彼の時刻を止めて

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第 4 話      7  思いついて、国道沿いの電話ボックスから、東京の家に電話した。 「はい、もしもし、芳賀でございます 」  母の声が、少し懐かしい。 「僕・・ 」 「千郷? 元気なの? 電話もかけて来ないで。 達也さんのところにいるんでしょうね? 迷惑かけてない? あんまりハメをはずしちゃダメですよ 」  母は千郷の言葉をさえぎって、一気に言いたいことを言った。 「わかってるよ。ねえ、おじいちゃん、 いる? 」 「おじいちゃん? 」 「うん、ちょっと替わってよ 」 「今、いないわ。 駅前の本屋さんよ、きっと 」    東京に来てからの祖父は、千郷の目にも、いなかにいた時よりも、無気力になったように見えた。  千郷と一緒にTVを見るわけでもなく、食事が終わると、自分の部屋に引き上げて、本を読んでいることが多かった。  最初は気を使っていた母も、すぐに祖父の存在に慣れたようだった。  父はもともと、距離を置いているようだったし、千郷にとっては、幼い頃はかぎりなく甘い祖父だったが、今はただ少しけむたい存在だったのだ。 「あとで、またかけるよ 」 「なあに? 」  母の探るような声。 「ちょっと、聞きたいことがあるんだ 」 「珍しいわね 」  母は少し笑ったような声を出した。  千郷がまるで、今まで祖父の存在を無視していたくせに、と言いたげだった。 「何時に帰るの? 」 「わからないわよ。 いつものホラ・・気まぐれで・・遠くまでお散歩かもしれないし・・ 」 「わかった。 あと1時間したらまたかけるよ 」 「いいわ、言っておく 」  千郷が切ろうとすると、 「でも、なあに? 教えなさい 」  母はからかうように言った。 「何でもない。母さんには関係ない 」 「だいたい、あなた、何日に帰ってくる予定なの? いい加減にしなさい。 大学始まるまでに戻って来るんでしょうね? 」 「わかってるよ 」    母の話は長くなりそうだったので、適当に言って切った。  祖父に話が聞けなかったことで、千郷は落ち着かなかった。  たった 1時間の時間さえ、つぶせない気がしてくる。  祖父が加納敬吾を知っていることを祈った。  国道沿いのドライブインにはいり、時間をつぶすことにした。  うすい紅茶のようなコーヒーを何杯もおかわりしながら、自分は何をやっているのかと千郷は呆れた。  長崎に着いて、今日で5日目だ。  その間に、いったい何を見たというのだろう。  資料館には2回行ったが、初めの目的だった 教会建築を見ることなど、すっかり忘れていた。  教会といえば、佐世保駅前の三浦町教会ぐらいしか見ていない。    せっかく達也の車を借りながら、長距離を走るわけでもなく、佐世保市内とその周辺をただグルグル回っているだけだ。  わかっているのに、何故か、この街を離れることができなくなってしまっていた。  あの写真を見て、加納敬吾に逢ってしまってから、何もかも予定はすっかり帳消しになっていた。  3杯目のコーヒーを飲みかけてやめ、電話をかけに立った。 「もしもし、千郷 」 「はい、今呼んでくるから、待って 」  母が電話に出て、案外あっさりと祖父を呼びに行った。 「もしもし、私だ 」  祖父の低いがはっきりした声が聞こえて、千郷はいつになく緊張した。 —— 何から話したらいいだろう? どういう風に話せば、わかってくれるだろう? —— 「千郷だけど・・今ね、佐世保にいるんだよ 」 「ああ 」  無愛想な声に、くじけそうになる。 「達也のところに泊めてもらってるんだけどね。 あのね、海軍の資料館に行ったんだ 」 受話器の向こうからは、何も聞こえて来なかった。 「おじいちゃんの写真見たよ。 針尾分校の・・入校式の・・ 」  千郷は言葉につまった。 「聞こえてる? ねえ 」不安になってそう言うと、 「聞こえているから続けなさい 」と、声がした。 「それで、ちょっとききたいことがあるんだけど・・ 」 「ん? 」 「おじいちゃんと同じように、昭和ニ十年の四月に、針尾分校に入校した人のことなんだけど ・・ 」  千郷は、加納敬吾を思い浮かべたが、その名前を口にすることがなかなかできなかった。 —— その写真の中の人に・・会ったなんて・・ 言えないよ・・—— 「七十八期生か? 」  祖父はためらわずにそう言った。  四十七年前の一日が、祖父の中では、少しも色褪せていないのだろうか。 「そう。 その中に、加納敬吾という人がいたと思うんだけど・・覚えてないかな? 」 「何千人もいたんだぞ、覚えてるもんか 」  祖父の声が少し笑ったようだった。 「そう・・だよね 」 「誰だ、それは 」 「うん、ちょっと知り合いのおじいさん 」  千郷の中で、” おじいさん “ と加納敬吾は結び付かない。 —— これ以上、何を聞こう? —— 「今日さ、針尾にも行ったんだよ。 昔、兵学校があったあたりにね、ハウステンボスっていうのができてるんだよ 」 「何だ、それは? 」 「オランダの街がそっくりそのまま作られた、遊園地みたいになってんだよ 」  言葉にして説明すれば、全く違うものになってしまうもどかしさ。 —— 表現力ゼロだな、ホント —— 「それからね、無線塔見たよ 」 「無線塔? 」  百円玉が次々に落ちていく音がする。 「3本建ってるアレだよ、ほら、海軍の・・開戦の暗号を打電したっていう・・ 」 「ああ、無線塔か・・ 」 「そうだよ・・ニイタカヤマノボレ・・ってアレだよ 」 「・・・ 」  祖父の頭の中には、針尾島で見た風景が甦えっているのだろう。  それは、四十七年前の記憶なのか。  それとも、東京へ来る前の、つい最近の記憶だろうか。 「もう切れる・・またかけるよ 」  千郷は言った。 「もういいのか? 」 「うん、サンキュー 」  祖父の方から切った。  祖父の記憶の中には、加納敬吾はいなかった。  予想はしていたが、千郷は、途方に暮れた。       8 「あの、すいません 」  守衛室から連絡してもらい、資料館に人がいることを確認した千郷は、ノックして事務所のドアを開けた。 「はい? 」 中には、若い事務の女性がいるだけだった。 「加納さんって方、いませんか? 」 千郷は、大胆にもたずねた。 「加納、ですか? 」  女性は心もち首をかしげるようにした。 「いませんか? あの背の高い、若い人ですけど・・」 「ああ、あの人・・今日はね、来てませんよ。 今日は、日曜日だから・・」  彼女は答えると、すぐに仕事に戻ろうとした。 「あの・・連絡先を教えてもらえませんか? 」  恐る恐る、千郷はたずねてみた。 「オタクさん、どちら様? お友だちか何かですか? 」  女性はけげんな顔を上げた。 「え、ええ、まぁ 」  心がとがめたが、千郷は小さな嘘をついた。 「私、あの人のことはよく知らないの。 奥の資料室に、山村さんって人がいるから、彼女にきいてください 」    千郷は礼を行って、部屋を出た。  言われた通りに、奥の資料室をノックした。「ハイ 」  明るい声が答えた。  古い木製のドアは、軋んだ音をたてた。 「山村さんですか? 」 「そうです。 どなた? 」  銀色の縁の眼鏡をかけた女性が、振り向いた。 「僕は、芳賀といいます。あの・・加納さんに会いに来たんですけど・・」 「え? 」 眼鏡の奥の瞳が印象的な美人だった。 「今日は、いらしてないようですが・・」 「ええ、今日はお休みです 」 —— よかった。少なくとも、この人は、加納敬吾について知っている・・—— 「どこへ行けば、彼に会えますか? 」  せっぱつまった千郷の言い方に、彼女はいぶかしげな目を向けた。 「急ぐのですか? 」 「ええ 」 「どんなご用で? 」 「それは・・」  彼女に問われて、千郷は加納に会う理由が、自分にはないことに気がついた。 —— 彼に会って、何を聞きたいのだろう。 あの写真のこと? いったい何から話せばいいのだろう? ——  ふいに、千郷は途方に暮れた。 「今日は、きっと教会へ行ったんだと思いますよ 」 「教会? 」 「駅前の教会です 」 「三浦町教会ですか? 」 「ええ 」  戦時中、真っ黒に塗られていたという教会。  山村という女性に教えられた通りに、千郷は、佐世保駅前にある三浦町教会に行ってみた。  急斜面に付けられた斜めの階段を上がり切って、聖堂の木のドアの前に立った。  ドアを開けるのはためらわれた。  ミサ以外の時間に入れるとは、思えなかったからだ。    千郷は、ほんの少しだけドアを押し開け、中をのぞき込んだ。  右端にたったひとりだけ座っている人がいた。  加納だった。  硬い横顔を、心もち(うつむ)き加減にして、目を閉じているのが見えた。  聖堂の内部には、何の音も、讃美歌も流れていなかったが、彼にはそれが聴こえているのかもしれなかった。  揺れるろうそくの炎と、ステンドグラスから射し込む陽の光が、彼の端正な横顔に微妙な影を作り出していた。    声をかけることは、とてもできなかった。  まるで、一枚の宗教画を見ているように美しかった。  そのまま見つめていたら、千郷は泣いてしまいそうだった。  見てはならないものを見てしまったような、(おそ)れをさえ感じるような、目の前の光景だった。  千郷は、ドアを閉め、しばらくそこに背中を あずけ、小さくため息をついた。  加納と自分との距離が、果てしなく遠いのだということだけが痛いほどわかった。  千郷は、あきらめて教会を離れた。 第 5 話に続く・・
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