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第 3 話
6
「今日はどこへ行くんだよ 」
朝、会社に行く前に達也がきいてきた。
「どこって、決めてないよ 」
「行ったか? 資料館 」
「ん? 」
ネクタイをしめながら、口にはトーストをくわえたままなので、言葉がはっきりしない。
「何だよ? 食べるかしゃべるか、どっちかにしろよ 」
「ちょっと、靴磨いてくれ。黒のリーガルだ 」
「あのなぁ 」
千郷は呆れた声をを出した。
「泊めてやってるだろ? 文句言うな、しかも車付きだ 」
トーストをコーヒーで流し込み、達也は早業でスーツを着込んで、鏡の前でドライヤーを髪に当てた。
「それで、どうだった? 」
「何が? 」
「じいちゃんの写真、見てきたんだろう? 」
「ああ、一応ね 」
「どうだった? 」
「父さんに似てた 」
あの写真を見た時の、不思議な気持ちを思い出した。
祖父にも、あんな少年時代があったのだ。
暖かいような、くすぐったいような想い。
そして、戦争の終わりを肌で感じながら、
学徒として集められた、愛国少年たち。
その一様に爽やかで、誇らし気な顔がまぶしかった。
「ルーツを見つけて、感動したってとこか 」
達也は玄関で靴を履いた。
「あのさ・・資料館で、おかしなことがあったんだ 」
千郷は、達也に話してみる気になった。
「帰ってから聞くよ 」
達也は書類カバンを掴んで、ドアを開けた。
「悪い悪い 」
「達也! 」
千郷の目の前でドアが閉まった。
「もう少し早く起きろよな 」
千郷は文句を言いながら、達也の脱ぎ散らかしたパジャマを、ベッドの上に投げた。
コーヒーを飲み、うとうと眠って目を覚ますと、 11時過ぎだった。
「まったく、これじゃただのグータラだよ 」
千郷は独り言を言い、窓を開け放して掃除機をかけた。
ベランダに立つと、春の花の匂いがどこからか流れてきた。
そのまま、目を遠くへやると、海上自衛隊や、米海軍の基地が見えた。
ふいに、加納の挑発するような顔が浮かんできた。
「この写真は僕です 」
そう言った時の加納の目は、冗談を言っているようには見えなかったが、千郷はからかわれていると思ったのだ。
資料館は確か、土曜日は午前中しか入館できないと、ガイドブックに書いてあったことを思い出した。
東京から持ってきたガイドブックをめくって探したが、焦っている時に限って見つからなかった。
——何で、そんなに焦ってるんだ? ——
自問しながら窓を閉め、達也の車のキーをつかんで、千郷は部屋を出た。
守衛のいるゲートをくぐり抜け、資料館の入口で千郷は、芳名帳に名前を書いた。
この前おとずれた、4月1日のところに、 “ 芳賀千郷 “ と書いてあり、それから今日までに、ふたりしか名前は書かれていなかった。
第一展示室から順に見て行く。
加納の姿を目で探したが、見当たらなかった。
また、気がつくと、祖父の写真のある部屋に来てしまっていた。
祖父の写真を見て、そのまま部屋を出ようとしたが、足がどうしても加納敬吾という少年の写真の前で、立ち止まってしまう。
——写真の中の少年は、何を見ようとしていたのだろうか ——
いつの間にか、見入っていた。
背後に人の気配がして、振り向くとそこに加納が立っていた。
「土曜日は 12時までです。そろそろ閉館したいのですが 」
言われて時計を見ると、 12時 15分だった。
——いったい何分間、この写真の前で立っていたのだろう ——
「すみません、今出ます 」
千郷はあわてて、展示室を出ようとした。
「待ちなさい 」
腕をつかまれ、千郷は驚いた。
「そんなに急がなくていいですよ。 僕はかまいませんから・・この写真が気になるんでしょう? 」
やっぱり、加納は千郷をからかっているようだった。
「加納さんは・・名前・・加納何ていうんですか? 」
千郷は、今日も加納のワイシャツの胸にとめられている、ネームプレートを見ながら、思い切って言ってみた。
「加納敬吾。敬は尊敬の敬、吾は・・ああ、ここに書いてあるのと同じ字です 」
加納は、写真の下の名前を指さした。
“ 加納敬吾 “ のところを。
「 12時30分には、門が閉まりますから気をつけてください 」
そう言って、加納は展示室を出て行った。
グレーのズボンに、白いワイシャツ姿。
地味な服を着ているのに、これほど印象的なのは、あの目のせいだろうか。
もう、展示を見る気も失せて、千郷は資料館を出た。
車で駐車場を出る時、ゲートのところで、守衛に声をかけた。
「あの・・資料館の人・・もう帰られましたか? 」
「さあ、今日は もう12時でみなさん帰ったはずですが 」
答えを聞くまでもなかった。
——加納敬吾は、僕にしか見えないというのか? 彼の美しさが、僕にそう思わせたのか? ——
千郷は、しばらくゲートの前で加納を待ったが、守衛の言ったように、資料館からは、誰も出て来なかった。
—— 僕はどうかしてる ——
そのまま車を走らせ、千郷は西海橋まで行ってみることにした。
佐世保の市街地を抜け、国道を走ると、ハウステンボスが近づくにつれて、道路の渋滞が激しくなる。
観光シーズンに、ハウステンボスのオープンと土曜日が重なり、混雑に拍車をかけていた。
針尾橋より手前で、針尾バイパスを西海橋方面へ向かうことにする。
こちらも、かなり車の量が多かった。 観光客を満載したバスと何台もすれ違った。
ハンドルを握りながら、ふと、先ほどの加納のことを考えてしまう。
暖かい春の陽気の中で、ドライブを楽しむ気分には、千郷はどうしてもなれなかった。
「あ! 」
前の車がウィンカーを出さずに、右折しようとして停車していたのに気づかず、あわてて急ブレーキを踏んだ。
タイヤがロックされ、車は少し斜めになって急停車した。
衝突はまぬがれ、千郷は車を立て直して、再び走りだした。
バックミラーに手を上げて、後ろの車に合図したが、運転技術が未熟だと思われたらしく、必要以上に車間距離を取っている。
ため息をつき、西海橋の駐車場に、千郷は車を入れて休憩した。
—— 達也の車で、事故ったりしたら大変だ——
ぶつからなかったのは幸いだった。
「注意力散漫だな 」声に出して言ってみた。
西海橋のたもとに立つと、対岸にそびえている3本の無線塔がよく見えた。
周りの景色に溶け込まない、その異様な3本の尖塔。
それは不気味で、威圧的で、そしてどこかもの悲しい風景だった。
ここから “ 開戦 “ の暗号文が打電され、
太平洋戦争が始まったのだ。
無線塔を、今度は左手に見ながら、気をつけて運転した。
ハウステンボスを見下ろせる展望台というのを、達也が教えてくれた。
石本地蔵花苑という整備された公園からだと、目の前にハウステンボス、左手の彼方に無線塔が見える。
大村湾に浮かぶ船も見えた。
観光客の知らない穴場だった。
そのハウステンボスのオランダ風の建物が建ち並ぶ港町のあたりや、運河を隔てて、 1億円もするという、分譲住宅の街並のある場所に、
昔、海軍兵学校針尾分校があったはずなのだ。
早岐瀬戸をはさんで、南風崎
という駅の対岸に、校舎がならんでいた。
そこに、千郷の祖父と、そして加納敬吾がいた。
四十七年前のことだ。
目の前の明るいオランダの街並からは、まるで想像することもできない。
それでも、無線塔が残って、わずかにそういう過去があったことを告げていた。
ハウステンボスの広大な敷地に隣接して、今は米軍住宅がある。
針尾島のその一帯は、千郷の目に不思議なアンバランスさで迫ってきた。
最先端の街づくりのモデルケースが実施され、それは米軍とも共存している。
またそこから、そう遠くない場所には、旧日本海軍の軍事施設が残され、大村湾の周辺には、時間の流れに左右されずに、昔ながらの漁を営む人々が、静かに暮らしている。
自然は、それら全てを受け入れているように見えた。
千郷は、何だか息苦しいような気がした。
東京にいては、決して知ることのできないものが、ここにはあまりにたくさんある。
千郷は、戸惑い、早く佳乃に来て欲しいと願った。
普段は千郷にとって、台風のような存在の佳乃だが、今はそばにいて、一緒にこの景色を見て、この想いに答えを出して欲しいと思った。
第 4 話に続く・・・
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