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第 5 話
9
山村という女性事務員は、30を少し過ぎたくらいではないかと思われた。
グレーの事務服を着ていた時は、もっと老けて見えたが、私服に着替えて、門を出て来た姿は、ずいぶん華やかにイメージを変えていた。
「あの・・ 」
「あら、きのうの・・」
待ち伏せのような形になってしまって、彼女に警戒心を抱かせたようだ。
「すいません、加納さんのこと聞きたくて、待ってました 」
千郷は、素直に謝った。
「きのう、教会にいなかった? 加納さん 」
山村は、立ち止まって言った。
「いました。・・ただ・・声をかけられなくて・・ 」
「どうして? 」
「何だか、真剣に祈っているみたいでした 」
目を閉じていた加納の端正な横顔を、ステンドグラスから射し込んだ光が輝かせていた。
誰もいない礼拝堂で、声をかけるのがためらわれるような、それは一枚の絵のように美しい光景だった。
「そう・・でも、あの人はクリスチャンじゃないと思うけど・・ 」
山村は思わずつぶやいた。
「そうなんですか? 」千郷がたずねると、
「さあ?・・ 」と言って、かわしてしまう。
「あの・・ 」
「なあに? 」
「誘ってもいいですか? 」
千郷は、耳まで赤くなるのがわかった。
「私を? 」
「ええ。ちょっとイイ店を知ってるんです。
もしよかったら、付き合って下さい 」
断られると思った。
「いいわ 」
彼女は、予想に反してうなずいた。
イイ店、と言ったのは “ NO NAME “ のことだ。
佐世保で千郷が知っている店は他になかったし、もしかしたら、加納が現れるかもしれないと思ったからだ。
「ここ、知ってるわ。来たことある 」
「加納さんと? 」
千郷の問いに、彼女はびっくりして顔を上げた。
「まさか? 私と? 加納さんが、誰かと飲みに行くなんて有り得ないわ 」
彼女は言い切った。
—— そうだ。あの夜も、ひとりで飲んでいた ——
「あなたは、東京の人? 観光? 加納さんの知り合いじゃないわよね? 」
そう言われて、千郷はうなずくしかなかった。
「すいません。友だちって言ったのは嘘です。
加納さんに少しききたいことがあって・・ 」
白状した。
「そうだと思った。 あの人に友だちなんていないもの・・ 」
加納のことを話す彼女は、なぜか悲しそうに見えるのだった。
「名前、教えてください 」
「私の? それとも、加納さんの? 」
「両方・・ 」
千郷が言うと、彼女は打ちとけた笑顔を見せた。
「正直ね。私は、山村美和子。こういう字 」
テーブルに指で描いた。
「加納さんの名前は、加納敬吾。こうよ 」
また指で描いた。
—— 加納敬吾・・やっぱり・・——
「あの・・」
「待って。あなたは? 」
千郷の言いかけた言葉をさえぎって、山村美和子はたずねた。
「芳賀千郷です 」
千郷も指で描いて、字を教えた。
—— この人は、僕がナンパしたと思ったのかもしれない——
「ねえ、心配しなくていいわよ。私、年下には興味ないから 」
千郷の心の中は、素通しのガラスででもできているようだった。
山村美和子の目が笑っていた。
10
「加納さんの住所、教えてもらえますか? 」
思い切ってそう言った千郷の顔を、美和子はじっと見つめた。
「あなた、何をしたいの? 」
—— 僕にもわからないんだ・・——
「彼はあなたに何かしたの? そんなにあなたが必死になるようなこと・・ 」
「必死になってる・・ 僕、そう見えますか? 」
「ええ、見えるわ 」
「確かめたいんです。逢って、確かめたいことがあるんです。お願いです、教えてください 」
必死に頼む千郷の目を、からかうように美和子はのぞき込んだ。
「教えてあげたいところだけど、知らないの。
誰も知らないのよ、彼の連絡先 」
「だけど・・」
「彼はあそこの職員ってわけじゃないしね。
私、以前、加納さんの履歴書があるかどうか調べたわ 」
「それで? 」
「なかったわ・・住所録にも載ってなかった。
VIP 用のも見たけど・・」
「VIP って? 」
「あんまりにも謎だから、加納敬吾スパイ説っていうのが流れたことあったの 」
「スパイ? 」千郷はきき返した。
「もちろん、冗談だけど。 でも、極秘任務か何かで派遣されてるのかなって思ったのよ 」
加納については、結局、誰ひとり何も知らないということだ。
「でも、あそこにそんな重要なものがあるとも思えないし、ね? 」
自嘲気味に美和子は言って笑った。
「手がかりなし・・か 」
千郷はつぶやいた。
「そのうちまた会えるわよ。まだ資料館の仕事は残ってるし、途中で投げ出してしまうような人には思えないから・・ 」
美和子の言う通りかもしれない。
「加納さんのやってた仕事って、どんなことですか? 」
「彼のことなら、何でも知りたいのね 」
またからかわれた。
「展示した写真と、古い紙の資料を照らし合わせ、名簿をパソコンで作ってるの。
昔の資料は劣化が激しくて 」
「海軍兵学校の生徒のですか? 」
思わず声が出た。
「あの中で、今でもご存命の方の消息を調べたり・・ 」
千郷は言葉を失った。
「あの・・ 」
千郷が言いかけた時、バーボンロックのおかわりを持って来たウェイターが、声をかけて来た。
「あ、先日は失礼いたしました 」
もの覚えのいいウェイターは、水割りをかけたことをまだ気にしているらしかった。
結局その夜、千郷は、山村美和子に遅くまでつき合ったが、加納に関する情報は、それ以上
得られなかった。
わかったことが3つだけあった。
ひとつは、彼は誰をも寄せつけず、誰にも心を開かないということ。
—— もうひとつは、山村美和子は、加納敬吾にフラれたってことだ ——
そして、もうひとつ。
—— 加納は、海軍兵学校の生徒の名簿を作っていて、その生き残りを捜している・・——
11
達也のマンションのある高台から、車を使わずに、徒歩で街の方へ降りるには、斜面に付けられた急な石段を利用すると便利だった。
登るには少しつらそうな、とてつもなく長い石段だったが、下りなら楽だ。
達也の車で、平戸の方まで行ってみようかと思っていた千郷だったが、山村美和子の話を聞いたあとでは、何だかそんな気にもなれなかった。
部屋でずっとテレビを見ている千郷に、達也は言った。
「どっか観光行けよ。 教会群はどうした? おまえ、何か変だぞ。 具合でも悪いのか? 」
気がついたらすっかり陽も暮れて、ムダな一日を過ごしたようで、少し後悔したのだ。
街に出ようと決めて、シャワーを浴びて着替えた。
幅の狭い急な石段を、一段飛ばしで降りているところだった。
降り切ったところの街灯の下に、背の高い男が立っているのが見えた。
そこは国道に面していて、バス停がある。
バスを待つ人だろうと思い、すり抜けようとした時、男が振り向いた。
「あ・・ 」
街灯に照らし出され、加納敬吾の少し戸惑ったような顔があった。
「加納さん・・? 」
加納はかすかに微笑んだように見えた。
「どうして、ここに? 」
驚きがおさまらない。
「君は、僕を探していたんだろう? 」
加納はそう言い、先に立って歩き出した。
「ええ・・でも・・どうして? 」
「君が、会いたがっていたから、僕は来たんだ 」
千郷は立ち止まって、加納の背中を思わず見つめてしまった。
「行こう 」
ふり返って加納が誘った。
心をふっと持って行かれるような、惹き込まれるような微笑みだった。
「どこへ? 」
「飲みに行くには、ちょうどいい時間だよ 」
千郷は何もきけず、加納のあとについて歩き出した。
加納は、アーケード街の中をどんどん進んで行く。
観光客や、若いグループ、会社帰りのサラリーマンたちが、店を探して流れていた。
若い女の子たちは、必ずと言っていいほど加納を見ている気がした。
そこは、佐世保中央駅に近い露路にあるバーだった。
加納は、 “ 汀 “ という小さなバーの扉を押した。
客は、ゆるやかなカーブを描いた木製のカウンターに、若い女ふたりがいるだけだった。
「いらっしゃい 」
初老の、マスターらしき人が加納に声をかけた。
「よく来るんですか? 」
千郷が小さな声でたずねると、加納は首を振った。
女ふたりは、値踏みするように、千郷たちを見てそのあと、加納の顔から目をそらせなくなったようだ。
店の雰囲気は気に入ったが、今夜の客の質はあまり良くないと千郷は思ったが、自分だってそう変わらないことに気づいた。
加納は薄い水割り、千郷はバーボンをソーダ割りにしてもらった。
「進んでいますか? 」マスターに問われ、
「なかなか思うようには・・ パソコンは苦手です 」
と、加納は打ちとけた笑顔を見せた。
名簿の件だとわかった。
不思議なやりとりだった。
マスターも加納も、まるで一つのドラマの中の登場人物のように、店の雰囲気に溶け込んで、それぞれの役をこなしているのか。
浮いているように思えるのは、千郷とふたり連れの若い女たちの方だ。
年がずいぶん違うだろうに、友人のような気安さがある。
しかも、客とマスターというより、もっと対等な関係。
「落ち着きませんか? ここ 」
察したように加納が言い、その深い色の目に見つめられて、千郷は狼狽した。
「いいえ 」
あわてて、グラスを飲み干し、
「すみません、ロックにしてください 」とグラスをさし出した。
「どうして、資料館に来ないんですか? 」
「毎日行くほどの仕事はないんです 」
マスターがレコードをかけ替え、ゴスペルのような女性ボーカルが流れ出して、千郷に、教会で祈っていた加納の姿を思い出させた。
「レコード、珍しいですね 」
千郷が思わず言うと、
「この方が何だか落ち着くんです。少しキズが入っているのでお聴き苦しいかも・・ 」
とマスターは笑った。
「今は、何をしてるんですか? 」
「別に、何も・・ 」
「次はいつ来ます? 」
千郷は、加納を困らせているとわかっていた。
「どうしてさっき、あの時間に、僕があそこを降りて来るってわかったんですか? 」
マスターが顔を上げた。
「質問責めにあってる 」
加納ははぐらかすように笑った。
「すみません、でも・・ 」
言いかけた千郷を、目で制して、
「何故、知りたがるのですか? 」と言った。
—— 何故だろう? ・・何故、僕は、こんなにも、この人のことが気になるのだろう・・
写真の中の少年と似ているというだけ・・たったそれだけで、
どうしてこんなに、この人のことが気にかかるんだろう?——
グラスの底に答えでもあるかのように、千郷は、溶けかけた氷を見つめていた。
「僕の知っている、あの人の話をしよう 」
加納は、唐突にそう言った。
「あの人って? 誰ですか? 」
千郷は、目を上げた。
「加納敬吾だよ 」
「え? 」
加納の目は、からかっているわけではなさそうだった。
「加納敬吾・・ あの写真の・・ 」
千郷は彼の心を測りきれなかった。
「君は、彼のことを知りたがっていただろう? 」
女の片方が、加納をじっと見つめ、小さくため息をついて、ふたりは出て行った。
「話してください 」
気がついたら、挑むようにそう言っていた。
マスターが、そっと音を立てないように、加納の前に新しい水割りのグラスを置いた。
それが合図だったように、加納は静かに話し始めた。
千郷は、言葉をはさむことなく、ただ耳を傾けた。
長くはない。
たった三日間の短い物語を。
第 6 話 に続く・・
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