地獄でも天国でも無い場所

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「今、どこにいるんでしょう」  そんな事聞かれてもな、隣にいるお前が分からないのに俺が分かる訳無いだろう。 「俺たちが今いるのはどこでしょうって質問かい」 「はい、そうです」  奴は不安そうにあたりを見渡して答える。 「そうだな、天国でない事だけは確かかな、多分地獄だ」 「やっぱり、そうだと思ったんですよね」  気が付いたらここにいた、回りを見渡すと隣にこいつがいた。薄暗くて太陽は見えない。空は薄いピンクで地面は赤茶けた土だ、生温い風が吹いている。木や草は見えない。見渡す限り荒れ野だ。 「で、お前は誰だ」 「加納雄一と言います」  一瞬言いよどんで隣の若い男は名乗った。言いよどんだ理由は分かる、しばらく前までマスコミを散々さわがせた名前だ。 幼子の目の前で若い母親をレイプし惨殺した残虐非道な殺人鬼。でも確か死刑が確定したはずだが。 「あの、私の名前を聞いても怯えないですけど、何故ですか」 「ああ、すまん、人に名乗らして自分が忘れていたな」  俺は一呼吸置き「俺の名は荒木修だ、例の若者五人を次々と殴り殺した元ボクサーの連続撲殺魔だよ」と名乗った。加納が怯えた様子で一歩下がる。とてもレイプ殺人鬼の大人しい若い男だ、俺が知っているレイプ犯とは全然違う。 「あなたが……確か死刑が決まったと」 「ああ、異例な早さで刑が執行されてな。気が付いたらここにいて、加納さん、あんたが隣にいたんだ」 「そうですか、私も同じような物です」 「さてと、これからどうしたもんだか」  辺りを見渡して呟いた。どこに行くにしても目標になる物が無い。 「ご心配なく、私がご案内いたします」  背後からいきなり声を掛けられ、俺と加納は慌てて振り向いた、さっき辺りを見渡した時は誰もいなかったぞ。 「案内役の鬼、赤鬼でございます、お見知りおきを」 案内役を名乗る鬼、赤鬼とやらは、絵に描いたような鬼だった。 背は二メートルほど、がっしりとした体躯、赤毛のもじゃもじゃ頭に短くてまっすぐな角、赤銅色の顔にどんぐり眼で口元には牙が生え、全身に強い毛がまとわりつき、とげの生えた金棒を持って、虎柄のパンツを穿いている。 「質問があるのですが」  俺が茫然としていたら加納が口を開いた。 「質問の前に現在の状況についてご説明をいたしたいのですがよろしいでしょうか、説明の中に質問の答えがあるやもしれません」  加納が無言でうなずいた。大人しそうな外見なのに案外ものおじしない奴だな。 「では、まずこの場所ですが、地獄でも、ましてや天国でもありません」  俺は加納と顔を見合わせた。 「それと、もうお気づきと思いますが、あなた方お二人とも亡くなられております、同じ日に刑が執行されました」  俺と加納は同時にうなずいた。  鬼は満足したように俺たちの顔を見渡し「これからエンマ大王の元へご案内致します」と大仰な身振りで言った。 「地獄送りになるか、天国行きかは、これからの裁判次第です。では、ついてきてください、まだ質問等がありましたら、道すがらお伺いいたします」  そう言って鬼はすたすたと歩き始める。俺と加納は後ろをついて行く。 「あのう」  しばらく歩いたところで加納が口を開く。 「はい何でしょう」  鬼がにこやかな口調で答える。 「えっと、赤鬼さんでしたね」 「はい、赤鬼でございます、レッド・デーモンと呼んでいただいても構いませんよ」  どうやら冗談らしく、言ってからクスクスと笑ってやがる。良く分からない鬼だが、今はこいつの後をついて歩くしかあるまい。 「赤鬼さん、隣の荒木さんはともかく、僕は裁判にかける意味はないんじゃないでしょうか、現世で死刑になった殺人犯ですから」  加納の問いに「人を殺したから自動的に地獄送りなんてことは無いですよ。そんな単純じゃありません、色んな事情、条件、時代背景等を鑑みて判決を下します。金を貰って人を殺した人間でも、天国行きになる事だってあります。もちろん地獄送りもありますけどね」と立ち止まった赤鬼が答える。 「それはどういうときですか」  加納が訊いた。 「殺し屋や死刑執行人、戦場で敵兵を殺した兵士などですかね、全員お金貰って人を殺していますから。でも死刑執行人や兵士をそれだけで地獄送りにするのは違うと思うでしょう、天国に行った殺し屋もいますよ」 「それはどういう状況ですか」 「とある国の独裁者を暗殺した人なんですけどね、その人が殺さなかったら、数十万から数百万人の国民が亡くなる所だったんです。殺されたことによって、死者の数が半減しました」 「半減ですか、全員が助かったわけではないんですね」 「勿論。独裁者の敵対勢力が政権を握ったのですが、まあ独裁者よりはましって程度でしたから。その人は暗殺を仕事にしており、独裁者以外にも何人か殺しているのですが、殺された奴ら、全員ろくでもない輩でね、殺した罪と、殺したことによって助かった人の数を天秤にかけると、助かる方が勝つので天国行きになりました、ただ本人はスリルが何よりの楽しみ、その為に某国海軍の特殊部隊員からプロの暗殺者に転職したのに、何の刺激も無い天国はつらい。ここは地獄だ、頼むから本物の地獄送りにしてくれ、拷問に耐える訓練は受けている。っていつも愚痴を言っていますよ」 「それって、わざと天国行きにしていませんか」  思ったが口に出さなかったことを加納がきく。 「まさか、そんな意地の悪い事しませんよ」  言いながら鬼がそうだよ、よく分かったねと言いたげな表情を浮かべている、この先一筋縄では行きそうにないな。 「でもなあ、俺なんか五人殺しているんだぜ、地獄の獄卒が手ぐすねを引いて待ち構えていると思うが」  俺が口を挟む。 「あ、荒木さん。若い男ばかり五人を連続して殺した方ですね、暗い夜道を待ち伏せし、標的が一人になった所を狙って殴り殺した。五人目を殺したその足で警察に出頭したと」  俺は無言でうなずいた。 「世間では関係の無い若い男を狙った無差別殺人とか言われてますけど実際は違いますよね。 ネットで集まった見知らぬ五人組、通りすがりの若い女性を集団で襲い、事が済んだ後は自殺に見せかけて殺して別れる、全員最初から最後まで顔を隠しているし、どこの誰とも分からないと」 「よく知っているな、マスコミは一切報道していないはずだが」 「はい、ここには便利な道具が色々がありますので、例えば現世の事が過去を含めて全部見る事が出来る浄玻璃の鏡とかね」  俺が黙っていると、鬼が話を続ける。 「そして襲われた、たまたま帰宅途中に通りすがっただけの女性が、荒木さん、あなたの妹さんだったと」  加納が驚いて俺の顔を見る、俺は吐き捨てるように呟く。 「ああ、その通りだ」  赤鬼がその後を引き継いだ。 「妹さんが自殺なんかするわけないと、警察に何度もねじ込んだのですが、取り合って貰えなかったんですよね。まあ自殺の方が警察の仕事は楽ですからねえ」 「妹はまだ二十歳でな。念願だった看護の仕事が決まってとても喜んでいた、仕事に通うのに便利だからと言って、軽自動車を買う予定をしていて、一緒に中古車屋に行く約束もしていたんだ。自殺なんかするわけがない」  俺はボソリと言った。 「それで探偵を雇い、妹さんの足取りを伝って拉致した奴らを突き止めたんですよね」  そうだ、それなりの金額はかかったが、腕のいい探偵で闇ネットにも詳しかった。 「そして犯人を付け狙い、一人づつ殴り殺したと」 「ああ」 「裁判で妹さんの話はしなかったんですか」  横から加納が訊いてきた。 「したところで何になる、妹は帰ってこないし、俺が五人を殺したという事実は変わらない」 「そうですか」 「妹さんの死は荒木さんが奴らを殺して回った事を気に病んでなどと言う、ばかばかしい噂までネットに流れましたからねえ、時系列を見ろっていう事です」  そんな噂まで流れていたのか、出頭後は一切インターネットが出来なかったので、今まで知らなかった。まあ、もうどうでもいいが、妹の名誉を思うと心が痛む。 「と言う事で、荒木さんがどこに行くかは、エンマ大王の裁判しだいです」 「荒木さんの件が復讐の果てに起こったことだという事は分かりました、でもやっぱり私は地獄行きじゃないでしょうか」  加納がもう一度赤鬼に尋ねた。 「えっと、加納さんですね。マンションの隣室に侵入し。若い母親をレイプして殺したって事になってますけど、実際は子供が虐待で殺されそうになっているのを気配を察し、警察に電話をしていたら、隣室の様子がいよいよ危なくなってきたので、警察を待たずにベランダから侵入して止めに入り、母親ともみ合っているうちに誤って母親を投げ飛ばしてしまって。打ちどころが悪くてね、そこに警察がおっとり刀で駆けつけて、加納さんが玄関を開けて警察を入れ、状況を説明したんですよ。 警察もね、逃げも隠れもしないし、前々から児童相談所に相談していて、今回も警察に最初に電話をし、取り調べにも協力的な加納さんに対して同情的でね、事故、まあ過失致死ぐらいの線で行きかけていたんですけど、死んだ母親の父親ってのが法曹界の重鎮。母親の母親が大手新聞社の社主一族で。二人とも娘がシングルマザーだって事だけでも腹に据えかねて、実家から追い出したんですよ、それで親子でマンション暮らしをさせていたんですね。その娘が孫を虐待していたなんて事が表沙汰になったらねえ。 と言う事で警察とマスコミに圧力をかけたんですな。 警察は手のひらを返し、加納さんを残虐な殺人鬼として発表しマスコミはそれを連日報道しました、あろうことか加納さんが母親に横恋慕し、断られたのでレイプしに部屋に侵入したとまで書いた雑誌がありましたねえ。普通は人一人殺しただけだと死刑にはならないんですけど、両親が特例でねじ込んだみたいです」 赤鬼はそこまで喋って加納の顔を見た。 加納は誰ともなく頷く。 「と言う事で、加納さんもエンマ大王の裁判次第と言う事です。 そうそう五人と母親は一足先に案内しました。もちろん地獄送り ですよ。五人は泣きわめき、母親は散々抵抗して屁理屈並べ立てま したけどね。エンマ様に一喝されて終わりです。特に五人組は妹さ ん以外にも散々悪さしてましたからね」 「加納さんが助けた子供はどうなった」  せっかく加納が助けたのに、たちの悪い祖父母に育てられたらろくな人間にならない。 「子供さん、ああ、言い忘れていましたが、二歳半の男の子です。父親が出てきまして。若いし無責任な男なんですが、そちらの祖父母がしっかりした人達でして、責任をもって引き取るという事になりました、母親にかなりひどい目にあわされていたようですが、体の傷は病院で治療済みです、引き取られた当初は一人になると泣きわめいたり、逆に何があろうと押し黙ったりしていたようですが、最近少し落ち着いてきたようですね、母親側の祖父母は表面上引き取りたいと言っていましたが、実際は厄介者を押し付けられたらたまったものじゃないという感じで、父方の祖父母が出てきた途端簡単に引き下がりました」 加納がほっとした様子を見せる。 赤鬼はそこまで言うと「そろそろ行かないと、遅れるとエンマ大王のお怒りを買います。あ、もちろん怒られるのは私ですから、遅刻してもあなた達の裁判にはなんの影響も無いです」と続け、さらに「では、幼子の目の前で若い母親をレイプし惨殺した残虐非道な殺人鬼改め、虐待親から子供を救ったが、その際誤って虐待親を死なせてしまった、優しくて運の悪い加納さんと、男五人を次々と殴り殺した元ボクサーの連続撲殺魔改め、非業の死を遂げた妹さんの復讐を果たした荒木さん。行きましょうか」と言ってさっさと歩き出した。 「じゃあ、裁判の結果が出るまでは、私も荒木さんも地獄送りか天国行きかは分からないという事ですね」  加納が歩きながら赤鬼の背に話しかける。 「いえ、それがですね」  赤鬼は足を止めると言葉をいったん切り、こう続けた。 「本当は裁判所で説明するはずだったんですが、ここでお話しておきましょう。実はですね、地獄と天国以外にもう一つあるんですよ」 「え、それはどういう」 「はい、実は地獄送りも天国行きも、どちらも亡者千人に対して大体三人くらいの割合なんです、なのでほとんどの亡者は現世に生まれ変わり、輪廻転生の下に修行を積むことになります、あとレアケースとして、特別な技能や才能を持っている亡者は裁判所の仕事を手伝ってもらう事もあります。天国でも地獄でも、どちらに行くにしても輪廻から外れる特別な人間て事です。 あ、裁判所が見えてきました、急ぎます」 そう言って早歩きになる鬼の背に声を掛ける。 「俺も一つ質問がある、妹はどうなった」  鬼が振り返り「詳しい事は申し上げられませんが、生前の希望が叶うように転生されています、良い親御さんですよ」と答えた。  そうか、それならまあ……良かった。 「加納さん」 「はい」 「お互い、今度はまともな裁判結果を期待しよう」 「そうですね」 「大丈夫、あなた達なら、良い所に転生できますよ」  赤鬼が口を挟む。 「ありがとう、それならいいな」  加納が礼を言う。 「それより、急がなくていいのか、エンマ様にお目玉を食らうのはあんたなんだろ」  俺の言葉に、立ち止まりかけていた赤鬼が「おっと、そうでした、いや、本当に急がないと」と言い、少し焦った様子で急ぎ足になる。  日も出ていない、時計も無い、こんな場所でどうやって時間が分かるんだろうと思う。 「加納さん、さっきの言葉は取り消す、俺たちがいるのは天国でも地獄でもない、中途半端な場所らしい」 「そうみたいですね」  俺と加納は鬼に導かれ、肩を並べて裁判所の門を潜った。
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