、人は百人いれば百通り、違った神経を遣い、違った筋肉を鍛え、違った夢を抱き、違ったストレスを抱え、違った暮らしをしている。同じ病気に罹っても、同じ薬が効く訳じゃない。昔からっ知っている仲間だからこそ気づくこともあるだろう。たまには顔出せよ。」
そんなようなことを言われ、僕は先生にお礼を申し上げたいと思い、同窓会に出向いた。
その時の同窓会で、僕は、弘子と初めて話をした。
先生や何人かの人々と話した後、少し沈んだ表情でジッと何かを考えているような弘子の様子が、妙に気にかかり、僕から声をかけた。
僕は東京の勤務先の病院で、看護師や介護士、あるいは女性の医師から、交際を申し込まれたり告白されたりして気が滅入っていた。
それはモテているのではないことを僕は知っていた。皆、職業と収入に興味と関心があるだけだ。僕の内面に関心がある訳でもなく、僕の人格を好んでいる訳でもなく、ハッキリ言えば医者なら誰でもいいのだろうと思われた。
そうした華やかで色鮮やかな造花を盛った花籠みたいな女性たちのギラギラした目つきに胸やけしていた僕は、湖のような澄んだ瞳で何かに耐えているらしい弘子が、素朴で美しい野の花に見えた。
ところが、そんな弘子の話は衝撃的だった。
弘子は、教育大を卒業して小学校の教師をしていると言った。
弘子の父親は今、末期ガンで余命いくばくもないと言った。
弘子の実家は農家である。もし父親が亡くなったら弘子は教員を辞め、農家の後を継ぐ覚悟であると言う。
「どうして? せっかく教師になったのに。」
「西くんには、わからないと思うけど。農家って、簡単にやめられないんだよね。借金もあるし、地域や組合とのしがらみとか、いろいろ難しいの。」
「古村さん(弘子の旧姓)は、本当は教師を続けたいんだろう?」
「もちろん、小さい時からの夢だったから。」
弘子は薄っすらと目に涙を浮かべ、バックからハンカチを出して目頭を押さえた。
「借金を返せば、教師を続けられるのか?」
若かった僕は、深い考えもなく、単刀直入に、そう尋ねた。
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